「この人は本当に優しいな」
と感じることがあります。
相手の気持ちを察して気遣ったり、
困っている人に
さりげなく手を差し伸べたり、
いつも穏やかな笑顔を見せてくれたり。
そんな姿に触れると、
「きっと生まれつき
優しい人なのだろう」
と思うことでしょう。
けれども、実際には
必ずしもそうとは限りません。
その優しさの裏には
「優しくしなければ、自分は
受け入れてもらえない」という
切実な思いが
潜んでいる場合があるのです。
この記事では、心からの
思いやりとしての優しさと、
自分を守るために表れる
優しさの違いに目を向けます。
そして、
防衛的な優しさによって
疲れてしまった人の心理を探り、
自分らしい生き方を
取り戻すためのヒントを考えます。
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同じ「優しさ」でも、背景は違うかもしれません
表面的には
同じように見える優しさでも、
健全なものと
そうでないものがあります。
健全な優しさとは、
自分の心の状態を大切にしつつ、
相手のことも思いやる
向社会性としての優しさです。
反対に不健全な優しさとは、
自分の感情や欲求を置き去りにし、
相手の機嫌や周囲の空気を優先してしまう、
防衛としての優しさを指します。
健全な優しさは、
「相手のためになりたい」という
純粋な思いから
自然に生まれるものです。
そのため、優しい行動をした後には
満足感や安らぎを感じやすく、
疲労感よりも充実感が勝るでしょう。
相手に喜んでもらえれば
嬉しいと感じますし、
無理なときには断ることもできます。
自分と相手、
両方の気持ちを大切にする
バランス感覚を持っているのです。
一方、防衛としての優しさは、
「嫌われてしまったら困る」
「怒らせてしまったら大変なことになる」
という恐れから生まれます。
動機は
相手のためというよりも、
緊張や対立を避け、
自分の安全を確保するためなのです。
その結果、行動の後に残るのは
安堵よりも消耗感で、
「また合わせてしまった」という
モヤモヤがつきまとうこともあるでしょう。
こうした反応は「迎合反応」
と呼ばれることがありますが、
危険や緊張を察知したときに、
相手に過度に合わせることで
自分の身を守ろうとする
自動的な反応とも言えるでしょう。
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優しさの奥にあるもの――あるケースから見えてくること
ある青年の話です。
彼は物腰が柔らかく、
誰の話にも熱心に耳を傾ける、
一見すると理想的な若者でした。
しかし、
その穏やかな表情の裏には、
深い疲労と孤独感がにじんでいました。
彼はこう語ります。
「僕は怒るという感情が
よくわからないんです。
悲しむことも苦手で。
ただ、周りが穏やかでいられるように、
ずっと気を遣い続けてきた気がします」
彼の家庭は、外から見れば
何の問題もないように思われました。
父親は責任感の強い会社員で、
母親は家庭を守る専業主婦。
しかし、父親は完璧主義で
感情の起伏が激しく、
母親は常にその顔色を窺いながら
過ごしていました。
そして知らず知らずのうちに、
母親は自分の不安や孤独感を
幼い息子に
向けるようになっていたのです。
こうして
この青年は子どもの頃から、
家族の感情を調整する役割を
担うようになりました。
父親の機嫌が悪ければ
母親をなだめ、
母親が落ち込めば
明るく振る舞う。
家の中の空気を
穏やかに保つことを最優先にし、
自分の感情や欲求は
後回しにするようになっていきました。
そうした環境では、
自分の怒りや悲しみを表に出すことは、
家族の平和を乱す「わがまま」
として受け止められるでしょう。
その結果、彼は
自分の感情を感じることが
できなくなっていったのです。
怒りが湧きそうになると
自動的に抑え込み、
悲しみがこみ上げても
「こんなことで悲しんではいけない」
と自分に言い聞かせる。
そうして長い年月をかけて、
自分の感情とのつながりが
少しずつ薄れていったのです。
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親役割化とそれがもたらす悪影響
このように
子どもが大人の役割を
担ってしまう状態を
「親役割化」と呼びます。
本来は
親や大人が負うべき責任や役割を、
子どもが引き受けてしまう
現象のことです。
具体的には、
親の相談相手になったり、
兄弟の世話をしたり、
大人が担うべき
生活実務をこなしたりと、
年齢にそぐわない負担を
抱えることを指します。
親役割化は、親が意図的に
子どもに重荷を課している
とは限りません。
親自身が
精神的に不安定であったり、
経済的な困難を抱えていたり、
夫婦関係に問題を
抱えていたりするとき、
無意識のうちに
子どもに頼ってしまうことが
あるのです。
子どもの側もまた、
家族の役に立ちたい
という素直な思いから、
その役割を進んで
担おうとすることがあります。
しかし、このような経験は
子どもの心の発達に悪影響を及ぼし、
成人後の心の健康や
人間関係のあり方に
長期的な影を残すことが、
多くの研究で示されています。
親役割化によって、
子どもは自分の感情を
素直に感じる機会を失います。
そのため「悲しいのに
悲しみを感じられない」
「本当は嫌なのに我慢してしまう」
といった体験を
繰り返すようになるのです。
本来なら子ども時代に、
安全な環境の中で怒りや悲しみ、
喜びを自由に表す練習を積むことが
健全な発達に欠かせません。
しかし、
それができないまま成長すると、
大人になったときに
自分の感情を
どう扱えばよいのか分からず、
感情を抑え込みすぎて
心身に不調を抱えたり、
逆に小さなきっかけで
爆発させてしまったりするのです。
また、同年代との関係にも
大きな影響があるでしょう。
家庭での関係のあり方を
友人関係にも持ち込んでしまい、
相手の世話を焼きすぎたり、
必要以上に合わせたりする傾向が
強まるのです。
一見「気配りができる子」
と評価されるかもしれませんが、
その裏では
自分を犠牲にしてしまうため、
対等で健全な関係を
築きにくくなるでしょう。
さらに、
社会に出たあとも影響は続きます。
人に甘えたり
助けを求めたりすることに
強い抵抗を感じ、すべてを
自分で抱え込もうとするのです。
また、
「人の期待に応えなければ愛されない」
という思い込みから過剰に努力し、
心身をすり減らすことも
少なくありません。
こうした生き方は
やがて慢性的な疲労感や虚しさを生み、
生きづらさへとつながっていくのです。
親役割化は、子どもの心に
長期的な影を落としかねません。
だからこそ、
大人が本来の責任を引き受け、
子どもが子どもらしく
成長できる環境を守ることが
何よりも大切なのです。
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親・養育者ができること
では、親役割化のような状況を
避けるために、親や養育者は
どのような点に
気をつければよいのでしょうか?
まず大切なのは、親や養育者が
自分の抱える問題を
子どもに背負わせないことです。
夫婦の不和や経済的な不安、
親自身のストレスといったものは、
子どもにとって重すぎる負担になります。
子どもに相談したり
愚痴を聞かせたりすると、
一見「頼りになる子」
に思えるかもしれませんが、
子どもの心には大きな重圧がかかり、
子どもらしく安心して過ごす時間が
奪われてしまうでしょう。
こうした問題は
大人同士で向き合い、
必要に応じて専門的な支援を
利用することが望ましいです。
次に重要なのは、
親が子どもにとって
「安全基地」となれることです。
安全基地とは、子どもが安心して
自分を表現でき、
困ったときや不安なときに
必ず戻ってこられる場所を指します。
親が安定した態度で
子どもに接することで、子どもは
「ここに戻れば大丈夫」という安心感を持ち、
外の世界に挑戦する勇気を
育むことができるでしょう。
さらに、子どもが
「子どもらしく生きられる環境」を
整えることも欠かせません。
年齢に合った遊びや学びの時間、
友人との交流、
のびのびと自由に過ごす体験は、
心の発達に必要不可欠です。
家庭での小さなお手伝いは
子どもの自立心を育てますが、
家族を支える重い責任を
担わせることは避けるべきです。
また、子どもの感情を否定せず、
ありのままを
受け入れる姿勢も大切です。
「寂しい」「悲しい」「腹が立つ」
といった気持ちを表したときに
「そんなこと思うべきじゃない」
と否定してしまうと、子どもは次第に
自分の感情を
押し殺すようになるでしょう。
感情を
そのまま受け止められる経験こそが、
自己肯定感の土台を築き、
将来にわたって
感情を健全に扱う力を養うのです。
そして日常の中で
「あなたはそのままで大切な存在だ」
と伝えることも忘れてはなりません。
子どもは
役に立つから愛されるのではなく、
存在そのものが尊重されている
と感じられることで、
心の安定を得るものです。
具体的には、
子どもの話を最後まで聴く、
子どもの気持ちに共感する、
小さな成功を一緒に喜ぶ、
失敗しても受け止める――
そうした日々の関わりこそが、
安心と信頼を育てていくでしょう。
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不健全な優しさに陥っている人が自分を取り戻すために
もし、あなたが
「不健全な優しさ」を
提供していると気づいたなら、
どうすればもっと楽に、
自分らしく
生きられるようになるのでしょうか?
最初のステップとして大切なのは、
意識を他人から自分へと
向け直すことです。
不健全な優しさを続けている人は、
周囲を優先することに慣れすぎていて、
自分の本当の気持ちに
気づきにくくなっています。
嬉しい、悲しい、腹が立つ、不安だ――
そうした感情を否定せず、
「これが今の自分の気持ちなんだ」
と認めてあげることから始めましょう。
その練習には
感情日記が役立ちます。
毎日数分でも、その日に感じたことを
短く書き留めるだけで、
自分の心に寄り添う習慣が
少しずつ育っていくでしょう。
次に意識してほしいのは、
自分の欲求や感情を
抑え込む必要はないということです。
「嫌われたくない」
「期待に応えなければならない」
という思いから、
本当は「嫌だ」「やりたくない」と感じても、
その気持ちをなかったことにしてしまう人は
少なくありません。
しかし、嫌なことに対して
「嫌です」と伝えるのは、
決してわがままではなく、
健全な自己尊重なのです。
そのために、
境界線を引く練習を
少しずつやってみましょう。
最初から大きな「ノー」を言うのは
難しいかもしれません。
だからこそ、気心の知れた友人に
「今日は気分が乗らないから
やめておくね」と伝える、
信頼できる同僚に
「今回は遠慮しておきます」と言ってみる――
そうした小さな挑戦から
始めてみることが大切です。
小さなノーを重ねていくことで、
自分を守る感覚が
徐々に育まれていくでしょう。
これまで他人を優先してきた人は、
そのような行動に
罪悪感を覚えるかもしれません。
しかし思い出してほしいのは、
無理をして
自己犠牲のうえで与える優しさよりも、
自分をしっかり満たしてから
自然にあふれ出る優しさのほうが、
ずっと楽で喜びも大きく、
人間関係も健全で長続きする
ということです。
疲れ果てながら与える優しさは、
表面上は
相手の役に立っているように見えても、
内側では少しずつ自分をすり減らしてしまい、
長続きしないでしょう。
一方、
自分の心が満たされているときに
自然と生まれる優しさは、
相手にとっても温かく、
あなたにとっても心地よいものです。
どちらが持続可能かを考えれば、
明らかでしょう。
優しさは
「我慢や義務感から生まれるもの」ではなく、
「自分が幸せだからこそ
自然にあふれ出すもの」であるべきなのです。
自分を後回しにせず、
まずは自分自身を満たしてあげること。
そのうえで
湧き出てくる優しさこそが、
相手との関係を
対等で健やかなものへと
育てていくでしょう。
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おわりに
この記事では、
健全な優しさと不健全な優しさの違い、
不健全な優しさの背景にある心理、
さらに親役割化がもたらす影響や、
そこから自分を取り戻すためのヒント
についてお伝えしました。
健全な優しさとは、
自分の気持ちを大切にしながら、
自然に相手へ思いやりを
向けられる関わり方です。
一方で、不健全な優しさは
恐れや不安から生まれ、
自分をすり減らしてしまいます。
親役割化のように、
子どもが年齢に見合わない責任を
担わされると、
子どもの心の発達や人間関係に
長期的な影響を及ぼしかねません。
そのため、親や養育者は
子どもに大人の問題を背負わせないこと、
安心して戻れる「安全基地」となれること、
そして子どもが子どもらしく過ごせる
環境を提供することが大切です。
不健全な優しさを
提供してしまう大人自身も、
いつからでも
自分を取り戻すことができます。
その第一歩は、
他人に向いていた意識を自分に戻し、
今の感情を否定せずに感じ取ることです。
そして、自分の気持ちを
抑え込まずに表現することや、
小さな「ノー」を積み重ねて
境界線を守ることが、健全な優しさへと
つながっていくでしょう。
何より大切なのは、
まず自分を満たすことです。
無理をして
自己犠牲のうえで与える優しさは
自分を疲弊させてしまい、
長続きはしないでしょう。
一方、
自分がしっかり満たされたときに
自然にあふれ出る優しさは、
あなたに喜びをもたらし、
相手との関係も
健全で温かいものにしてくれるでしょう。
優しさは
「我慢や義務感から生まれるもの」
ではなく、「自分が幸せだからこそ
自然にあふれ出すもの」
であるべきなのです。
もし「私は今まで
不健全な優しさを与えてきた」
と気づいたなら、
それは大きな一歩です。
そこから、これまで抑えてきた
自分の気持ちに耳を傾け、
自分を大切に扱う練習を
始めてみてください。
自分自身が十分に満たされることで、
あなたの優しさは
これまで以上に温かく、力強く、
そして持続するものへと
変わっていくでしょう。
どうか今日から、
自分を大切にする一歩を
踏み出してみてください。
その先に待っているのは、
あなた自身にとっても、
周囲の人にとっても、
より健やかで心地よい関係なのです。