私が心の病気を通して学んだ
貴重な気づきについて
お話したい。
今回の内容は、
多かれ少なかれ
誰にでも経験があるはず。
でも、あまり気づくことなく、
普通に生活している場合が
多いだろう。
私は以前、メンタルを酷く病み、
かなりツライ状況に
追い込まれた。
この経験があったからこそ、
このことに
気づけたのだと思う。
その気づきは、
「自分がフォーカスするものは、
実際のサイズ以上に
膨れ上がって見える」こと。
自分が注目したことが
拡大されて、
とても大きく見えるようになる
ということだ。
身の回りでは
他のことも
沢山起きているのに、
焦点が当たったものが
あまりにも大きくなりすぎて、
他の物はすっかり隠され、
全く見えなくなることも
珍しくない。
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たとえば、
自分の周囲には
A、B、C、D、E、F、G
という7つの事柄がある
と仮定する。
何らかのきっかけで、
自分はFに気を取られて、
Fに焦点が当たるようになれば、
自分にとって
Fが非常に大きく
見えるようになる。
実際のFの大きさは「1」
だとしても、
フォーカスを当てたところは
拡大して見えるもの。
自分の感覚的には
「8」くらいの大きさまで
膨れ上がってしまうのだ。
そのFに
もっと注目するようになれば、
Fは更に大きくなり、
「10」くらいのサイズにまで膨らむ。
ここで注意すべきことは、
Fの本当の大きさは「1」なのに、
自分の感じ方は「10」くらい。
実際の大きさよりも、
とてつもなく大きくなって
しまうことだ。
「10」まで膨れ上がったFのせいで、
本当はA、B、C、D、E、Gも
すぐ近くにあるのに、
それらは
見えづらくなる。
膨張したFのサイズにより、
他のものが
隠されてしまうことも
あるからだ。
たとえ目の前に
AとGがあっても、
自分の視界からはAもGも
消えてしまうことになる。
これは、
人間であれば、
誰でも経験していることだ。
自分の焦点が当たるところが、
実際のサイズよりも大きくなり、
拡大して見えるようになる。
それと同時に、
たとえ自分の近くにあっても、
見えなくなってしまうものも
あることだ。
ただ、普段はこんなことを
考えずに
生活しているだろう。
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私は子供の頃、
身体に特別異常はなくても、
メンタルヘルスが原因で
不快な症状が身体の様々な部分に
強く出た時期があった。
その時の不快な症状は、
あまりにも強烈で、
私の意識はその嫌な症状だけに
向いていた。
そんなことがあれば、
自分の意識がそこに向くのは、
不思議ではないし、
仕方のないことだ。
しかし、そればかりに
気を取られてしまったので、
もっともっと症状が
強く感じられ、
本当にシンドイ日々を送った。
そうなれば、
そのことで頭がいっぱいで、
他のことが周囲にあっても、
全く見えなくなる。
身体の具合の悪さに
自分自身が
支配されてしまい、
そのことだけが強く感じられ、
不快な症状に苦しむ以外は、
何もできなくなった。
ツラさだけが増幅して、
どうにもならない状態だ。
このような状態が
果てしなく続くような気がして、
絶望感に襲われた。
正直、「もうダメだ。
お終いだ」とまで思った。
実際に私がこのツライ症状に
どのくらいの期間
悩まされたかは分からない。
でも、その当時の私には
とんでもなく長く感じられた。
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私の心の病気は
かなり時間はかかったが、
徐々に回復していった。
そして、数年後には、
寛解と言えるまで
良い状態になった。
しかし、それでも時には、
昔経験したような
身体の不調を感じることも
未だにある。
特に
ストレスが溜まっている時に、
その状態になりやすい。
不快な症状が出てくれば、
以前ほどではないが、
やはりそこに自分の意識が
向いてしまう。
つまり症状に
フォーカスしてしまう
ということ。
するとやはり、
ツラさが増してきて、
かなりシンドク感じられる。
気にすれば気にするほど
症状が酷くなるのだ。
その不快な症状に
気を取られて、
それに焦点が当たれば、
不快さに執着するようになり、
自分の状態が
更に悪化してゆく。
しかし、なんらかのきっかけで
不快さを感じながらも、
他のことに
意識が向くようになれば、
その後の自分の感じ方は、
かなり違ってくる。
不快な症状は
確かにあっても、
あまり強くは感じられない。
確かにその症状を自覚できても、
あまり大したことではないと
まで思えるようになる。
そして、更に
意識を向けた活動に
専念しているうちに、
気がついたら、
「あれっ? あの具合の悪さは
いつのまにか消えていた!」
と驚くこともある。
身体の不快な症状が
私の元に戻ってきたり、
また、どこかへ消えて行ったりすることを
何度も繰り返すうちに、
このことに気づいた。
「焦点が当たるところが
必要以上に大きくなり、
それ以外が見えなくなってしまう」
ということに、気がついたのだ。
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メンタルヘルスが原因で
具合が悪くなったり、
また暫くしたら、良くなったり……。
こんなことを繰り返すうちに、
もう一つ別の気づきをした。
それは、心の病気は確かに
私の一部ではあっても、
それは、ほんの一部分
でしかないということだ。
自分という器の中には、
確かに心の病気が入っている。
しかし、器の中にあるものは、
病気だけではない。
他にももっと別のものが
沢山入っていると気づいた。
症状が一番酷くて、
辛かった時には、
「自分 イコール 病気」
と考えていた。
しかし、今では、
病気は自分のほんの一部。
しかも、小さな一部分でしかない
と考えるようになった。
つまり、自分には
病気でない部分も沢山あり、
普通に楽しく、
色々なことを経験して、
人生をエンジョーイできる時も
あると分かったのだ。
健常者と全く変わりなく
普通に生活できる時も多い。
だから、そんな時間を
思いっきり楽しめばいい
と思うようになった。
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もちろん、
時には昔のような症状が
出てきてしまうこともある。
でも、症状に自分の意識を向ければ、
実際のサイズよりも、
もっと大きくなることを知って以来、
病気に対する
私の向き合い方も
大きく変わった。
私は自分が感じる不快さを
否定はしない。
でも、だからと言って、その症状に
囚われることもしない。
その症状をそのまま自分の横に
置いておくことに決めた。
「ちょっと待っててね」と言って、
すぐ傍に一旦置いておく感じだ。
そして、全く別のことに
意図して意識を向けてみる。
もし、その別のことに
集中できるようになれば、
それまで自分の傍にいた不快さが
徐々に薄れてゆくのが
分かるからだ。
人間の脳は、
「複数のことに集中できない」
という性質がある。
これを上手く利用すればよい
と考えたわけだ。
感じている症状を
感じないようにしようと
頑張るのは、かえって逆効果。
だから、決してその症状を
否定することはない。
でも、それがあっても
そのことには囚われない。
意図して
そこに意識を集中させないよう
他の活動を始めてしまうのだ。
意図的に、他の活動に
自分の意識を向けるよう
努めていれば、
そのうちに、
それに専念するようになる。
すると不思議な現象が起きる。
知らぬ間にちょっと前まであった
不快な症状が、
すっかり消えていることもあるのだ!
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病気に限らず、どんなことでも、
意識を向けたもの、
フォーカスしたもの、
焦点を当てたものは、
大きく見えるようになる。
もし、今の状況があまりにも過酷で、
シンドイと感じる人がいれば、
このことを思い出して欲しい。
そのツライことは、
確実にあなたの傍にある。
しかし、もしかしたら、それに
フォーカスが当たりすぎているから、
必要以上にツラさが増して
感じるのではないだろうか?
本当は自分の近くに
良いこともあるのに、
その存在すら
見えないかもしれない。
ツラいことに一点集中すれば、
そればかりが大きく見えて、
視野が狭くなってしまうからだ。
ツラいこと、嫌なこと
不愉快なことがあった時、
そればかりに
フォーカスを当てれば、
その嫌なことが
実際の大きさ以上に
どんどん膨れ上がってゆく。
そして、そのうち、
それだけしか見えなくなる。
本当は、他のものもあるのに、
大きく膨れ上がった嫌なものが、
その他のものを
すべて隠してしまい、
自分の視界から消してしまう。
そして、
とてつもなく大きなサイズになった
不快なものに、
自分が支配されるようになれば、
もうそれだけしか
見えなくなってしまう。
そして、絶望的になる。
しかし、実際のところは、
自分の視野が一時的に
狭くなっているだけだ。
本当の状態は、
自分の感じる物とは
全然違うものだ。
嫌なことだけに
一点集中することをやめれば、
それが分かる。
もう自分には
明るい未来などない
と確信した私でさえ、
今ではごく普通の生活が
できている。
あの時、あんなこともあったのか、
と今では不思議に思えるほどだ。
たとえ絶望的に感じても、
長い人生の中では、
それはほんの一時的なもの。
だから、
自分を絶望的に感じさせるものに、
意識を集中させるのはやめよう!
そればかりに
囚われるのはやめよう!
そうすれば、そのうちに、
その不快なものは
小さくなってゆく。
どんなことでも、
注意を払ったものが
大きく見えるようになることを
ぜひ思い出して欲しい。
嫌なことを否定する必要はないが、
それに囚われるのはやめよう!
フォーカスを当てなければ、
そのうちに
薄れてゆくものだから。
その代わりに、
他のことに意識を向けよう!