他人と自分を比べて、
自分のできなさや能力の低さに落ち込むのは
私が長年やってきたこと。
「Aちゃんは、あんなに賢いのに、
私は頑張っても、よく理解できない」。
「Bちゃんは、運動神経も抜群で美人。
それに比べて私はブスで、何をやっても鈍くさい」。
「Cちゃんは、あまり勉強しなくても、
成績はいつもトップレベル。
それに比べて、一生懸命努力している私は、
どんなにやってもダメだ」等々。
他人と自分を比較して、
自分のほうが劣っている。
自分のほうができないことにがっかりして、
気分が落ち込み、暗い気持ちになる。
大きな劣等感に襲われ、
「ああ、なんて自分はダメなんだろう。
情けないな。どうしょうもない」
と自分責めが始まり、
自分で自分を苦しめことが多かった。
しかし、どんなに自分を卑下していやしめても、
何も良いことは起きず、疲れてしまうだけだ。
劣等感に襲われれば、それだけで、
大きな精神エネルギーが奪われる。
心的エネルギーがどんどん外に漏れてゆき、
建設的なことは何一つしていないのに、
疲労困憊するだけだ。
こういう状態は、自分にとっては有益ではない。
自分を傷つけ、気分を落ち込ませるだけで、
ろくなことはない。
そう分かっているのに、
私は、子供の頃から、中年になるまで、
ずっとずっとこれをやり続けてきた。
こんなことをしても、自分の得にはならない
と知っていても、なぜか止めることができなかった。
40代後半のある日、ネット上で偶然見つけた
斎藤一人先生のトークに強く惹きつけられ、
それ以来、私は一人先生のトークを
むさぼるように聞くようになった。
「他人と比較する必要など一切ない。
それよりも、昨日の自分よりも、
今日の自分が少しでも良くなっていたら、
それで十分なんだ」という一人先生の言葉が
私の心に強く響いた。
一人先生に出会って以来、
私のマインドセットはすっかり変わった。
他人と自分を比較して
落ち込むことはほとんどなくなり、
少しずつでも自分が向上できるよう
自分のペースで日々、小さな挑戦をするようになった。
そのお陰で、この数年間は、精神的にも安定して、
幸せな気持ちで過ごせる時間も増えてきた。
しかし、最近、再び以前のような比較癖が
私のもとに戻って来てしまった。
そのきっかけは、YouTube投稿を始めたこと。
最初のうちは楽しみながらやっていたが、
YouTubeパートナープログラムに参加して以来、
先輩ユーチューバーたちと自分を比べて、
「ああ、本当に自分はダメだな」
と感じることが多くなった。
残念なことに、YouTubeは
他人との比較を煽るようなシステムだ。
視聴者数、登録チャンネル数、再生回数、
再生時間トータルなどの統計を
ダッシュボードに事細かに出力して、
「もっと頑張れ」というメッセージを送ってくる。
この数字を見ているだけで、
「ああ、最近、いい感じだ」と喜んだり、
「ヤバイ! 再生回数が落ちている」と嘆いたりしてしまう。
スコアボードの点数ばかりが気になり、
そのことで一喜一憂していた自分に気づいた。
それだけでなく、
自分と他のユーチューバーの数字を比べて、
「あの人は、こんなに成功しているのに、
自分はたったのこれだけ」とがっかりする。
自分のチャンネルをもっと伸ばしたくて、
色々工夫はしているものの、
思った通りに伸びない。
おそらく、私のビデオは、
ユーチューブのアルゴリズムに
上手く乗っていないのだろう。
どうしたら、上手く乗れるのか?
その方法がイマイチ分からず、
フラストレーションが溜まるばかりだ。
今の自分の状態を
客観的に観察すれば、
あまり良い方向へ進んでいない
と自覚できるほどだ。
YouTube活動のせいで、こんなことになるのなら、
いっそのこと止めてしまえばいいでは?と思うが、
せっかく始めて、ここまでこれたのに、
今止めてしまうのは絶対嫌だという気持ちも強い。
こんな感じで、最近は、
私はメンタル的に望ましい状態ではない。
今朝もなかなか目覚められなく、
目覚ましを止めて、30分余計に寝た。
それでも、なんだか気分が優れず、
朝食を頂きながら、ネガティブな気持ちが強くなり、
「なんか、しっくりこないな」と思いながら
一日のルーティンを始めたところだ。
こんな時に、
自分のネガティブ感情を抑えつけて、
ムリに明るくなろうと努めることはしたくない。
自分の中に湧いてくる自然な感情を否定しても、
その後、気分が晴れ晴れしたことは一度もないからだ。
自然に感じるものは、そのまま感じて、
感じ切ってしまったほうがマシだ
と分かっているからだ。
それと同様に、
比較するのは止めたほうがよい
と知りながらも、
やはり他人と比較してしまう自分がいる。
「他人との比較ではなく、
自分との比較にしよう」
と何度も自分に言い聞かせても、
自分の中にいるもう一人の自分が
それを拒否してくる。
そんな時に、自分が自然にやってしまうことを
力づくでやめさせようとしても、
あまり役には立たないものだ。
しっくりこない感があり、
なんだかモヤモヤしていて、
あまり周囲がはっきり見えない状態だ。
それでも、そのモヤモヤの隙間から、
もう一人の自分が私に声をかけてくれた。
「比較を止める努力はしなくてもいいよ。
ただし、比較することで、
自分を落ち込ませることだけは止めな。
そんなことをしても、良いことはないから。
それよりも、比較を上手く活用して、
試行錯誤の原動力にすればいいよ」という内容だ。
あのユーチューバーの話し方は魅力的で
視聴者を大きく惹きつける。
しかし、自分の声のトーンは平たくて、
なんだか説得力に欠ける。
そう感じたなら、
あのユーチューバーのように
自分も話せるようにするには、
どんなことを注意すればよいのだろうか?
自分なりに観察して、分析してみるとよい。
そして、今までの自分のやり方を少しだけ変えて、
あの素晴らしいユーチューバーと
似たような話し方ができないか?
自分で試してみればよい。
比較により劣等感だけを抱き、
落ち込んでネガティブ感情に支配されるのは、
何も建設的ではないが、
比較により、自分のどこを気を付ければ、
あの人のように良くできるのか?
試行錯誤のヒントにして、
色々な方法をトライできれば、
比較も決して悪いことではない。
比較をせずに、
自分のやり方だけしか見なければ、
自分のどこが問題なのか?
見つけることもないだろう。
それを避けるためにも、
他人が素晴らしくやっている点を
その人を沢山観察することで、
学ばせて頂ければよいのだ。
そういう点では、
比較は積極的にしてもよい。
自分より優れている人たちから、
どうすればあの人みたいにできるようになるか?
ヒントを与えて頂けるからだ。
他人との比較は、
自分の気持ちを落ち込ませるだけならば、
有益ではなく、ろくなことは起きない。
しかし、比較を上手く活用して、
上手にできる人を真似させて頂く。
その人と同じようになれるよう、
何をどう試せばよいのか?考えてみる。
自分の試行錯誤のヒントとして、
比較を賢く活用すれば、
他人との比較をする自分がいても、
破壊的な結果には繋がらない。
他人と比較してしまう自分を
ムリに抑える必要はない。
それは自然に起きることなので、
否定しても、気分は晴れないからだ。
他人との比較を
自分を落ち込ませるのに使うのではなく、
試行錯誤する時のヒントとして、
活用させて頂くこと。
それなら自分も良い方向へ進むことができるだろう。