ブラックエンジン

子供の頃から父より物理的な暴力を受け、母からはネガティブ言葉を浴びせられてきた私は、今までの人生の大半を「ブラックエンジン」を原動力として生きていた。しかし、こんな私でも、自分の背景にあったブラックエンジンに長年気づかなかった。

私は自己研鑽が大好きだ。若いころは語学、結婚してからはコンピューターの分野で常に何かを学んでいる。日本で会社勤めをしていた頃は、英語学習に力を注いでいた。仕事と同時に勉強して、英検2級を取得後、英検1級、国連英検A級、そして、通訳ガイド国家試験の勉強に励み、最終的にはこれらすべての試験にパスした。

会社でお世話になったW先輩は私のことを褒めて下さった。「緑ちゃんは本当に向上心があって偉いわね。あなたの努力は凄いわよ」と。W先輩は年齢的には私の両親と近い。そんな大先輩から褒められて、私はとても嬉しかった。

しかし、正直言えば、W先輩が言う「向上心があって頑張る」とは、かなり違っていた。それよりも、私は常に何かを勉強していないと心理的安定が得られなかった。

英検1級のための勉強に集中していたとき、私の心はかなり安定していた。何かを目指し、その何かに集中していると妙に心が落ち着いた。しかし、英検1級に合格して、その後、やることがなくなると、急に心の中がザワついた。常に何かを頑張っていなければ、私は不安を感じて、落ち着かなくなるのだ。

そんなわけで、英検1級の後は、国連英検受験のための勉強、それをクリアした後は、通訳ガイドの学校に入ることになった。

通訳ガイド国家試験に合格した翌年には、私はニュージーランドの大学に留学した。留学が終了して、現地で就職したときも、仕事をやりながらコンピューターのコースを取っていた。結婚して出産・育児の最中には新たに大学のコースを始め、子育てしながらインフォメーションシステムのディプロマコース取得のため大奮闘した。

2人の子供が小学生になったとき、私は大病をした。お腹の中に12センチくらいの大きな筋腫ができてしまい、子宮全摘手術を受けることになった。そのとき、私は少なくても6週間の休養を取るように医師から指示されていた。手術直後は身体の具合も悪く、寝床で過ごした時間も多い。しかし、3週間も経つうちに、また、じっとしていられなくなったのだ。

頑張ることは悪いことではないが、病気の時くらい、頑張るのを止めて身体を休ませてあげた方がよいと思った。そのことを理屈で分かっていても、実際には何もしないでいることに苦痛と不安を感じ始めた。

分析癖のある私は、「なぜ、自分はこうなんだろう? 」と考えた出した。そして、自分なりに行き着いた回答は「自分自身が両親から認めて貰えなかった悲しさを埋めるために、いろいろなことにチャレンジして、心の中の大きな穴を埋めようとしていた」ということだ。

両親と同居していた幼少期、青年期に、両親から認めて貰えなかった悲しさ、悔しさが今でも私の中にある。そのため、私は非常に欲求不満であった。そんな私は自己研鑽により、何かを達成することで、その欲求不満を晴らそうとしていた。

小学生の時、私を虐めたクラスの子供達や、学校の教師を、いつかは見返してやりたいと思ったことも確かだ。しかし、そういう気持ちよりも、両親から認めて貰えなかった寂しさを満たすために、何かに一生懸命にならざるを得なかった。つまり、私の頑張りは「不足感」から来ていた。

一つのことを終了すると、また別のことを始める。そして、それが終わるとまた次のことをやる。こういった形で、常に何かしていないと気が済まない。次々と色々なことをやり続けても、常に「不足感」があり、また、その次のことをしないと心が落ち着かなくなるのだ。

このブラックエンジンのお陰で今の自分があると思う。私が大嫌いな両親から地理的に遠く離れた国に永住できたのも、ブラックエンジンによる頑張りがなければ、実現していなかっただろう。そういう意味では、ブラックエンジンでも、良かったと言える。

しかし、心の充足感を得る点では、ブラックエンジンで動き続けることは、決して私を幸せにするものではないと気づいた。

「私はこれができない。でも、これを習得して、これができるようになったら、私は幸せになるに違いない」と始める前にはそう思う。しかし、それを実際に達成できた後は、どうであろうか? それでも満たされない自分がいるのだ。そして、まだ不足感があり、次のことをしないと気が済まないのだ。

こういう感じで次々とスキルを習得していくことは、客観的には自分のスキルレベルを上げていくことに繋がるが、「精神面で満たされる」ことは絶対にないと悟った。

これからの人生は「満たされた気分で生きたい」というのが私の強い願いである。心の穴を埋めるために、がむしゃらに何でもかんでも頑張るのではなく、「楽しいからやる」という視点に切り替えて、満足感の大きい人生を歩んでいければと思う。