昔よりは大分改善されたけど、
私は未だにメンタルの不調により
引き起こされる身体の不快感に
悩まされることがある。
最近起きたことは、
空気を飲み込みすぎて
お腹が苦しくなってしまうこと。
意識して空気を飲み込むのではなく、
少し不安を感じ出せば、
無意識に空気を沢山飲んでしまう癖がある。
ガスでお腹がパンパンに膨れて
苦しくなると同時に腹痛があり、
その痛みが時には激しくて、
かなり苦しむこともある。
そんな時、ゲップをして
空気を身体から出そうと必死になる。
でも、ゲップが出そうな感覚があっても、
なぜか出て来ない。
ムリにでもゲップをして
パンパンになったお腹をラクにしたくても、
どうしてもゲップは出てくれない。
ゲップを出そうと頑張れば頑張るほど
逆効果であり、ゲップは絶対出ない。
出そうで出ないという嫌な感覚があり、
こういう状態になれば、
私は焦りの気持ちでいっぱいで、
そのことばかりに気が取られて、
他のことが全く見えなくなってしまう。
子供の頃、連日のように経験した
パニック発作と似た面がある。
パニック発作ほどパニックにはならなくても、
焦りの気持ちが強くなるのは自覚できる。
そして、「このままゲップが出なくて
お腹が破裂したらどうしよう?」
と傍から見ればオカシナ心配までしている。
この状態は、精神的な健常者には
理解し難いことだろう。
この不快な感覚を経験する時には
私はかなり精神エネルギーを消耗して、
メンタル的にも大分参ってしまう。
「ゲップよ、どうか出てくれ!
出てくれ!」と必死に願う私。
しかし、そのことだけに囚われて
一生懸命出そうとすればするほど
ゲップは出ることはない。
お腹がパンパンに張った嫌な感覚と
腹部の痛みと、
ゲップが出そうで出ないもどかしさと、
焦りの気持ちで、私は非常に苦しむ。
そのことばかりにフォーカスが当たり、
自分の身の回りで
他に重要なことがあっても、
大切なことには集中できなくなる。
この状態は、かなり病的なものだ
と自分でも感じている。
しかし、不思議なことに、
ちょっと気が緩む瞬間があれば、
次から次へとゲップが出て来て、
それまでお腹の中にあった空気が
徐々に出て行くようになる。
パンパンに張っていたお腹もラクになり、
腹痛も収まる。
気分的にもほっとして安心できる。
コチコチに凝り固まった身体も
緩んでくる感覚がある。
「ああ、良かった」と安心したと同時に、
急に大きな疲労感に襲われる。
それまで、身体は戦闘態勢に入っており、
極度に緊張していたので、
緩んだ途端、疲れがどっと出てしまう。
このようなことは、
私は以前はしょっちゅう経験していた。
しかし、最近は、こうなる頻度も少なくなり、
このことを忘れていたくらいだ。
でも、一昨日、なぜか分からないが、
この発作に再び襲われてしまった。
この発作に襲われるたびに、
私は重要なレッスンを思い出す。
それは、「あることに囚われて、
どうしても~しよう」と頑張れば頑張るほど
それが上手く行かないということ。
私のこの例では、
ゲップを出そう出そうとして
一生懸命頑張れば頑張るほど
ゲップは絶対に出ない。
しかし、この不快な身体の感覚を
ちょっと横に置くことができ、
少しでも身体が緩んだ瞬間があれば、
ゲップは次々と出てくる。
そうすれば、囚われることもなく、
身体も緩んで尋常を取り戻せる。
囚われと執着により、
その一点ばかりに集中して、
一生懸命になればなるほど
目的を果たすことはできない。
しかし、「まあ、どうでもいいや」
とそのことを忘れてしまえば、
自分が望んでいたことが
自然と起きていることに気づく。
ゲップを出そう出そうとはせず、
そのことに気を取られなければ、
自然とゲップは出てくるものだ。
この現象から、
私は学ぶことがあると感じている。
あまり何かに囚われすぎて
執着が大きすぎれば、
その何かを達成することは難しくなること。
それよりも、身体の力を抜いて、
ラクに日常生活を送っていたほうが
色々なことがスムーズに行くということだ。
似たようなことが願望実現においても、
起きているような気がしてならない。
私は「~したい」という願望がある。
それに向かって、現在行動中であるが、
自分の目標の目的地に
できるだけ早く到達したい気持ちもある。
この気持ちが強くなればなるほど、
「今自分はどの地点にいるのだろうか?」
とスコアボードばかりをちょくちょく確認して、
自分の進行具合に一喜一憂するばかりだ。
このようになれば、あいにく、
そのことはなかなか捗らなくなり、
上手く行かなくなってしまう。
しかし、目的地に着くこと自体ではなく、
目的地までのプロセスを大切にして、
その途中に起きることに重きを置けば、
自然と目的地にラクに行き着ける
と感じている。
今までの私の経験上、
こんなことが多かったと思う。
「絶対に早く~したい」
とそればかりに囚われて、執着すれば、
一生懸命頑張っても、なかなかスムーズに行かない。
しかし、目的地に着くことを忘れて、
そのプロセス自体をエンジョーイしていれば、
自然と楽しく目的地に着いている。
メンタル不調により起こる
身体の不快感においても、
他のことにおいても、
囚われや執着は良くないことだ
と体感している。
囚われや執着がある時には、
自分の中から焦りの気持ちも湧いてくる。
その焦りの気持ちが非常に悪い
と感じているところだ。
焦れば焦るほど、視野も狭くなり、
周りが見えなくなって、
正しい判断もできなくなる。
焦ることにより、普段なら普通にできることも
なぜかできなくなってしまう。
焦りがある以上は、効率よく物事をこなすのは
ほぼ不可能と言ってもよい。
それよりも、囚われや執着なしに
身体や心の力を緩めて、
リラックスして建設的なことをしたほうが
物事はずっとスムーズに行くものだ。
私の長い人生の間で、
このことを既に学んだつもりでも、
未だに大切なレッスンを忘れてしまい、
囚われや執着、焦りの気持ちで
自分が動いていることもある。
おそらく、最近、
お腹がパンパンになり、
ゲップがなかなか出せなくなったことで、
その大切なレッスンを
思い出させて頂いた気がする。
囚われすぎ、執着しすぎ、
焦りの気持ちで動くことは、
良い結果を生まないと再認識できた。