病気を治そうと頑張っているのに、なかなか治らない! どうすればいい?

メンタル疾患が
なかなか治らない!

良いと思われることを
一生懸命やって、
頑張っているのに、
どうして治らないの!?

こんな悩みを抱える人は
いないだろうか?

今回は、そんな人に
向けた話だ。

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強い意志を持って頑張れば、
病気は早く治りそうなもの。

でも、一見、正しく思える
「病気を治すための努力」は、
逆効果になることも多い。

なぜ、そうなのか?

まず、最初の理由は、
頑張れば頑張るほど、
病気への囚われが強くなるから。

つまり、病気に対する
執着が強くなりすぎる、
ということ。

その結果、
逆に望ましくない方向へ
進んでしまうのだ。

「病気を治そう!」と
頑張っている時には、

頭の中では、
常に病気のことばかりを
考えている。

一生懸命になればなるほど、
健全な「考える」の域を飛び出し、
「囚われる」という方向へ
向かってしまう。

「囚われ」の域に入れば、
自分はそのことに拘束されて、
身動きが取れなくなってしまうのだ。

病気のことが、
実際のサイズ以上に膨れ上がり、
拡大して見えるようになる。

すると、他のことには
目が向かなくなり、

周囲に楽しいことがあっても、
その存在すら気づけない。

「病気を治そう!治そう!」と
意識すれば、
自分は病気にすっかり
支配されるようになる。

良くなるための努力をして、
自分の状態を
逐一チェックしている。

少し良くなれば、
「良かった!」と安心して、喜ぶ。

逆に、
ちょっとでも状態が悪化すれば、
「ああ、やっぱりダメだな~」
とがっかりして、落ち込む。

メンタル疾患は、
良くなったり、悪くなったり、
を繰り返しながら、
徐々に快方に向かうもの。

「一歩進んで二歩下がる」
ということも、しばしばある。

そんな時、焦りを感じて、
絶望的になることも珍しくない。

「早く治そう!」
という気持ちが強ければ、
気長に構えることもできず、
その時々で一喜一憂してしまう。

このような心持では、
大きな精神的なストレスを生み、
本人はもっと苦しむことになる。

病気がある上に、
その時々の自分の状態に
喜んだり、悲しんだりすることで、
余計、メンタルがやられてしまうのだ。

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脳科学的に見ても、
病気を治す努力は、
上手く行かないのが当然。

「病気を治そう!」と頑張ることは、
自分を精神的に戦闘態勢に
追い込むようなもの。

戦う状態では、
脳の扁桃体が興奮して、
不安感や恐怖心が強くなるからだ。

扁桃体の役割は、
大昔、原始人が猛獣に
襲われそうになった時、

恐怖や不安を煽り、
外敵に対して「戦うか? 逃げるか?」
の選択をさせ、自分の身を守るためだった。

この扁桃体の役割は、
原始時代には意義あるものだったが、
今の時代では、役に立つよりも、
人に不安や恐怖心を抱かせ、
メンタルを病ませる原因になっている。

扁桃体の持続的な興奮により、
メンタル疾患を発症する人も
沢山いる事実もあるのだ。

精神的に癒されて、
メンタル疾患を治すには、
扁桃体の興奮を避けた方が無難だ。

そのためには、
「頑張ろう!」と力んでは
いけない。

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頑張ることが
良くないのなら、

どうすれば、いいのか?

その答えは、
「頑張る」の逆をすることだ。

つまり、病気を治すために
頑張らないこと。

「病気があっても、いいや」
と良い意味で諦めてしまうのが
一番効果的だ。

なぜなら、諦めることで、
そのことに囚われなくなるから。

「もういいや!」とギブアップすれば、
不思議と自分が病気であることを
考える時間も少なくなるからだ。

すると、自然と他のことに
自分の意識が向くようになる。

そして、病気とは無関係なことに
フォーカスが当たれば、
そのことが大きく見えてくる。

病気の症状が多少あっても、
意識が向くことに集中すれば、
病気のことが以前よりも、
気にならなくなってゆく。

病気が治ったわけではなくても、
そのことに悩まされない時間が
増えてくるということ。

つまり、病気による苦しみも
少なく感じられるのだ。

この状態こそが、
病気が快方に向かうことだ、
と私は個人的に考えている。

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私も過去に不思議な体験をした。

子供の頃、メンタルを酷く病み、
パニック発作で苦しんだ時期が
かなり長かった。

私の発作は、いつも
決まった時間に起きた。
父が帰宅する夜の時間帯だ。

夕方になり、
外が暗くなるにつれて、
私の不安は増大していった。

「ああ、今夜もまた
あの恐怖に襲われるんだ!」と
頭の中は、そのことばかりで
いっぱいだ。

他のことがあっても、
パニック発作以外のことは、
考える余裕が全くない。

予期不安があれば、
必ずと言っていいほど
パニック発作は確実に起きた。

「今夜は発作が
起きないで欲しい!」と
願えば願うほど、
そのことが頭から離れなくなる。

そして、「起きないで!」と
強く望んだ発作が
私に襲いかかってくるのだ。

パニック発作に襲われる時、
私は死の恐怖を感じて、
「どうしても死にたくない」
という気持ちが強かった。

しかし、発作が毎晩毎晩
繰り返されて、
私は心身ともに疲れ果ててしまった。

ある日、「もういいや、
死ぬなら、死ねばいい」
と諦める気持ちが芽生えた。

死ねば、この苦しみからも
解放されるからだ。

毎晩、こんな苦しみを味わっても、
生き続けたいだろうか?
「もう、そんなのは御免だ!」
と思える瞬間があったのだ。

すると、不思議な現象が起きた。

いつもいつも同じ時間になれば、
私を襲ってきたあの苦しみが、
今夜は来ないではないか!

「もういいよ!」と
心の底から諦めた時、
私の発作は止まったのだ。

この時は、本当に驚いた。
こんなことがあるのか! 
とびっくりした。

私は今でもこの日のことを
鮮明に覚えている。

諦めることで
囚われることがなくなった。

良い意味で、「もういいや」
と思えれば、そのことを
考える時間も減ってくる。

頭の中で、その考えが
少なくなれば、
不思議とその現象は起きなかった。

その後も私は
パニック発作に襲われることは
時々あった。

しかし、囚われが病気の症状を
酷くして、囚われが発作を
起こしやすくなる事実を知って以来、

私が発作を起こす頻度は
かなり減った。

そして、今ではパニック発作とは
ほぼ無縁の生活を送っている。

パニック発作に苦しんでいた頃には、
私はそのことだけに
強く囚われていた。

生活の中で、
他に大切なことがあっても、
パニック発作のことだけが
自分にとっての関心事であり、

身の回りにある
大切なことに意識が向かなかった。

発作のことばかりを考えて、
頭の中は、常にそのことばかり。

「ああ、また今夜も……」と
予期不安を募らせて、
心配することに忙しく、
ビクビクと脅えるだけだった。

予期不安が強ければ、
引き寄せの法則もしっかりと働く。

予想通り、確実に
発作に襲われるのだ。

しかし、「もういいや。
死んでもいい!」と覚悟がついた時、
強い囚われは私の中から消えた。

発作に対する囚われと、

発作は嫌だ! どうしても嫌だ!
と拒否することに執着するのを
止めた途端、

不思議と
発作は起こらなくなった。

予期不安が強ければ、
必ず発作は起きるもの。
すると、余計不安になってしまう。

パニック発作の予期不安の
負のサイクルに陥れば、
そこから抜け出すのは、かなり大変だ。

しかし、「どうなってもいいや」
と良い意味で諦めがつけば、
そのことに囚われなくなり、
執着が消える。

すると発作も
私の元から姿を消したのだ。

不思議な現象だけど、
これは本当のこと。

この諦めみたいなものが、
病気を治すのには、
一番効果がある
と私は確信した。

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パニック発作は
私の病気のほんの一つの症状
にすぎない。

まだ他のことでも、
心の健常者には理解されないことも
幾つか私にはある。

しかし、
最近、強く感じている。

それは、メンタルを病んでいても、
四六時中、ずっと不快な症状で
苦しいわけではないこと。

健常者と同じように、
普通に楽しい生活ができる時間も
あるということだ。

おそらく、私以外の
メンタル疾患で苦しむ人も
同じだろう。

病気による不快な症状が
出る時もある。

そして、そのせいで生活面で、
不具合が生じることもある。

しかし、24時間、365日、
いつもいつもそうなのか? 
と言えば、そんなことはない。

全然、普通に生活して、
色々なことを楽しんで、
健常者とほぼ変わりない状態で
いれる時もある。

「病気を絶対に治したい!」
と病気を意識する時には、
不思議と不快な症状に
悩まされやすくなる。

逆に、「もう自分は病気だから、
仕方ないよ」と
時々起こる不快な症状も
自分の一部として受け入れると、

なぜかその不快さを
感じることが少なくなるのだ。

なんて、不思議なことか!

「病気でもいいんんだ」と
良い諦めができると、
自分が病気であることも
意識しなくなる。

すると、その分余裕が出て、
他のことに
目が行くようになり、

病気とは全く別のものに
専念できるようになる。

他のことへの集中が
あまりにも強くなれば、
病気の不快な症状で
苦しんでいたことも
一時的に忘れてしまうほどだ。

こういう状態でいれば、
病気は治りやすくなる、
と私は身をもって体験した。

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逆説的に
聞こえるかもしれない。

でも、メンタル疾患を
治したいと思ったら、

本気でそう思うよりも、
むしろ諦めてしまった方が
効き目がある。

諦めることで、
あまりそのことを
考えなくなるから。

その結果、病気に囚われたり、
執着することもなくなるからだ。

囚われ、執着が減れば、
不思議なことに、病気の不快な症状も
徐々に少なくなってゆく。

人は意識を向けた場所が
拡大して大きく見えるものだ。

このことは本当。

下手に「治そう!」と
頑張らなければ、
そこに意識も向かなくなる。

「病気でもいい」と
自分の今の状態を
そのまま受け入れれば、

病気に対する囚われ、執着も
起こらない。

そのお陰で、結果的に
自分の状態は快方に
向かうようになる。

下手な期待はしない方がいい。

単に「もういいや」
と諦めてしまおう!

病気は確かに
自分の一部ではあるが、
自分のすべてではない。

諦めにより、
病気の側面には
意識を向けない方がいい。

他のことに
フォーカスが当たれば、

意外にも
自分が思ったよりも
ずっと早くに元気になれる!