異なる意見、考え方に寛容になれば、自分も幸せになれる

今回の話は
自分とは異なる意見や考え方に
寛容になろうという内容。

なぜこれを勧めるかは、
そうすることで
自分も幸せになれるからだ。

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自分とは異なる意見、考え方に
寛容になり、
心のしなやかさを持って
対応することは、
他人のためというよりも、
自分のためになることだ。

自分が信じる「正しい」を
徹底的に貫き通し、
それに反することに対して
非難、攻撃するようでは、
自分の心もかき乱されて、
安らかには生きられない。

「絶対に許せない!」と
身体をコチコチに強張らせ、
間違った考えをする人を
叩いて倒してやろう
と必死になっても、
良いことは何も起きない。

建設的、生産的なことは
成し遂げられず、
怒りやイライラにより
貴重な時間やエネルギーが
奪われてしまうだけだ。

相手に攻撃すれば、
自分も相手から仕返しされて、
その結果、人間関係も悪化する。

不愉快な気分になり、
ストレスも大になり、
平穏な心からはほど遠くなる。

怒りにより自律神経が乱れ、
心拍数や血圧が上昇し、
血流の悪化を
招くこともしばしば。

それにより、
老廃物や疲労物質が
排出されにくくなって、
体内に悪いものが
溜まってしまうことになる。

怒ると発生する活性酸素は
体を酸化させ、
錆びつかせてしまうものだ。

メンタル的にも、身体的にも
不健康になるだけで
望ましい状態ではない。

異なる意見や考え方にも
心のしなやかさを持ち
寛容な姿勢で対応できれば、
こんな目には遭わなくてすむ。

不毛な戦いにより
心が乱れることもなく、
身体や心を疲弊させることもなく、
貴重な時間や労力を
無駄にすることもない。

平穏な心を保ちやすくなり、
身体も心もリラックス。
心身の健康増進にも役立つ。

健康な体や心があれば、
幸せにも生きやすい。

それにより
得するのは自分自身なのだ。

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過去の私は
自分の信念を貫く
頑固な人間だった。

自分が正しいと信じることは、
とことん徹底して、
自分の中に深く根付く信念に
反することに遭えば、
戦いに挑む姿勢だった。

たとえば、私の中には、
「親は子供に対して
模範的でなくてはならない」
という信念があった。

そして、模範的な振る舞いが
できない実の両親に対して、
非難を浴びせることも多かった。

両親と話すたびに
意見の食い違いが起きた。

私にとっては、彼らの考えは
あまりにも幼稚であり、
そんな考え方をする両親を
絶対に許せないと思った。

この頃を振り返れば、
私は不幸な気持ちで
生活する時間が長かった。

両親に対してドロドロとした
怒りの感情を燃やすことも
しばしば。

いつもイライラして
楽しい気持ちにはなれない。

当然、建設的で有意義なことは
ほとんどできない状態だ。

おまけに
体も心もコチコチに固まり、
ストレスから来る体調不良に悩まされ、
「身体の調子が悪い!」と訴えることも
多かった。

今になれば分かるけれど、
私は自分で自分のことを
不必要に不幸にして、
不健康にしていたのだ。

そうすることで
得したことは何もなく、
自分は大損したと思える。

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「これが正しい」と思うことは、
自分にとっては正しくても、
他人にとっては
必ずしもそうではない。

自分の信じる「正しいこと」と
他人の信じる「正しいこと」は
異なる場合が多いのだ。

たとえば、「男女平等」が正しいこと
と思う人もいれば、
そうではないと信じる人もいる。

今の時代では
「人殺しはいけないことだ」
とほとんどの人が
口を揃えて言うだろう。

しかし、過去には
人殺しを肯定する時代もあった。

住む場所が違ったり、
時代が違ったりすれば、
「正しい」と思われることも
全然違ってくるものだ。

誰にとっても、いつの時代でも、
どこの場所でも、
万人に通用する絶対的に「正しいこと」
はどこにも存在しないのだ。

でも、これは当然のこと。

なぜなら、私たちの住む世界には
色々な人たちがいるからだ。

人それぞれ、
生まれ育った環境も違うし、
育ててくれた親も違う。

能力や性格、性質、年齢、性別
受けた教育なども皆違うし、
今まで経験したことも
全然異なるものだ。

自分が今置かれた状況も、
社会的な立場も人それぞれ。

よって多種多様な意見や考え方、
価値観が生まれても
全く不思議ではない。

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自分とは違った考え方や
価値観を持つ人にも
寛容な心で接するには、
次のことを大前提にすれば
役に立つ。

それは、人それぞれ
自分が正しいと信じるものがあり、
自分が正しい信じることは
他人と一致しなくても当たり前だ、
ということ。

そういうものだ
と最初から心得ていれば、
自分と違う意見を持つ人に会っても、
戦う気持ちも起きなくなるはず。

自分と異なる考えの人に対して
「まあ、そういう考えもあるね」
と軽く流せるようになる。

自分は自分にとっての
「正しい」を大切にすればよい。

それと同時に、他人には
その人にとっての「正しい」
があるから、それも尊重してあげる。

自分の正しいと信じることも、
他人の正しいと信じることも
同じように価値がある
と考えることだ。

この心構えがあるだけでも、
正義を振りかざして
意見の異なる他人を非難・攻撃し
不毛な喧嘩で
自分や他人を破壊することも防げる。

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様々な異なる考え方に
寛容になるには、
この世の中には色々な考え方や
価値観があることを認めること。

その上で心の内では
「いい加減」を採用すると効果的だ。

あることに凝り固まった
考え方をするのではなく、
「まあいいでしょ」という
姿勢を持つことだ。

いい加減は
「真剣に向き合わないで、
きちんとやらない」という
ネガティブなニュアンスはあるが、
心のしなやかさを保つには
とても大切なこと。

漢字で書けば「良い加減」
となる。

料理の味付けをするとき、
塩や砂糖は多すぎても、
少なすぎても、
美味しい料理はできない。

ちょうど良いさじ加減が必須だ。

「いい加減」は「適当」と同様に、
適切な度合いを意味しており、
一番の理想の状態だ。

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自分が正しいと思うことと
隣の人が正しいと思うことが
全く違う場合にも、
しなやかな心を持って
寛容に対応しよう。

その結果、
自分の得になることも
多いからだ。

この世の中には
様々な異なる考え方や価値観が
存在する事実を受け入れ、
心のいい加減さを持てれば、
自分とは違った意見や考えをする人にも
心のしなやかさをもって、
寛容に接することができる。

そうすることで
貴重な時間やエネルギーを
自分にとって意義ある活動に
注ぐことも可能だ。

おまけに
心の平穏は保たれ、
身体の状態も良好なものになり、
幸せな気持ちで生活できる時間も
増えるはず。

こちらの方が
自分にとっても
良いことばかり。

異なる考え方に
寛容になることで
自分自身が得できるのだ。

自分の信じる正義を掲げて
他人と戦うことはやめよう。

それよりも、
自分の正しいもよし。
あなたの正しいもよし。
という姿勢で
共存の道を進んでゆこう!