小学校で虐めに遭っていた頃、私には見えなかったこと

私は小学校5~6年の時、
学校で酷い虐めに遭っていた。

今となれば、はっきり分かるが、
その当時の私には
見えなかったことが幾つもある。

今回は、
虐められて苦しい状況下で、
私には全く見えなかった
3つのことをお話したい。

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一つ目は、
私を虐める人はいても、
優しくしてくれた人も
いたこと。

それなのに、その当時の私には
自分に好意的な人、
親切にしてくれる人がいても、
彼らのことがほとんど見えていなかった。

私の学校のクラスには
30人くらい
クラスメートがいた。

虐めに遭っていた頃に、
私はクラスメート全員から
嫌われていて、
受け入れられない存在だ
と思い込んでいた。

クラスには3~4名の
悪ガキ男子がいて、
休み時間になれば、彼らは偉そうに
威張っていた。

授業中は大人しいのに、
授業が終われば、
急に元気を出して、

キタナイ言葉を使ったり、
弱そうに見える子を虐めて、
暴力を振るったりした。

そんな少数派が私に対して、
「お前はクソだ! 
臭いんだよ! 近くに寄るな!」
と言ってきたり、

時には、「バーカ! 死ね!」
と罵って、私を蹴っ飛ばしたりした。

給食の残飯を手でつかんで、
それを私に目がけて
投げてきたこともある。

当時の私にとっては、
そんな少数派の攻撃が
あまりにも強烈だったので、

近くに優しい人がいても、
彼らの存在に気づけなかった。

私は時々
息苦しさに襲われて、
呼吸困難になることもあった。

そんな時、
両手を組み合わせて、
頭の後ろに持ってゆき、
身体を反らせる姿勢にすると、
大分呼吸がラクになった。

そのため、
息苦しさを感じるたびに、
私はこの変な姿勢を
何度も繰り返した。

でも、傍から見れば、
この私の身体を反らせる姿勢は
かなり奇妙に見えたのだろう。

そんな私の姿を見て、
悪ガキ男子の一人が、
私がするように手を組んで
身体を反らせて、
私の真似をした。

すると、それを見ていた
他のクラスメートたちも
一緒になって大笑いする。

実は、その時笑っていたのは、
生徒だけではなく、
担任の教師もだ!

本来はどんな生徒にも
公平に接するべき教師が、
私の奇妙な姿勢を
オカシイと思ったらしく、
悪ガキ男子と一緒になって、
私のことを嘲り笑った。

私はクラスメート全員、
そして、担任の教師からも、
嫌われたと感じていた。

全員から忌み嫌われて、
ここに居てはいけない存在だ
とまで思った。

しかし、今になれば、
全員から嫌われたわけでは
なかったことが、
はっきり分かる。

私を虐めた悪ガキ男子は
私のことを嫌っていた。

そして、担任の教師も
私のような生徒を受け持ち
嫌だったのだろう。

これは確かなことだと思う。

でも、他のクラスメートは
どうだっただろうか?

悪ガキ男子が私の真似をして
馬鹿にして笑った時、
一緒になって笑った人たちは、

必ずしも、私のことが嫌いだった
というわけでもないだろう。

ただ単に、
私の姿が奇妙に見えて
可笑しかっただけだろう。

冷静に考えれば、
確かに私はオカシナ身体の姿勢を
取っていた。

なぜ、そうしたかは、
それにより息苦しさが
大分ラクになったからだ。

しかし、クラスメートのほとんどが
私のこの事情を知らなかった。

単にオカシク感じたから、
笑っただで、特別私に対して
悪意があったわけでもないと思う。

虐められている私をかばって、
悪ガキ男子に対抗すれば、
自分も虐められるかもしれない? 
と心配した子もいるだろう。

だから、悪ガキ男子が
良くない行いをしていても、
それを止めたり、注意したり
しなかったのだと考えらえる。

そんな中でも、
私に「大丈夫?」と優しい言葉を
かけてくれた人もいる。

担任の教師は
私に対して冷たい態度だったが、
保健の先生はとても優しかった。

具合が悪くて
保健室に行くたびに、
私の話を聞いてくれた。

しかし、当時の私は
そんな優しい人たちが
自分の近くにいるのに、

虐めてくる人たちのほうに
気を取られて、
そこばかりに目が向いていた。

優しい人たちが目の前にいても、
彼らの存在は
私にはほとんど見えていなかった。

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虐めに遭っていた頃、
私には見えなかった
2つ目のことは、
「私でも普通に生きて行ける
場所があること」。

学校と家庭以外にも、
広い世界の中には
まだ他の場所が沢山あることに
気づいていなかった。

私は学校で虐められて、
学校へは行きたくない
と強く思った。

そのため、そのうち
登校拒否をするようになった。

しかし、私の父は
私の登校拒否をどうしても
受け入れられず、

私が学校へ行かない日には
夜帰宅してから、
私の顔を強く引っ叩いたり、
身体を蹴っ飛ばしたりして、
私に厳しい体罰を与えた。

「子供が学校へ行くことは
義務なのだから、
どんな事情があれど、
行かなければならない!」と
強い口調で言い、厳しい態度を見せた。

昼間は父が家にいなかったから、
そういう意味では救われた。

でも、実際には家で何もせずに
ゴロゴロしていれば、
母親からは嫌な目つきで
見られてしまう。

その当時の母は
小さな弟の世話で忙しく、
私のことをほとんど
構ってはくれなかった。

学校へ行かない私を非難して、
悪い行為をしている、
と私に罪悪感を
抱かせることはあっても、

私のツライ気持ちに
寄り添ってくれたり、
慰めてくれたりすることは
これっぽちもなかった。

登校拒否した私を、
「情けないダメ人間」と呼び、
私に対して
軽蔑の眼差しを向けていた。

母からは「人間のクズ」とか、
「人間失格」とか、
「ダメ人間」という言葉を連発されて、
私の心が傷つくこともよくあった。

私は家に居ても惨めであり、
虚しさでいっぱいだった。

でも、学校へ行けば
もっとツライことになるから、
学校へはどうしても
行きたくなかった。

当時10歳だった私には
学校と自宅が世界のすべてだった。

この年齢では、
世の中のことをよく分からないから、
そう思っても、まあ仕方ない。

しかし、実際のところは、
通っている学校と自宅は、
広い世界の中では、ほんの限られた
一部の場所にすぎない。

その気があれば、
別の学校へ移るという
選択肢もあったはずだ。

また、その当時は
小さな子供だったから
自分の力ではムリでも、

大人になり、
経済力もついた時には、
別の場所に移ることも可能だ。

でも、その当時の私には
そんなことを考える余裕は
全然なかった。

学校でも、家庭でも
自分の居場所がなかったから、

私を歓迎してくれる場所など
世界中どこを探しても、
見つからないのだろう
とまで思っていた。

10歳という年齢では、
保護者の協力なしでは
何もできないから、
そう思っても、しょうがない。

しかし、一旦、成人して
自分で経済力をつけ、
必要な知識を得た後には、

今居る自分の環境が嫌なら
そこから抜け出る選択肢はある。

しかし、当時の私には
一生そんなことはないだろう
とまで確信していた。

私は一生ずっとこの環境でしか居られず、
他に移ることは不可能だ
と信じ込んでいた。

そう思えば、
自分には明るい未来もなければ、
希望も全然ないと感じられ、
激しい絶望感に襲われた。

こういう絶望感は
当時の私だけではなく、

追い詰められて
どうしょうもない状況に
陥った人たちに共通している。

どんなに強い人でも、
逆境に入って抜け出せなくなれば、
そのように感じることも
珍しくない。

「自分が今居る環境がすべてであり、
世界中どこを探しても
自分の居場所はない」
と強く思ってしまう。

しかし、実際には
これは間違いであり、
そのようなことはない。

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虐めに遭っていた頃、
私には見えなかった
3つ目のことは、

今の苦しい状況は
一時的なことだという事実。

こういうツライ状況に陥り、
身動きが取れなくなると、

これがずっと続くと
信じ込むようになる。

もう、自分には希望はない。
明るい未来もない。

今後の人生でも、
ずっとこのような状態が
永遠に続いてゆくに違いない
と感じられてしまう。

そうなれば、絶望感も大きくなり、
「自分はもうダメだ!
消えてなくなりたい」
と思うようになる。

こういう状態にある時には、
全く見えないことだが、

本当は、
自分が今経験している
ツライ状況は、
いつかは終わりが来る。

諸行無常が常である
この世の中では、
良いことも、悪いことも、
ずっとそのまま続くことは
あり得ないからだ。

私は現在50代後半。

あれから何十年も経つ今、
当時を振り返れば、
「そんな時もあったんだ」
と不思議に思うほど。

人生どん底に落ちて、
辛かった時期は
2年間くらいあった。

でも、その2年を除いた50年以上は、
あの当時の自分では想像もつかないほど
普通の生活ができている。

更に言えば、
その50年の半分くらいの年月は、
環境的にも恵まれて、
優しい人たちにも囲まれて
幸せな人生を生きてこれた。

あれはほんの一時的な
悪夢にすぎなかった! と
今になればよく分かる。

苦しい中にいるときには、
将来、自分がそんな生活が
できるようになるなんて
想像もつかない。

辛い時には、時間が経つのも
ゆっくりと感じられて、
ずっとずっと
この状態が続くのだろう
と思えて仕方ない。

でも、どんなことでも
そのうち終わりが来る。

そんな酷い経験をしたのか? 
と不思議な気持ちになるほど
後に人生が好転することも
珍しくはない。

それなのに、
その当時の私には
そのことは全く理解できなかった。

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今回私が強調したいことは、

追い詰められて
どうにもならない状況に
落ちてしまえば、

自分が見える視野が
かなり狭まってくること。

本当は存在していても、
自分には見えなくなってしまう部分も
大きくなるという事実。

このことを
伝えたいと思った。

本当は、虐めで苦しい時にも
私にとても親切で、
協力的な人たちもいた。

学校と家では
居場所が見つからなくても、
広い世界のどこかには
自分を歓迎してくれる場所もある。

すぐにその場所に
移れないことは確かでも、

ちょっと我慢していたら、
嫌な環境から抜け出して、
自分の居場所があるところへ
移動することも可能だ。

今現在感じている
ツライ状況は
永遠と続くわけではなく、

そのうち、自分の現状も変わり、
「あれっ、そんなこともあった?」
と思える日も来る。

しかし、苦しい時には
視野があまりにも狭まって、
ほんの小さな部分だけしか
見えなくなってしまう。

実際は違うのに、
かなり歪んだ現実を
見てしまうことになる。

今、もし
追い詰められた心の状態で
視野狭窄に陥り、
他の可能性も全く見えず、
絶望感でいっぱいの人がいたら、
このことを強調して伝えたい。

今の自分には
見えていない部分が
かなり大きいということ。

それに
気づいて欲しい。

当時八方塞がりで、
どこへも逃げられないと
感じていても、

実際には
「時間」という強い味方が、
あなたを応援してくれる。

そのツライ状態は
永遠に続くことはあり得ない。

なぜなら、諸行無常の世界では、
すべての物や人間は
常に変化しているものだから。

苦しさの中に溺れてしまえば
なかなか見えないことも多い。

自分自身から一歩身を引いて、
冷静に今の自分の現状を
見つめることができれば、

今まで見えなかったものも
少しずつ見えるようになる。

もう一つ言いたいのは、
どうにもならない時には
下手にバタバタしないほうがいいこと。

そのうち
自分自身を逆境から
救えるような時も来る

そんな時が来たら、
思いっきり力を入れて、
頑張ってそこから抜け出るとよい。

その時が来るまで、
静かに待つ
という選択肢もありだ。

時間を自分の味方につけて、
ゆったりと構える姿勢も
時には必要だ。

あまり見えない状態で
焦ってバタバタするよりも、
時間を味方につけて、
力を緩めて待ったほうがいい!

そのツライ状態は
ずっと続くものではないから
大丈夫。

これは、経験者が語る
本当のことだ。