嫌なときには、はっきり「ノー」と言おう!

今回の話は、嫌なときには、
はっきり「ノー」と言おう!
という内容です。

このことは
当たり前のように思えますが、
実際に、日本人の中には
これができない人も
多いような気がします。

この記事では、
嫌なのに「ノー」と言えずにいれば、
どのような不都合が起こりうるのか?

また、どうすれば
「ノー」と言えるようになるかに
焦点を当てます。

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嫌だと言えずにモヤモヤしてしまうことはありませんか?

職務上の任務など、
どんな状況でも「ノー」
と言えるわけではありませんが、
自分が気乗りしない場合、
はっきり嫌だと言っても
構わない状況もあります。

そんなときでも、「ノー」と断れずに、
やりたくないことを引き受けてしまい、
自分を苦しめてしまう人も
少なくありません。

たとえば、友人から夜遅くに
「今日は本当につらいことがあったんだ。
少し話を聞いてほしい」と頼まれた場面を
想像してみてください。

自分も忙しい一日を終えて
とても疲れていて、
もう寝ようとしていたときです。

そんな場面でも、友人がつらいときには、
無理をしてでも
話を聞かなくてはならない
と感じる人もいるでしょう。

断りたいけれど、
断る勇気が出ずに、
結局は自己犠牲を
払うことになるかもしれません。

別の例としては、
義母からの望まない介入があります。

子どもの就職について、
自分としては
子どもの意向を尊重して
「A会社」を受けさせよう
と思っていました。

しかし、義母が「A会社よりも、
公務員になったほうがよい」
としつこくアドバイスしてきます。

こちらとしては迷惑に感じますが、
相手が義母だと
はっきりノーと言うこともできません。

そのため、
義母へは遠回しの表現をして、
伝えたいことが
伝わっているのか不明瞭なまま、
心にモヤモヤとした感情を
残してしまうこともあるでしょう。

このように日本では、嫌なことでも
はっきり「ノー」と言えずに
無理をしてしまうことや、
内心で不快な感情を抱え込んで
自分自身を苦しめる人も
少なくないのです。

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「ノー」とはっきり言えない日本人が多い背景

本来「ノー」とはっきり伝えることが
可能な場面でさえ、
それが難しいと感じる方々は、
幼い頃の家庭環境が
大きく影響しているのでしょう。

おそらく、ご両親に
自分の嫌だと感じる気持ちを
認めてもらえなかった
経験が多いのでしょう。

嫌なことに対しても、
子どもの頃に「ノー」と言うことが
受け入れられない環境で
育った可能性が高いです。

このように話すと、
親が悪役のように
思われてしまいがちですが、
それは違います。

というのも、親が子どもの「ノー」を
受け入れられなかった背後には、
それなりの理由があるからです。

日本特有の
「皆と同じでなければならない」
という文化的な風潮が
強いことが一因でしょう。

日本では、個人の意向よりも
集団に合わせることが
求められる場面が
少なくありません。

また、忍耐や自己犠牲を
美徳とする社会風潮が根強いため、
嫌であっても我慢をすることを
強いられた人もいるでしょう。

年功序列が色濃く残る日本では、
親の意見が尊重される傾向にあり、
立場の弱い子どもの意向は
無視されることも
珍しくありません。

このような背景から、
日本には、嫌でも「ノー」
と言えない人が
多いのではないかと思います。

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ノーと言えないことが引き起こす弊害

文化的背景があるにせよ、
嫌なときには「ノー」
とはっきり断れないのは、
好ましくない影響を
及ぼすことも多いです。

自分が嫌だと感じていても、
それを表現できずに
他人の意向に従うことで、
自己の感情や欲求を抑え込むことになり、
心に不満が積もりがちです。

たまになら
さほど問題にはならないでしょうが、
このようなことが頻繁にあれば、
自己の満足感が得られず、
欲求不満が増してゆくでしょう。

フラストレーションを感じ、
不満を抱えた状態で
過ごすようになります。

相手に対し、
はっきりと自分の気持ちを
伝えられないことで、
相手に敵意や怒りを
抱くことさえあります。

そうなれば、
普通に振る舞っているつもりでも、
非言語的なコミュニケーションで
敵意や怒りが相手に伝わってしまうことも
珍しくありません。

不満を持続させると、
人間関係の構築も
困難になります。

自分自身も幸せでなく、
おまけに人間関係も
悪化することでしょう。

嫌なときに「ノー」と言えないことは、
それだけでなく、
もっと恐ろしい弊害があります。

自分を押し殺して、
相手に合わせて
気乗りしないことを
やり続けていれば、
いづれは自分自身を見失うでしょう。

本来自分が
心底望むものが見えなくなり、
自分の本当の気持ちが
わからなくなってしまう
危険もあるのです。

そうなれば、他人主導で
人生を生きることになり、
他人の意向に自分の行動が左右され、
自分の人生を生きることも
できなくなります。

この状態は自分自身とつながっておらず、
真の喜びを感じることもなく、
幸福感を得ることもないでしょう。

これらのことが「ノー」と
はっきり言えないことが引き起こす
弊害なのです。

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やはり「ノー」と言ったほうがよい

そのような弊害を防ぐためには、
自分が気乗りしないときに
「ノー」と言うことが必要です。

ただ、その際には
言い方に配慮することも重要です。

感情的にならず、
自分の気持ちを率直かつ誠実に
伝えることがポイントです。

「アサーティブ」な態度が
求められるのです。

アサーティブとは、
相手の権利を侵害せずに、
自分の意見や要求を
率直に伝えることを意味します。

自分の主張を
一方的にするのではなく、
相手を尊重しつつ、
双方を平等に重視する姿勢のことです。

これにより、
建設的なコミュニケーションが
可能になるでしょう。

前述の例では、
こんな感じで返答してもよいでしょう。

「今日はとても疲れていて、
もう休みたいので、
今は話を聞けないけれど、
明日の夜9時までに電話してくれれば、
ゆっくり話を聞けると思うよ」
と伝えることができます。

もう一つの例では、
「お母さまの心配する気持ちは
ありがたく思いますが、
息子はA会社への就職を望んでいます。
私たち夫婦も息子の意向を尊重したいので、
この件については
お母さまにも息子の意見を
尊重していただければと思います」
と言ってもよいでしょう。

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「ノー」と言える自分になるために

ただ、これまで
「ノー」と言えなかった人が、
「これからは嫌なことにはノーと言おう!」
と心に決めても、すぐに変わるのは
難しいかもしれません。

そうした場合は、小さな「ノー」を言う
練習から始めるとよいでしょう。

まずは、日常の些細なことから
意識して「ノー」と言うことを
試みてみるのです。

たとえば、もしパートナーが
「今夜は餃子が食べたいな」
と提案してきたとしても、
自分がヘビーな食べ物を避けたいときは、
「今日はちょっと餃子は胃に重いから、
もっと軽いものでいいかな?」
と提案してみましょう。

最初は言いやすい相手から始め、
小さな「ノー」を積極的に伝えることで、
徐々に大きな「ノー」も
言えるようになります。

「ノー」と言う練習を重ねることで、
自然と「ノー」と言えるようになり、
自尊心も向上します。

自尊心が高まると、
アサーティブに
対等なコミュニケーションを
取ることも可能となり、
自分が本当に望むことを
追求しやすくなります。

そうなれば、幸福感も増し、
幸せな気持ちで
生活できるようになるでしょう。

今まで小さなことだから
と我慢していたことも、
これからは嫌なことに対しては
しっかりと「ノー」と言い、
自分自身を大切にすることで、
より豊かな人生を歩んでいきましょう!