50代に入ってから、
私はしばらくの間、
カウンセリングセッションに
通った時期がありました。
今回は、
カウンセリングを通じて気づかされた
自分自身の「認知の歪み」について
お話ししたいと思います。
かつての私だけでなく、
同じような認知の歪みで
自分を悩ませている人もいるでしょう。
「生きづらさ」を感じることが多い人は、
その原因として
自分自身の認知の歪みが
影響している可能性が高いです。
そういった方々に向けて、
私が経験した認知の歪みについて
シェアしたいと思います。
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ゼロヒャク思考の罠
最初に触れたいのは、
かつて私も陥っていた「0-100思考」
という考え方です。
例えば、テストで100点を目指し、
熱心に勉強していたとしましょう。
100点を取れたときは、
有頂天になって
「自分はやっぱり賢いんだ!」と
誇らしげに思います。
しかし、
95点しか取れなかった場合、
気持ちは一転してどん底へ沈みます。
5点足りなかったという
欠けた部分に焦点が当たり、
それを残念に思う気持ちが
強まるからです。
そうなれば、
「今までの気力はどこに消えたのか?」
と思うほど、がっかりして、
落ち込んでしまいます。
この「0-100思考」は、
極端に「0」か「100」しか選択肢がない
と考えてしまう思考の罠です。
つまり100点以外は、
すべて0点と同じように
感じるわけです。
完璧でなければ失格だ
と無意識に思っているのでしょう。
しかし、
実際は「0」でも「100」でもない、
例えば「65」や「80」といった中間の評価が
数多く存在します。
人間である限り、
完璧な人はどこにもいません。
どんな人でも
多かれ少なかれ欠点はあるものです。
にもかかわらず、
この「0-100思考」をしていた私は、
完璧を求め続け、
その達成ができなかったときには
自分自身を責め、ストレスを感じていました。
大抵のことは「0」でも「100」でもなく、
中間の点数が多いのが現実です。
このことに気づいてからは、
中間の評価を
素直に受け入れられるようになり、
心が少しずつ楽になりました。
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マイナス解釈の思考パターンからの脱却
続いて取り上げたいのは、
「マイナス解釈の思考パターン」
という問題です。
同じ出来事でも、
人それぞれ解釈が異なり、
それにより感じ方も
大いに違ってきます。
私はかつて、何が起きても
マイナスに解釈する癖がありました。
たとえば、困っているときに、
周囲の人が親切な言葉をかけてくれたり、
手を差し伸べてくれたとしても、
素直に受け入れられなかったのです。
それどころか
「この人は何か裏があるのでは?」と思い、
他人を疑ってしまうことさえありました。
また、何か嬉しい出来事があっても、
「こんなに良いことが起きたから、
次は何か悪いことが起こるのでは?」と、
喜ぶ前に未来への不安が募っていました。
私は、日常生活で起きる
ほとんどすべての出来事を
悪い方向に解釈していました。
そして、
「どうして私は幸せになれないんだろう」
と嘆いていたのです。
しかし、今は違います。
昔と今とでは、
生活の中で起こる出来事に
大きな変化はないと思います。
良いことも悪いことも起きますが、
自分のマイナス解釈の癖に気づき、
それを手放したことで、
感じ方が劇的に変わりました。
今では、
「人生には悪いことばかりではなく、
良いことも十分にある」
と実感しています。
マイナスな解釈の仕方は、
ただネガティブな感情を増幅させ、
自分を不幸にするだけです。
この癖に気づき、修正することで、
幸せを感じる時間が
確実に増えたと感じています。
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「こうあるべき」という思考の罠
かつて私も「~すべきだ」
という固定観念に縛られていました。
「こうあるべき思考」とは、
例えば、「男性は働いて家計を支えるべき、
女性は男性をサポートするべき」
といったものです。
これができなければ、
自分は失格だと感じてしまうのです。
特に私は、女性であるからには
料理や家事が得意でなければならない
と考えていました。
料理が下手な自分を
恥ずかしいと感じ、その結果、
自己肯定感も低くなっていました。
今考えると、これは母から受け継いだ
固定観念かもしれません。
そのように言われ続けたので、
その思考が強化されてしまったのです。
確かに、料理がうまい方がいいです。
しかし、
無理に料理を好きになろうと努力しても、
自分を苦しめるだけで、
何も良いことは起きませんでした。
「女性なら料理ができるべき」
という考え方が、
本当に合理的なのかどうか?
このことに気づき、
その観念を手放したところ、
心が軽くなりました。
今では、料理ができない自分を責めず、
逆にそれを受け入れています。
すると、
これでいいと思えるようになり、
自分自身を肯定する気持ちも
芽生えてきました。
私たちは誰もが、
何らかの「すべきだ」という
固定観念を持っています。
もちろん、
それがプラスに作用するなら
問題ありません。
しかし、自分を不必要に
苦しめるような思い込みは、
よく考えてみる価値があります。
自分の信念は一度定着すると、
当然のように受け入れてしまいます。
しかし、その中には
不当なものも
混じっているかもしれません。
そのような
自分を縛りつける信念に気づき、
それを手放すことで、
心は解放されます。
そうなれば、より多くの時間を
幸せな気持ちで
過ごせるようになるでしょう。
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認知の歪みに気づく、その一歩が進歩
自分の認知に
歪みがあると気づくだけで、
すでに大きな一歩を
踏み出しているのです。
今までしてきた習慣を変えるのは
容易なことではありませんが、
思考習慣も一瞬で
改善するわけではありません。
悪い思考のクセがあると自覚して、
それを手放そうと心がけていても、
時折、過去の思考に戻ってしまう瞬間も
あるでしょう。
しかし、そのような時に
落胆する必要はありません。
気づいた瞬間から、
それをやめるだけでも、
徐々に認知の歪みを
減らすことができます。
つまり、気づきから始まる修正が、
最終的には持続的な改善に
つながるのです。
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認知の歪みを修正するメリット
昔の私は強烈な色眼鏡をかけて、
自分や周囲を見ていたと思います。
今でも完全には透明なレンズに
なったわけではありませんが、
その色は以前よりも
大分薄くなってきたと実感しています。
それにより、私が享受した利点は
たくさんあります。
まず一つ目として、心の健康が改善し、
精神的な負担も
軽減されたと感じています。
以前は心に重い闇が
たくさん詰まっているように
思えましたが、
今ではその重さが少なくなり、
心が軽くなってきました。
二つ目に、物事をより客観的かつ現実的に
評価できるようになった
と感じています。
そのお陰で、適切な対応策も
見つけやすくなりました。
以前の私の認知の歪みは、
私自身の自己評価にも
悪影響を与えていました。
自己肯定感が低く、
自分を過小評価することも
多かったです。
しかし、
認知の歪みを修正することで、
自己肯定感が高まり、
自分に対する評価も
よりポジティブになりました。
認知の歪みに気づき、
それを手放すことで、
自分の感じ方や見える世界も
大きく変わったと実感しています。
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自分の認知の歪みを見つけ、自由な人生を歩もう!
認知の歪みは、私たち誰しもが
多かれ少なかれ
持っているものです。
そして、その歪みの種類も
様々なものがあります。
特に、「人生生きづらい!」
と感じている方には、
「自分にも認知の歪みがあるかもしれない」
と意識してみることをお勧めします。
その一歩が、生きづらさを軽減する
鍵になることでしょう。
心理学の書籍を参考にするのもよいですし、
インターネットで情報を探るのもよいでしょう。
私のように、自分が苦しいと感じたら、
プロの協力を求める選択肢もあります。
認知の歪みに気づき、
その束縛から解き放たれることで、
もっと自由で、心豊かな人生を
歩むことができるでしょう。