環境と教育が未来を創る: 子どもたちの可能性の育み方

今回は、
私がニュージーランドで
32年間暮らしてきた中で、
「教育」に関して
強く感じたことについて
お話しします。

それは、教育や育った環境が、
個々の人が将来的に「できる人」になるか、
「できない人」になるかを
大きく左右するということです。

これは当たり前のように
思われるかもしれませんが、
実際にその影響力を実感したとき、
親として自分の子どもの可能性を
最大限に引き出すためには、
十分な注意が必要だと痛感しました。

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車のタイヤ交換を軽々とこなすたくましいNZ人女性

さて、私がどのような場面で
この教訓を得たのか、
具体的にお話ししましょう。

ニュージーランドに来たばかりのころ、
ニュージーランド人の女性が
どんなことでも自分一人で
素早くこなす姿に、
私は感銘を受けました。

同時に、自分自身は
彼らに比べて何もできないと感じ、
劣等感に苛まれたことがあります。

あるときのエピソードです。

ガソリンスタンドもお店も近くにない
田舎道をホストファミリーと
車で走っていたとき、
私たちは故障した車を見かけ、
ホストファーザーは車を停めて
助けを申し出ました。

ニュージーランドでは、
見ず知らずの人でも
困っている人を見かけると、
助けようとする風潮があります。

故障した車のドライバーは若い女性で、
タイヤがパンクしているようでした。

「大丈夫ですか? 
何か手伝えることがあれば」
とホストファーザーが言うと、
彼女は「大丈夫です。
タイヤがパンクしただけですから、
スペアタイヤで交換します」
と自信満々に答えました。

彼女は落ち着いてジャッキで車体を上げ、
パンクしたタイヤを取り外し、
新しいタイヤに付け替えました。

そして、ジャッキで車体を下ろし、
ナットをしっかり締め、
修理は完了しました。

その姿を見て、
私は驚きと感銘を受けました。

日本で車の運転すらしなかった私にとって、
この自立した女性の姿は
とても格好良く映りました。

しかし、彼女にとっては
日常の一コマにすぎなかったのです。

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電球が切れても、電球を取り替えられなかった母

これを見たとき、
私の頭の中には
昔の記憶が蘇りました。

それは、私が幼稚園のころ、
昭和中期のことです。

このニュージーランドの女性とは
対照的な出来事を思い出しました。

私たち家族は、
幼なじみの家族と
仲良くしていました。

その幼なじみのお父さんが
若くして癌で亡くなり、
母親と2人の子どもだけが
残されました。

そのお母さんは、
部屋の電球が切れても、
電球を取り替えることが
できなかったのです。

幸い、そのお母さんの妹が
近くに住んでおり、
妹の夫が電球が切れるたびに
取り替えに来てくれていました。

今となっては驚くかもしれませんが、
当時の日本では、電球の取り替えを
男性に任せる家庭もありました。

私自身も、このお母さんのように、
できないことが
たくさんあります。

新しい電気器具を購入しても、
使い方がわからず
困ることもしばしばです。

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性別による異なる教育が原因?

この国で生活していて、
周りの人たちがさまざまなことを
自分一人でできるのを見ると、
私は自分ができないことに
情けない気持ちになることもあります。

しかし、冷静に考えると、
これは私のせいではなく、
育った環境や受けた教育の違いが
原因だと思います。

私が子どものころの日本では、
男女の役割分担が一般的で、
男性は外で働き家族を支え、
女性は家庭内で子どもの世話や家事を担い、
夫をサポートする風潮がありました。

子どもたちにも
性別によって異なる教育が
行われていました。

たとえば、
男の子は「技術」の授業を受け、
女の子は「家庭科」の授業を
受けるのが一般的でした。

家庭でも、女の子には
料理、掃除、洗濯、裁縫などの家事を
手伝わせることが多く、
一方で男の子には
家事を手伝わせることは少なかったです。

私自身も保守的な家庭で育ち、
両親から家事全般を
手伝うように言われても、
その他の技術的なことは
ほとんど練習させてもらえませんでした。

電気器具の操作もその一つで、
私が触ろうとすると
「お前がやると壊れるから!」
と父に言われたこともありました。

そのため、
新しい電気器具を購入しても、
私は使い方がわからないことも
多いのでしょう。

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性別にかかわらず多様なチャレンジを奨励するNZの教育

ニュージーランドで長年暮らし、
地元の人々との関わり合いや
子どもたちの学校生活を観察する中で、
この国では性別にかかわらず
多様なチャレンジを子どもたちに奨励する
文化があると感じています。

車のタイヤ交換を手際よく行う彼女は、
おそらく子どものころから、
さまざまなことを自分でできるように
親に教えられて育ってきたのでしょう。

DIYが盛んなこの国では、
壊れたものを家のガレージで修理するのは
日常的なことです。

子どもたちも、親が修理する姿を見たり、
ときには手伝いながら、修理方法を
少しずつ学んでいくのでしょう。

車社会であるこの国では、
性別にかかわらずタイヤ交換方法を
親から学ぶのが一般的のようです。

その結果、パンクしても、
女性でも人に頼らずに
対処できるのです。

実際、ニュージーランドでは、
性別を問わず、子どもたちに
さまざまな実践をさせる傾向があります。

そのため、成人したときには、
女性でも男性でも同様にさまざまなことが
できるようになります。

これに対し、
電球を取り替えることが
できなかったお母さんは、
それまでに経験がなかったために
できなかったのです。

おそらく彼女は、小さなころから
「女の子だから、
電球の取り替え方を知らなくてもよい」
と言われて育ったのでしょう。

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育った環境や教育が生む大きな差異

電球の交換ができなかったお母さんと、
タイヤ交換を軽々とこなす
ニュージーランドの女性との間には、
潜在的な能力に大きな差があるわけではない
と思います。

ただ、小さなころから実践し、
練習してきたかどうかが、
その後の大きな違いを生むのです。

何事も、練習すれば
できるようになるものです。
やらなければできないのは当然です。

この経験から私が学んだことは、
子どもたちにさまざまなことに
挑戦する機会を与えることの重要性です。

男の子だから、女の子だから
といった区別なく、
子どもが興味を持ったことに
性別を問わず積極的に
取り組ませる姿勢が大切だと感じています。

確かに、子どもがはじめて挑戦する際、
うまくいかないこともあり、
親としてもどかしい思いをすることも
あるでしょう。

しかし、親が代わりにやってしまうと、
子どもは学ぶ機会を逃してしまいます。

はじめは不器用でも、
子どもが自ら実践できる環境を
整えることが大切だと
私は強く思います。

今後も、子どもたちにできるだけ
多くのチャレンジの機会を提供し、
彼らが自立した人間に
成長できるよう
サポートしていきたいと思います。

この話が
子育て中の親御さんの参考になれば
幸いです。

この件に関して
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リンクは以下の通りです。
https://youtu.be/7_S27TlNXZA?si=PcDbO-gjIB6JslYd