HSPは良くない点ばかりを感じ易いけれど、悪い事ばかりじゃない!

先日、オーストラリアからエアメールが届いた。
シドニーに住む友人ロビンからだ。
ロビンと知り合ったのは40年近く前。
私が学生だった頃、バイトで貯めたお金で
オーストラリアにホームステイに行った時、
私を受け入れてくれたホスト宅のお母さんだ。
ロビンからの手紙を開封して、
急に昔のことが懐かしくなった。
再びシドニーを訪れて、
ロビンや彼女の息子たちに会いたいな~
という気持ちになった。

今はコロナで国際間の移動も難しい。
でも、コロナが終息したら、
是非、もう一度オーストラリアに行きたいと思う。
私の住むウェリントンからは、
たった3時間ほどのフライトで行ける距離。
2~3年のうちに実現できればと考えている。

シドニーに行ったら、何がしたいのか?
ロビンと彼女の家族に会うのはもちろんのこと、
それ以外は、ホームステイをした時と同じような
非日常を五感で味わいたい。
普通の感覚であれば、
海外旅行へ出かける際には、
その土地の観光名所を回るのが一般的だ。
しかし、私は観光地には全く興味がない。
コアラやカンガルーを見に行ったり、
ブルーマウンテンのツアーに参加したい
という気持ちはサラサラない。
それよりも、現地ではごく普通の日常でも、
私にとっては非日常の匂いや音を
心行くまで楽しみたい。

具体的には、
早朝聞こえた鳥や動物たちの鳴き声、
鉄道駅のアナウンスの音、
電車の中の匂い、
駅構内にあるドーナツ屋さんからの
甘くて油っぽい匂い、
ダウンタウンの独特な匂い、
フードコートの
色鮮やかなフルーツサラダの匂い、
キッチンからほのかに匂う
オーストラリアのシリアルの匂いなど。
このような音や匂いを五感で味わいたい。
そのためには、
旅行中に忙しく、
色々な名所間を動き回る必要はなく、
普通の日常生活を体験するだけで十分だ。

私は昔からこんな感じだ。
音や匂いにかなり敏感で、
不快な音や匂いにも強く反応して、
苦しむこともしばしばある。
その一方で、ちょっとした音や匂いでも、
楽しみことが可能だ。
特に、いつもとは違う音や匂いがあれば、
スゴク感激して、それだけでエンジョーイできる。
HSPでない人には、ちょっと理解し難いだろう。

ロビンの家族と仲良くなり、
高校のクラスメートを連れて、
再びロビン宅にお邪魔したこともあった。
その時、クラスメートはシドニーの観光名所に興味があり、
私は全くなかったため、
どのように時間を過ごすのかで、意見の相違があり、
お互い気まずくなったこともあった。

その当時の私はHSPのことなど知らなかった。
HSPという概念もなかったから、
「自分は本当に変な人間だな」
と悩んだこともある。
観光名所や観光地に興味を示すのが普通で、
日常生活の匂いや音だけで満足する自分が、
とても奇妙な人間に思えてきた。

自分はとても変な人間で、奇妙な存在だ
と劣等感を抱いたこともある。
他人から変な人だと思われたくないから、
興味がないことでも、
ムリに興味があるよう
振る舞ったりしたこともある。
本音では関心がないことでも、
「ああ、面白うそうだね」
とはしゃぐ姿を演じたこともある。
自分の本当の気持ちを隠して、
ムリに「普通」を振る舞う自分に疲れて、
嫌気が差したこともあった。

今では、もうそのような不必要な振る舞いや
自分でない自分を演じることもなくなった。
私は「非日常の匂いや音だけで
楽しむことができる」と堂々と言えるようになった。
そうなれたのも、HSPの概念が
世の中に知れ渡るようになったお陰だ。

HSPの特性のために、
一般的にはスルーされるようなことに
敏感に反応してしまい、我慢できない。
それが原因でツライ思いをすることも確かだ。
HSPについて話す時、ネガティブ面ばかりが強調され、
良い点を語る人は少ない。

しかし、私のように
ちょっとした匂いや音だけでも
エンジョーイできることは、
全然悪いことではなく、
むしろ素晴らしいことだと思うようになった。
エンタメのために、特別に何かをしなくても、
特別にお金や時間をかけなくても、
ごく自然な日常生活の中でも、
ちょっとしたことを楽しみ、
深く味わうことができるのは、
ある意味、すごいことだと思う。

私は若い頃、海外旅行に興味があり、
年に1度は、必ず外国へ行っていた。
行く先々で、街中の匂いが全然違う。
未だにその匂いを覚えていて、
また、再びあの国に行って、
匂いを楽しみたい気持ちがある。

私の場合は、音と匂いに超敏感だ。
以前、病院の待合室で
診察の順番を待っていた時、
素晴らしい音色のクラシック曲が聞こえてきた。
早朝の時間で、待合室にはほとんど誰もおらず、
雑音も全然入らない。
その曲のサウンドだけが大きく聞こえて、
あまりの美しい音色に、私は涙を流していた。
他の患者さんはいなかったので、
恥をかくことはなかったが、
受付の人には「この人、大丈夫?」
と思われたようだ。

どんなことでも、良い面と悪い面の両方が
存在することは確かだ。
悪い事だけに目を向ければ、
そこだけが膨張して見えてきて、
良い面は隠されてしまう。
人間は意識を向けたところを
実際の大きさよりも大きく見て、
注目しないことは、
全く見えなくなることもしばしばある。

HSPについては、
悪い事、不都合な点だけがフォーカスされ、
語られる傾向にある。
しかし、HSPだって、
ちょっとしたことで感激して、
小さなことを深く感じることができるので、
悪い事だけではない。

悪い面があるのを否定しなくても、
それだけに注目して、
必要以上に誇張して見なくてもいいだろう。
もし、悪い面で苦しむことがあれば、
ちょっと立ち止まり、
「私は今、悪い事ばかりを見ている。
確かにそういう面はあるけれど、
それだけではない」
と思い出すのは重要なことだ。

悪い事だけにフォーカスを当て、
それにだけに執着するようになれば、
その悪い面がもっともっと大きく見える。
その結果、非常に苦しんでしまう。
そうなったと気づいた時には
意識的に、
「どんなことでも良い事、悪い事
両方が存在すること」を思い出すことだ。
意識を向けたことは
実際以上に大きく膨れ上がって感じられる事実を
自分に言い聞かせるとよいだろう。

他の多くのことと同様に
HSPだって悪い事だけではない。
ちょっとした些細なことでも
深く感激できることは、非常に素晴らしい。
そうできる自分は
ある意味、得したと思ってもよい。

統計的に見れば、世界の人口の5分の1は
HSPの特性があるそうだ。
人口の約20パーセントということだ。
大多数の人には味わうことができないことを
自分は味わい楽しめる
という風に考えられれば、
HSPに対する観方も大分変ることだろう。
HSPは悪い事だけではない。
もっと良い面にも目を向けよう!