悲観的な自分でも、ダメな人間ではないから、安心して!

ポジティブ思考が素晴らしい
とされる社会では、

悲観的にしか
考えられない自分を、
「なんて情けないことか!」
と卑下する人もいる。

色々なことを
ネガティブに捉える自分を
「ダメな人間だ」と責める人もいる。

でも、聞いて!

悲観的な自分には、
そうなる事情があったのだから、
仕方ない。

自分は情けないのではなく、
ダメな人間なのでもない。

今回の話は、
悲観的にしか
考えられない人は、
なぜ、そうなったのか?
について。

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実は、私自身が
このことで長い間、
悩んでいた。

何かあった時には、
否定的に物事を捉えて、
委縮する自分がいた。

たとえば、試験で
不合格になった場合。

隣の席のAちゃんも
私と同様に不合格だった。

当然、その直後には、
私もAちゃんも、
とてもがっかりした。

しかし、Aちゃんの
立ち直りはかなり早かった。

失敗の原因を突き止めて、
次回は合格できるよう
前向きの姿勢で頑張っている。

そんなAちゃんは見れば、
私は自分が情けなく
感じられた。

なぜなら、私はその後もずっと
不合格になったことを悔やみ、
クヨクヨして落ち込んでいたから。

Aちゃんのように、
気持ちの切り替えが
どうしてもできなかったからだ。

「Aちゃん、すごいな~
それに比べて、私ときたら……
なんて、いつもネガティブなことか!」

私はそんな自分を
「ダメな人間だ」と思い、
自分を責めていた時期も長かった。

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しかし、私はある時、
とても大切な気づきをした。

その気づきがあった後には、
自分がなぜ、自分に対して
こんなに否定的なのか?
その原因が分かった。

それ以降、
悲観的な自分に対しても、
「仕方ないな」と受け入れて、
気持ちがラクになった。

その気づきとは、
人間は皆それぞれ
全く違った現実を
見ていること。

自分の身の周りにある
すべての事、物を見ておらず、
一部分しか見ていないこと。

悲観的な人には
ネガティブなものが
多く見えている。

だから、当然、
ネガティブになってしまうのだ。

その人が
どんな現実を見るかは、
過去の経験に左右されている。

正直言って、私は幼少期から
日本の実家で両親から
あまり良い扱いを受けていない。

それが原因で、自分は
「ダメな人間」、「できない人間」、
「バカで生きる価値のない人間だ」と
自分に対する不当な思い込みがある。

そのせいで、私は自分の
できない部分を沢山見て、
自分に対して
肯定的になれなかった。

そうなれない自分は、
劣った人間だからだと
長年、思っていたが、
実はそうではなかった。

生い立ちや事情が
私にネガティブな部分だけしか
見えないようにしていたので、

仕方なかったことだ
と今では確信している。

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この気づきのきっかけは、
認知科学者・苫米地英人先生の
本を読んだことだ。

「人は誰でも心理的盲点があり、
すべての物を見ているわけではなく、
見えない部分が大きい」

「人によって、
見える現実が全然違う」

これらのことを知って以来、
私がそれまで
不思議に思っていた現象も、
不思議ではなかったと納得した。

その不思議な現象とは、
全く同じことでも、
そのことを有頂天になって
喜ぶ人がいる一方で、

非常に落ち込んで、
鬱になってしまう人もいること。

なぜ、同じ経験をしても、
こんなに反応が違うのか?

その理由は、人それぞれ、
その出来事に対しての
捉え方や解釈が違うから。

では、なぜ、人によって
そんなに全然違う
捉え方や、解釈をするのか?

それは、人は皆、それぞれ
全く違う現実を見ているから。

見えている物が違えば、
同じことでも、
違うふうに感じるのも当然だ。

それでは、その人が
どんなものを見ているか?
その決め手になるのは何か?

その答えは、
その人の潜在意識の中に
蓄積されている
過去の膨大な記憶。

生まれた時から、今まで
どんな経験をしてきたか?

親からどのような言葉を
聞いてきたのか?

それによって、
潜在意識にある内容も
全く違うものになる。

もしも親から
否定的なことばかりを
言われ続ければ、

その否定的なものが
自分の中にどんどん入ってゆく。

するとポジティブなこと、
肯定できること、良いこと、
素晴らしいことが
身の回りにあっても、

それは見えなくなってしまう。

なぜなら、潜在意識が
ネガティブなものでいっぱいだから、

ネガティブなものしか
現実的には見えなくなる。

そんな否定的ものばかりを
日常的に見ていれば、

考え方や、捉え方、
解釈の仕方も否定的になるものだ。

そうなっても当然で、
何も不思議はない。

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本当は、この世の中には
闇もあれば、光もある。

ネガティブもあれば、
ポジティブもある。

プラスもあれば、
マイナスもある。

でも、私たち人間は
これらすべてを満遍なく
見ているわけではない。

人によって
見えている部分は
違うけれど、

皆が存在する物のすべての中で、
ほんの一部分しか見ていない。

もしも、同じ部屋の空間に
2人が同時期に居れば、
両者とも全く同じものを見ている
と思われがち。

同じ家に住んでいて、
同じような生活をしていれば、
同じような現実を体験している
と考えがちだ。

しかし、これは正しくない。

たとえ同じ空間内に同時に居ても、
同じ家族で同じ家に一緒に
暮らしていても、

一人一人、
見えているものは違う。

自分がよく知っているもの、
興味があるものに意識が向き、
それらは確実に見えるが、

そうではないものは、
たとえ自分の目の前にあっても、
その存在に気づかないことも多い。

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ある人が今の状態にあるのは、
その人の今までの
人生の歴史の積み重ねの結果だ。

生まれてから
どのように教育されて、

親からどんなことを
言われたり、見せられたりして、
育ってきたか?

どんな人たちと出会い、
どのような影響を受けたか?

どんな経験をして、
どのように生きてきたか?

どんな失敗をして、
どんな成功を収めたか?

その結果、どのようなことが
自分の身に起きたか?

一日一日の人生の積み重ねが
今の自分を作っている。

残念ながら、
幼少期や人生の早い時期に、
闇の部分ばかりを見て、
育った人もいる。

親ガチャに外れて、
子供の頃、かなり酷い目に
遭った人もいる。

この世の中には、実際には、
悪いことと、良いことと
両方が存在するけれど、

自分の境遇により、
世の中や人間の闇の部分を
沢山見せつけられて
育った人もいる。

子供の頃に
自分ではコントロール不可能な
理不尽な経験を多くすれば、

世の中や他人に対して、
不信感を抱いたり、

ネガティブ思考になり、
悲観的な考えばかりをすることも
全然不思議ではない。

おそらく、
私の隣の席のAちゃんは、
親から大きく励まされて
育ったのだろう。

「失敗は成功のもとだから、
失敗で学んで、次に活かそう」
というメッセージを親から
受け取っていたのだろう。

だから、失敗して
一時はがっかりしても、

直ぐに立ち直り、
「じゃあ、今度は
何に気をつければいい?」
と考えられて、前を向いて進んでゆけた。

それに対して、私はいつも
親からはダメ出しされて、

「ほら、言ったでしょ!
だから、あんたはダメなのよ!」
と非難され続けてきた。

その違いが、私とAちゃんの
「不合格」という出来事に対して、
捉え方を異なるものにさせた。

なぜなら、私とAちゃんは
見えているものが違うから。

見せているものが違う理由は、
それまでの私たちの経験が
全く違うからだ。

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ポジティブが素晴らしい
と賞賛される世の中では、

どうしてもポジティブに
考えられない!
と悩む人も出てくる。

「自分は否定的で
悲観的な考え方ばかりを
してしまう!」

と思えば、
ポジティブになれない自分を
「悪い人間だ」と情けなく思い、
自分を責める場合もある。

しかし、そんな人でも、
自分を卑下して、
落ち込む必要はない。

なぜなら、自分が悲観的なのは、
見える現実がネガティブなものに
溢れているから。

本当は、悪いことだけでなく、
良いことだってあるのに、

ネガティブしか見えないのは、
それまでの人生の経験で、

闇の部分だけを
多く見て来てしまったから。

人それぞれ事情は違っても、
暗い部分を
沢山経験してしまったから、
そのようになってしまったのだ。

だから、そんな自分を
責める必要はない。

「あの人はポジティブで
ステキだな」と感じられる人が
いた場合、

もしも、その人も
自分と同じような人生経験を
積んできたなら、

今のように明るく、ポジティブで
前向きには
なっていなかっただろう。

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今回の話で、私が一番言いたいのは、
悲観的な自分でも、そうなる事情が
あるのだから、しょうがない
ということ。

悲観的な自分を
責める必要はないことだ。

しかし、この話を
もう少し発展させて、
更に言うならば、

もし、自分の潜在意識の中に
入っているもののせいで、

このような悲観的な
状態になるのなら、

潜在意識の中に、
意識して自分で
良いものを沢山詰め込むよう
努めるのもありということ。

そうすれば、徐々に自分が見える世界も
違ったものになる。

そして、その結果、
自分の感じ方も
違ったものになり、

何か事が起きたときでも、
今までの自分とは
全然違う捉え方が可能になる。

悲観的なことは
必ずしも「悪」ではないが、

もしも、悲観的な自分が
嫌だったら、

最初にすべきことは、
自分の潜在意識の中に、
良いものを詰め込むことだろう。

そのために一番効果的なのは、
「良い言葉」「心地良い言葉」
「自分をいい気持ちに
してくれる言葉」を発すること。

これは今回のテーマではないので、
割愛するが、

興味がある人は、
「潜在意識を書き換える」
のキーワードで検索してみて!

今から自分に
「ステキな言葉」のシャワーを
浴びせて、

自分の底に眠るものを
変えてゆくといい。

そうすれば、
今までとは全く違うものが
見えるようになり、

感じ方も、振る舞い方も、
心地良い方向へ動いてゆく。