カウンセリングに通い始めてから最初の2~3カ月間は、私は正直、セッション内容の意図が分からなかった。カウンセラーのリンダが私に色々な質問をしてくる。それに対して私は一生懸命答えた。私がネガティブで好ましくない表現をすれば、リンダは私の話を遮り、適切な言葉に置き換えるよう教えてくれた。
カウンセリングというよりも、マンツーマンの英語のレッスンのような感じがした。日本にいた頃、私は英語学習に夢中だったが、ニュージーランドに住み始めて以来、英語が嫌いになってしまった。英語の勉強をずっと怠っていたので、長年海外生活をする割には、私の英語力は乏しかった。そのため、この機会にリンダから言葉の指導を頂くことは、悪くはないと考えた。
リンダとのセッションを繰り返すうちに、私は自らの話し方の癖に気づいた。リンダは「言葉の使い方が、その人の現実を創ること」を私に伝えたかったのだろう。私がそのことに気づいたある日、リンダは、私が長年知りたいと願っていたことを教えてくれた。私の「シックリこない感」がどこから来ているかだ。
リンダ:「緑、あなたは以前、自分のことがシックリこないと言ったでしょ。それは全く不思議なことではないですよ。今まであなたとお話してきて、そうなっても仕方ない、いや、むしろ当然だと思いました。あなたはPTSD(心的外傷後ストレス障害)があるんですよ」
私:「えっ、PTSDですか? PTSDのことはネットで読んだことがあります。死の恐怖を体験するような出来事に遭えば、そのショックでメンタルが病んでしまうことは知っています。ただ、私の場合は小学生の頃の出来事なので、もう何十年も前のことです。未だにその影響を受けているのは変だ、と両親からも言われてきました」
リンダ:「変じゃありませんよ。自然な反応と言ってもいいでしょう。あなたが今こういう状態にあるのは、自然な反応なんです。何もおかしくないですよ。ただ、あなたの今の心の状態はかなり不健康です。あなたの問題は、子供の頃に起きた事件のショックそのものより、その後に発展していった人間関係のトラウマによるものです。単なる事件のショックから、時間が経つにつれて、トラウマが複雑化していったんです」
私:「人間関係のトラウマですか….」
リンダ:「あなたは子供のとき、事件に遭った直後にきちんとセラピーを受けなかったのですか?」
私:「身体に不快な症状が強く出たとき、母は総合病院の内科と精神科に私を連れて行きました。でも、両方で全く異常がないと言われました。精神科医には、精神的に弱いからこのようになると説明を受けました」
リンダ:「そうなんですか???」
1970年代の日本では、PTSDの概念などなかった。精神科医でさえPTSDを知らず、当時心身ともにかなり苦しんでいた私のことを「弱い子供」と言うだけで、それ以上、何もできなかった。専門家よりそのような説明を受ければ、母だってそれを信じるしかないだろう。
どこも悪いところがないのに、身体の不調が酷いのは、医者が言ったように「弱い子だから」。「強くなるようスパルタ的に教育した方が子供のためだ」 と私の両親は考えたのかもしれない。その当時の私は、周りの大人たちに自分のことを分かって貰えず、その結果、非常に厳しい扱いを受けることになった。
両親も担任の先生に私のことを上手く説明できなかったので、当然、教師も私の奇妙な行動を正しく理解しなかった。そして、クラスの虐めっ子たちと一緒に、私のことを嘲り笑った。虐められるのが怖くて、学校へ行かなくなった私に、父は毎晩、体罰を与えた。父がスゴイ権幕で怒鳴り、私に蹴る、殴るなどの暴力を振るったとき、私は本気で「父に殺される」と思った。事件の日に「俺の言うことを聞かないと、お前を殺すぞ」と首を絞められ脅迫されたとき、私は死の恐怖を体験した。そのときの身体の感覚を、父から暴力を受けるたびに、私は再体験していた。
こういう状態が何カ月も続き、心身ともに自分の状態が悪くなってゆくのを感じていたとき、私のトラウマは単なるトラウマではなく、こんがらがって複雑化していったようだ。
もし、今現在、私が当時と同じような経験をして、精神内科を受診したなら、全く別の診断を受け、適切な処置が取られたと思う。PTSDのために、身心ともに強い反応が出ていると理解できたなら、その時点でセラピーを受けて、PTSDが複雑化してゆくのも防げたと信じる。
リンダとのセッションが終わって帰宅したあと、私は直ぐにネットで「複雑性PTSD」の情報を読み漁った。そして、すごく納得した。
事件後、身体の症状が出て一番苦しかったとき、周りの大人に正しく理解されず、父からは物理的な暴力を、母からは言葉の暴力を、同級生からは虐められ、担任の教師からは嘲り笑われ、私には誰一人信頼できる人がいなくなった。すべての人から見放されてしまったと思い込み、私は一人で心細く憂鬱な日々を送っていた。
人間は一人では生きられない生き物だ。大人であっても、人との心の触れ合いがなければ、生きてゆくことは難しい。当時10歳の私は、大人のサポートなしでは生きられない年齢だった。そんなときに、このような状況になったことが、私のトラウマを複雑化していく要因になったのだろう。
また、自分自身の中でのショックも大きかった。身体の異常がないのに、不快な身体の症状はかなり強かった。これは、私が精神的に弱いからだと言われたとき、私はとても強いショックを受けた。強くなって症状を感じなくしたくても、どうしてもできなかった。自分があまりにも酷い状態になり、普通の生活ができなくなったときには、自分自身に大きく失望した。
「強くなれない自分は劣っているからなんだ。このようになってしまった自分はどうしょうもない人間だ。ダメな人間だ。生きる価値のない人間だ」と自己否定が始まって、それがどんどん加速して、自分自身を大きく傷つけていった。こういう中で、私のトラウマは更に複雑化していったと考えられる。
リンダは言った。「残念ながら、トラウマを取り除くことはできません。でも、適切な訓練によって、トラウマと上手く付き合い、生活の質を上げることは可能です。今までのあなたよりも、もっと自信をもって、もっと幸せな気持ちで生きれるようになれるでしょう。私は喜んで、そのお手伝いをして差し上げますよ」と。
このような流れで、私はその後、「認知行動療法」と「マインドフルネス瞑想」に励むことになった。