子供の頃メンタルを酷く病み、大人になってからもその後遺症を引きずっている私。そんな私がメンタル疾患について考えることを、ランダムに綴ってみようと思う。
私は複雑性PTSDで苦しんでいる。いわゆるトラウマというやつだ。人生には様々な出来事が起こる。自分にとって良いこともあれば、悪いこともある。ショッキングなことに出くわすのも稀ではない。そう思えば、多くの人は大なり小なりトラウマを持って生きていると考えられる。
トラウマを持つ人の中でも、どこまでが病気の域と言えるだろうか? トラウマがあっても、ごく普通に生きている人はたくさんいる。おそらく、トラウマが原因で日常生活に支障をきたすようならば、「病気」と呼ぶべきだろう。
昔の私がそうであった。身体に様々な不快の症状が出て、夜は眠れない。朝は起きられない。喉の奥に何かが詰まった感覚があり、食事は喉を通らない。息苦しさでパニック発作を繰り返し起こす。膀胱に尿が溜まっていないのに強い尿意をもよおし、30分に一度の頻度でトイレに行く。強い不安に襲われて、居ても立っても居られない状態だった。学校へも行けない日が多く、通学できたとしても、勉強やクラスの活動には集中できなかった。教室の中で、ただぼ~っと座っているだけで、妄想していることが多かった。
あの当時は、こういう状態が一生続くのだろうと思っていた。自分はこのようにずっと苦しみ続けるのだろうと信じていた。自分には明るい未来などないと思った。両親を初め、周囲の大人たちにも見放されたと思い込み、絶望的であった。自分が消えて無くなれば、どんなに楽だろうとも思った。
当時はそのように感じていたが、本当に私には未来がなかったのか?
長い人生の間で、2年半このような状態でも、後には多くの不快な症状は消えて、私は自分を立て直すことができた。確かにその当時は大変だった。自分はもうお終いだと思った。でも、今ではそんなことはない。ごく普通に生活することができている。
苦しい時って、この先、自分には未来がないと思ってしまったり、絶望的になったりするものだ。消えて無くなってしまいたいと思う気持ちもよく分かる。
でも、私達には「時間」という強い味方がある。時間が経つにつれて、すべてのものは変化していくのだ。変化の速度が遅ければ、今の状態がずっと固定化されて、何も変わらないように見えるかもしれない。しかし、すべての物事は確実に変化している。自分の周りも、自分自身も変化しているのだ。
人生どん底に落ちた時、苦しみもがいて、どうにか今の苦しい現状から逃れようと頑張る人がいる。でも、いくらもがいても、いくら頑張っても、自分の思い通りにならない時はある。そういう時には、自分の状況を改善しようと努力することを止めよう。ただ静かに時間が経つのを待つことにしよう。今の苦しい状態が一生続くわけではない。なぜなら、すべてのことは変化するからだ。どんなに変化が遅くても、確実に少しづつは変わっているはずだ。
もし、今苦しんでいる人がいても、これはほんの一時的なものに過ぎないと思う方がよい。数年後には、すっかり元気になって「あの時は何だったのか?」と思う時がきっと来る。
病気を否定する必要はない。確かに苦しい症状があるのだから、ツライ症状を感じる時には、自分は病気なんだと受け入れればよい。ただ、病気のことだけに意識を向けたり、病気に捉われてしまうことは止めた方がよいだろう。なぜなら、病気にフォーカスを当てれば、症状が強化されて、より苦しくなるからだ。
365日、24時間、ずっと病気の症状を感じているわけではないと思う。常に苦しんでいるわけではないのだから、苦しくないときの時間を大切にして、自分にとって楽しいことや、自分にとって重要なことに集中しよう。
病気を利用して怠けたり、甘えたりするのもよくない。「自分は病気だから」と言って必要以上に周囲の人に頼りすぎるのもよくない。自分でできることは、自分の力でやってみよう。さもないと、自分は「できない人」になってしまう。
逆に、病気のために自分には難しいということもある。自分ではどうしてもできないことや、一人では解決しないこともあるだろう。そういう場合は、罪悪感を持つことなく、周囲の人に助けを求めよう。自分でできることは自分でやるが、できないことは他人に頼ってもよい。
病気があるからと言って、やりたいことをやらない選択肢は選ばない。病気だからムリだと決めつけて、最初から何も行動を起こさなければ、何もできなくなってしまう。そういうのは勿体ないと思う。
今までメンタルを病んだことがない人だって、長い人生の間で、突然、メンタルを病む可能性はある。メンタル疾患になり易い性格の人と、そうでない人がいるのは確かだ。でも、どんなに精神が強い人でも、突然、メンタル疾患に罹患することはあり得る。「僕は絶対に大丈夫だ」と自信がある人でさえ、メンタル疾患になる可能性はある。
次のことを想像して欲しい。明日、自分が住む地域で大地震が起きる。そして、周囲にいる人々が大きな津波に飲み込まれ次々と亡くなってゆく。その中には自分にとって大切な人間関係の人もいる。自分のビジネスも地震のために失うことになる。そういう状況になっても、「僕は大丈夫だ」と言えるだろうか?
誰だってメンタルを病む可能性はある。だから、メンタル疾患で苦しむ人を馬鹿にしたり、「奇妙な存在だ」と言って変人扱いしたり、虐めたりすることは止めよう。今はかなり病んでいる人だって、いつかはきちんと立ち直れる時がくる。メンタルを病んで苦しむ人を見た時には、優しく見守ってあげよう。
メンタル疾患を経験することは、自分にとって学びがあるから、病気になるのだろう。私にとっての学びは、「捉われを捨てればラクになれる」ということ。自分の病気を否定せず、そのまま受け入れる。だけど、病気に捉われることは止めた。自分の人生の中で、病気でない部分だってたくさんあるからだ。病気でない部分、病気でない時間を、自分にとって重要で有意義なことに専念するよう努めている。ちょっと不快な症状が出てきても、それはそれで「仕方ない」と受け入れる。
そんな姿勢で生きていれば、自分の生活の質も以前よりはかなり上がったと感じている。もちろん、これからも、このように生きてゆくつもりだ。病気があっても、自分が心底やりたいことをやって楽しむ。病気は私の人生のほんの一部分に過ぎないから、それに振り回されないようにする。