変な人には、それなりの事情があるから、大目に見てあげて

「この人、変だな!」
と思う人に出会ったことは
ないだろうか?

他人の言動が
不可解で奇妙に感じられ、

その人に対して、
悪い感情を抱いてしまう
かもしれない。

でも、ちょっと待って!

変な人には、
それなりに事情がある。

その事情を
外の人は知らないから、

「なんだかオカシイ!」
と思ってしまう。

パーソナルなことは
なかなか人には言えないもの。

だから、いつまでも
誤解されたままだ。

でも、そんな場合には、
詮索することはなく、

「こうなるのは
こうなる事情があるのだろう」

と察して、温かい目で
スルーしてあげよう。

特に自分に直接
被害が及ばないのなら、

優しく
大目に見てあげよう。

これが今回の話のテーマだ。

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これは私の体験談。

若い頃、会社の同僚数名と
映画を見に行った時のことだ。

その映画の中で、
銀行強盗が若い女性を捕まえて、
女性の頭部にピストルを当てる
シーンがあった。

この時私は、
突然、息苦しさを感じた。

パニック発作までは行かなくても、
心臓の鼓動が異常に早くなり、
息が詰まるような感覚だった。

私は落ち着かなくなり、
椅子から立ち上がり、
膝を床に落としていた。

それと同時に、
両手で耳を塞ぎ、
スクリーンから目をそらせていた。

隣に座っていた子が、
私の変な様子に気づいて、
「どうしたの?」と不思議そう。

実際の銀行強盗の現場なら、
息苦しくなるのは当然。

しかし、映画という娯楽の中で、
このような状態になった私を
奇妙に思ったようだ。

単なる映画の1シーンで、
息苦しくなる私は
精神的にかなり弱いのだろう
と受け取られてしまったようだ。

でも、私がこうなるのは、
それなりに事情がある。

私は9歳の頃、
見知らぬ大人の男から
性的暴行を受け、

「服を脱がなければ、
お前を殺すぞ!」と脅迫され、
突然、死の恐怖を体験した。

過去にそんな経験がなければ、
「単なる映画の1シーン」として
ハラハラドキドキを
娯楽として楽しめる。

しかし、トラウマを持つ私には
刺激がありすぎて、
気分が悪くなるほどだった。

私の会社の同僚は、
そんな私の過去を知らない。

だから、精神的に弱い人だ
と思われてしまった。

しかし、私にはそれなりの
事情があるから、しょうがない。

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もう一つの体験談は、
実の弟と両親について
話をしていた時のこと。

私が両親に対して感じることを
正直に話した時、

弟は「お姉ちゃん、それはオカシイ!
間違っている!」と
私を非難するような口調で言った。

たったそれだけでも、
私の心は大きく傷ついた。

今考えれば、弟が言うように
私は両親に対して、オカシク、間違った
認識をしていたのだろう。

しかし、その当時の私は
自分の認知の歪みに
ほとんど気づいていなかった。

そもそも私が酷い認知の歪みを
持つようになった原因は、

子供の頃から、成人した後でも、
長年に渡って続いてきた
私と両親との険悪な人間関係
によるものだ。

私たち姉弟は、両親からは
全く違う扱いを受けて育った。

両親との人間関係が
良好だった弟には、
私がかなり奇妙な人間に
見えたようだ。

しかし、私がそうなるのも、
それなりの事情があるのだから、
仕方がないことだ。

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当然のことだけど、
人は自分を基準にして
色々なことを判断する。

そして、この基準になるものは、
その人のそれまでの経験に
基づくところが大きい。

自分が実際に経験したことは、
よく分かるけれど、

そうでないことは、
本当の意味で
理解するのは困難だ。

自分が経験してないために
自分には不可解に思えることも
沢山ある。

しかし、自分にとっては
奇妙で不可解でも、

オカシナこと、
間違っていること、
正しくないこと、
変なことだ、と即解釈しないで欲しい。

自分にとっては
変に感じられても、

そうなる事情が
隠れているからだ。

その事情を自分は知らない。

説明されれば、
「なるほどね」と肯ける
かもしれないが、

話を聞いても、
ピンとこないかもしれない。

でも、それはそれで仕方ない。

自分は経験がないのだから、
分からなくても
不思議ではない。

大切ことは、たとえ
自分が理解できなくても、
他人を変人扱いしないことだ。

今、その人が
変な状態にあるのは、
その人の過去の歴史の
積み重ねの結果だ。

その人のそれまでの経験とか、
歴史とかが、
今のその人を作り上げている。

だから、大目に見てあげる。

優しくスルーして
あげることだ。

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私たちは日々、
色々な人たちと出会い、
一緒に仕事をしたり、
行動したりする。

しかし、この人たちの過去を
よく知るほど
皆と親密な関係ではない。

知らない部分が沢山あって、
お付き合いしていることが
ほとんどだ。

「この人、変だな」と思える人の
過去や事情を全く知らない。

相手が風変わりなせいで
自分に被害が及ぶのなら、
何らかの対策は必要だろう。

しかし、そうでなければ、
他人の中に見つけた「変」を
真に受けることなく、

大目に見て、
軽くスルーしてあげたほうがいい。

軽くスルーすることは、
完全に無視するのではなく、

真に受けるのでもなく、

「自分は分からないけれど
その人なりの事情があるのね」
と軽く受け止めてあげること。

「あの人、変だから」と言って、
非難することは、やめよう!

他人にそのことを話して、
一緒に悪口を言ったり、

変なことを理由に
虐めたりするのは、やめよう!

弱い人、劣った人と言い
馬鹿にするのは、やめよう!

オカシナ人、奇妙な人だと
嘲り笑うのも、やめよう!

その代わり、
なまあたたかく
見守ってあげるといい。

変な人には変になる
それなりの事情があるから。

自分はそれを知らない。

その事情を聞いても
理解できないかもしれない。

それはそれで構わない。

ただ、その人に対して
非難したり、嘲笑ったり、
ネガティブな扱いをするのは、
やめよう!