元気に見えるあの人も、実は限界かもしれない?

外見と心の状態は、
いつも一致するとは限りません。

明るく振る舞い、
身なりを整えていても、
心の中では「消えてしまいたい」
と思うほど
追いつめられている人もいます。

そうした現実を理解することは、
とても大切です。

この記事では、
一見元気そうに見えても、
深い苦しみを抱えている人が
少なくないということについて
お伝えします。

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「外見=心の元気さ」とは限らない

「心を病んでいる」と聞くと、
多くの人が、元気がなく、やつれ、
身なりも乱れた姿を
思い浮かべがちです。

確かに、
うつ状態が深刻になると、
食事や睡眠、身だしなみといった
日常の行動が
難しくなることもあります。

しかし、
それがすべてではありません。

見た目には明るく
元気そうに見えても、
実は深い苦しみを抱えている人も
いるのです。

心の不調は、外見や行動に
一様に表れるものではありません。

笑顔で積極的に振る舞う人もいれば、
部屋にこもる人もいます。

一見、明るく社交的でも、
内面はギリギリの状態
ということもあれば、
外見だけでなく
生活全般に影響が出ることもあります。

病状の重さや、その人の性格、
対処の仕方は人それぞれ異なります。

そのため、
表面的な様子だけで
「この人は大丈夫」
と判断するのは適切ではありません。

「心の不調はこういうものだ」
という固定観念を持つのではなく、
「見た目や行動だけでは判断できない」
という前提を持つことが、
偏見や誤解をなくす
第一歩となるでしょう。

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「嘘だ」と決めつけるのはNG

見た目には元気そうな人が、
「実はとてもつらくて、
心が病んでいるんだ」
と誰かに打ち明けたとします。

そのとき、聞いた相手が
「そんなはずはない」
「あの人、あれだけ元気そうなのに」
「笑顔でおしゃれもしているし、
大丈夫でしょう」
「ジムで運動までしているのに、
病んでいるわけがない」と、
否定してしまうことがあります。

これは、
「外見と心の状態は一致する」
という思い込みによるものです。

しかし、
この考え方はとても危険です。

心の不調は、必ずしも見た目に
わかりやすく表れるわけではありません。

むしろ、「普通」に振る舞うことで、
必死に心のバランスを
保とうとしている人もいるからです。

したがって、
「そんなに元気そうなのに嘘でしょ」
と否定することは、
避けるべきです。

ぎりぎりの状態で保っている
外見や行動を否定されることで、
「誰にもわかってもらえない」と感じ、
さらに深く傷ついてしまうでしょう。

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「最後の砦」を守ろうとする人々

「心を病んでいるなら、何もできないはず」
という思い込みは誤りです。

たとえば、
ジムに通って運動をすることが、
その本人にとっては
とても重要なことであり、
心のバランスを保つための手段に
なっている場合もあるでしょう。

どんなに苦しくても、
「これだけは続けたい」
「ここだけは守りたい」という思いから、
無理をしてでも
運動を続けていることもあるのです。

そんな人に対して、
「ジムに行けるなら、病んでいるわけがない」
と言ってしまうのは、
その人の努力や価値観を
否定することにつながります。

実際には、外からは
「元気に体を動かしている」ように見えても、
内面では
悲鳴をあげているかもしれません。

もし、その人がジムにすら
行けなくなってしまったとしたら、
それは深刻な状態に陥っているサインでしょう。

ジムに通えている段階でも、
すでに危険な状態に近いことは
十分にあり得ます。

そのため、最後の砦を
必死に守ろうとしている人に対して、
その状態を否定することは
控えたほうが賢明です。

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「分からない」なら「分からない」でよい

心の病を経験したことがない人にとって、
それがどのようなものかを
実感するのは難しいでしょう。

でも、それは当然のことです。

人は、自分が経験したこと以外を
本当の意味で理解するのが
不可能だからです。

自分に理解できないものを前にすると、
ステレオタイプなイメージに頼りがちです。

たとえば、
「うつ病なら部屋から出られないはず」
「心を病んでいるなら
笑顔なんて作れるわけがない」といった
固定観念に当てはめてしまい、
「あなたの様子は違うから、そんなはずはない」
と決めつけてしまうことがあります。

しかし、
一人ひとりの苦しみ方は異なり、
ステレオタイプでは判断できません。

相手が「心を病んでいる」
と言っている以上、
「そんなはずはない」
「元気そうに見えるのにおかしい」
と否定する必要はないのです。

もし、「嘘だ」と
決めつけるような言葉を口にしてしまえば、
相手を傷つけてしまうでしょう。

私たちは誰しも、
自分の経験したことしか
本当の意味で理解できません。
それを自覚することが大切です。

分からないことについては
「分からないまま」でも構いません。

ただし、相手を否定したり、
ステレオタイプに当てはめて
勝手に判断したりするのは
避けたほうが無難です。

相手の言葉をそのまま受け止め、
無理にコメントせず、
「もし、私にできることがあれば、
遠慮なく言ってね」
と伝えるほうがよいでしょう。

「自分には分からない部分がある」
という事実を受け入れたうえで、
必要であれば力になりたい
という気持ちを伝えることが、
相手にとって
大きな救いとなるのです。

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あなたができること、できないこと

心の病は目に見えないからこそ、
周囲の人がどのように受け止めるかが
とても重要です。

もし、目の前の人が
「実は病んでいる」と打ち明けてきたなら、
表面的には元気そうに見えても、
「信じられない」と一刀両断するのではなく、
「そうなんだね」
とまず受け止めることが大切です。

心の病を経験したことがない人にとって、
その状態を理解するのは
難しいかもしれません。

ですが、
「分からないけど、否定しない」
という姿勢を持つだけでも、
相手を傷つけずにすむでしょう。

ときには、
相手に寄り添おうとするあまり、
「分かるよ」
と口にしてしまうことがあります。

しかし、相手にとっては
「そんなに軽々しく
分かるなんて言ってほしくない」
と感じる場合もあるのです。

そんなときは、「ごめん、私には
あなたの苦しみを
完全には理解できない。でも、
あなたの言うことを否定せず、
受け止めたいと思っているよ」
という姿勢で接するとよいでしょう。

そうすることで、相手も
「本当には分かってもらえなくても、
受け入れようとしてくれているんだな」
と感じることができます。

また、相手のために
何かしてあげたいという気持ちが
湧くこともあるでしょう。

しかし、無理に援助を押し付けるのは
逆効果になる場合もあります。

それよりも、「もし何かあったら、
遠慮なく言ってね」と伝え、
それ以上は踏み込まないことが大切です。

ただ優しく見守るだけでも、
相手にとっては
大きな救いになるからです。

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まとめ:病んでいる人を傷つけないために

この記事では、
一見元気そうに見えても、
実は心が深く病んでいる人がいること
についてお伝えしました。

見た目が明るい人ほど、
実はぎりぎりのところで
踏ん張っている可能性もあります。

周囲に笑顔を見せていても、
心の中では「もう限界」
と感じているかもしれません。

だからこそ、「心を病んでいるなら、
見た目にも表れるはず」という先入観を
捨てることが大切です。

もし相手が「実は心を病んでいる」
と打ち明けたなら、
それを嘘だと決めつけるのではなく、
まずは「そうだったんだね」
と受け止めることです。

経験がないのであれば、
「わからないけれど、否定はしないよ」
という姿勢で接し、
余計なコメントは控えたほうがよいでしょう。

こうした対応が、
苦しんでいる人に安心感を与え、
救いとなるからです。

心の悩みは目に見えないからこそ、
「そんなはずはない」と切り捨てるのではなく、
「そういうこともあるのだ」
と受け入れることが重要です。

特に、元気そうに見える人ほど、
「自分にとって大切な日常」を
何とか保とうと、
必死に頑張っていることもあるのです。

その姿を「矛盾だ」と言うのではなく、
「そういう形で踏ん張っているんだ」
と理解してあげましょう。

そうしてはじめて、
本当に苦しんでいる人を
追いつめることなく、
少しでも理解の橋を
つないでいけるのではないでしょうか?