今回は、私の体験談をシェアしたい。
本当は病気だったのに、
病気ではないと医師から診断を受け、
そのために非常に苦しんだ話だ。
「悲劇」と言えば、大袈裟に聞こえるが、
私にとっては、これが原因で
後の人生にも大きな悪影響を与えたので、
「悲劇」と呼んでもよいと思っている。
私は小学校4年生の時、突然、
死の恐怖に晒されるような事件に巻き込まれ、
その後、メンタルを酷く病んでしまった。
強い不安に襲われるだけでなく、
身体に不快な症状が強く出て、
普通の生活もままならなかった。
喉の奥に物が詰まった感じがあり、
固形の食事が飲み込めなくなった。
その当時、私が食べれたものは、
赤ちゃんの離乳食のような流動食のみ。
時々、息苦しさや
心臓のドキドキが酷くなり、
このまま死んでしまうのではないか
という強い恐怖に襲われた。
手や腕が痺れた状態で、
頭はクラクラして血の気が引くのを感じた。
胃がムカムカしてきて、
幾度も吐き気を催した。
膀胱に尿が溜まっていなくても、
強い尿意を感じて、
年中トイレに駆け込んでいた。
夜は床に入っても上手く入眠できず、
ウトウトとするだけ。
夜中に何度も目が覚めて、
そのたびにトイレに行っていた。
そんな私は母に連れられて、
総合病院の精神科を受診した。
身体の具合が大分悪くて、
普通の社会生活もできなかった私。
絶対に何らかの病名がつくだろう、
と思っていたが、診察を受けても、
「異常ありません」
というのが医師からの診断だった。
その時、医者が母に言ったことが、
今でも私の頭の中から離れない。
「お嬢さんは、どこも悪くないですよ。
ただ、この子は非常に弱い子なんです」と。
こんなに身体が不調なのに、どこも悪くない。
不調の原因が「自分が弱いため」
と知らされて、私は大きなショックを受けた。
なぜ、私がこんな酷い状態になっても、
病気ではなく、異常がないと言われたのかは、
その当時(1970代半ば)の日本では、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)
の概念がなかったからだ。
精神科医の医者でさえ、この病気を知らなかった。
普通は医者から「病気ではない」と言われれば、
「良かった」と喜んで、安心するだろう。
しかし、私はそうではなかった。
病気ではないのに、
自分がこんなに情けない状態に陥るのは、
自分が弱くて、劣っているからだ。
こういう風に苦しむのは、
自分が悪いに違いないと決めつけて、
自分で自分を責め始めた。
当然、親の立場でも、
医者からそのように言われれば、
それを信じるしかないだろう。
異常がないのに、普通の社会生活ができない娘を
スパルタ教育により、
厳しく鍛えなければ、子供がダメになってしまう
と親は考えたのだろう。
両親の私に対する態度はかなり厳しくなり、
私にとっては死ぬほどツライ経験をした。
「お前がこういう情けない状態にあるのは、
お前が弱いから。気合が入っていないから。
怠けているから。もっと強くなれ。
もっと気合を入れろ!怠けるな!しっかりしろ!」
と言葉で命令されるだけでなく、
躾のためだと言って、物理的な暴力を
何度も何度も振るわれた。
弱いために起きる身体の具合の悪さ。
強くなりたいと思っても、
どうしても強くなれなかった私。
自分と同じ年の同級生が普通にすることでも、
私にはできなかった。
そんな自分に嫌気がさして、
私は自分自身に強く失望した。
「自分は本当に情けない人間だ。
ここで生きていること自体、
自分は許されるべきではないかもしれない」。
そんなことまで感じていた。
当然、誰も私が病気だとは思わないから、
両親からも、学校の教師からも、
近くにいた大人たちからも、
私の状態は理解されなくて、
「なんてダメな子なんだろう。
この子には将来はない」とまで思われた。
私を精神的に慰めてくれる人も、
守ってくれる人もいないと感じて、
私は八方塞がりで、途方に暮れた状態だった。
「もし、自分が死ぬことができれば、
どんなにラクになるだろう」
と死を考えたことも何度もある。
どう見ても、変にしか見えなかった私は、
学校では虐めに遭い、
教師にも馬鹿にされて、嘲り笑われ、
自尊心を大きく傷つけられた。
「学校には行きたくない」と登校拒否した私に、
父は「学校は子供の義務」と言い張り、
暴力を振るってまで
私を無理強いして学校へ行かせようとした。
父からものすごい剣幕で怒鳴りつけられ、
殴られたり、蹴とばされたりした時、
私は事件の日に感じた死の恐怖の感覚を
何度も何度も繰り返し再体験した。
私は本気で父から殺されると思っていた。
中学生になってからは、
私の身体の状態も大分改善されて、
私は普通に学校へも行けるようになった。
しかし、9歳から12歳になるまで、
2年半ほど、こういう経験をすれば、
その後の人生においても、
大きな後遺症を残してしまう。
その後遺症は、私の心の内にあり、
外からは見えにくいものだ。
当然、他人にもなかなか理解され難い。
私の心の中で、
長い間、ずっと私を苦しめてきたものは、
強い劣等感。自己肯定感の低さ。
自分が悪いと思う罪悪感。無価値感。
健全な対人関係をなかなか築けないこと。
人間関係の距離が分からないこと。
突然、過去の嫌な感情に
自分が襲われてしまうことがあること等々。
病気ではないのに、自分が悪いために、
自分の状態が良くなくて、
周囲にいる人々にも迷惑がかかっている、
と思えば、やはり、自分責めが止まらなくなる。
罪悪感ばかりが増してきて、
本当に辛くて、苦しくなってしまった。
50歳になって、
カウンセリングセッションに通うようになり、
この時初めて、「あなたが今こうあるのは、
とても自然な反応です。何も不思議ではありません。
あなたは病気なんです」と言われ、
私は本当に救われた。
病気であると分かって以来、
私はそれまでの自分責めをストップできた。
「これは、私が悪かったわけではなく、
病気だから仕方なかった」と思えた時、
私は安堵の気持ちでいっぱいだった。
今までずっとやってきた自分責めが
私をどんなに苦しめてきたことか?
この苦しみを、他人にはあまり理解して貰えない。
しかし、この自分責めが私の人生の中で、
一番私を苦しめてきたことだ。
人は誰でも、自分のことを信じたい
という気持ちがある。
でも、その信じたい自分が情けない人間で、
どうしょうもないと思えば、
自分自身にかなり失望する。
「どうして、自分はこんなになっちゃうのだろうか」
と罪悪感でいっぱいになり、
自分のことを虐めてしまう。
50代になってから初めて私は、
自分責めをしなくてもいい、
と心の底から思えるようになった。
自分で自分を責めて、虐めて、
自分を苦しめることは、馬鹿らしい。
そんな馬鹿らしいことは、
止めたほうが賢明だ。
しかし、私が自分責めで
自分自身を不幸にしていた背景には、
このような事情があるのだから、
ある意味、仕方ないとも言える。
私がこの体験から学んだことは、
病気ならば、病気だと受け入れたほうがよいことだ。
残念ながら「メンタル疾患はタブー」
という社会風潮は未だに残っている。
そんな中、多くの人が自分のメンタル疾患を
受け入れたくない気持ちがある。
病気で苦しむ本人が否認している場合もあるが、
親や家族のような親密な関係にある人たちが、
その人の病気を受け入れられず、
そのために、その本人を苦しめてしまうこともある。
病気の時には、病気だ、
とありのままを受け入れたほうがよい。
「病気だから仕方ない」ということもあるからだ。
私の場合は、病気ではなく、自分が悪い、
と信じていた時に、私が感じていた不快感も、
「病気だから仕方ない」と思った時から、
不思議なほど軽減されたような気がする。
私はこれまで自分のエネルギーや時間を
自分責めをすることで、
自分を破壊する方向に使っていた。
しかし、「病気である」と分かって、
自分責めを止められたときから、
エネルギーや時間を
もっと建設的な活動に費やせるようになった。
私にとっては、自分の病気を誰かから
認めて貰えたことは、本当に大きな救いとなった。