今回は、
「人間は欠点があったほうがよい」
という話。
その理由は、
欠点があれば、その部分に
他人が入って来る余地が
あるからだ。
他人が入れば、
協力関係が生まれて、
一人では達成不可能な
大きなことも成し遂げられる。
このことをもっと詳しく
説明したい。
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欠点とは、「欠落した部分」。
別の言い方をすれば、
空白の部分ということ。
空白が全くなければ、
他のものが
入ることはできない。
空白があるからこそ、
何かが入ってくる余地がある。
このことを
人間の能力に当てはめれば、
欠点が全くなく、
すべてがパーフェクトの人は、
誰の助けも必要としないから、
助けてあげようと思う人もいない。
それに対して、
欠落部分のある人には、
欠けた部分を埋め合わせるのに、
「ヘルプしてあげよう」
と寄ってきてくれる人もいる。
どんなに有能な立派な人でも、
たった一人でやれることは
限度がある。
欠落部分があっても、
互いにできない部分を補い合い、
力を合わせて物事に臨めば、
驚くほど大きなことを
やり遂げることも可能だ。
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これは、私が昔の職場で
経験したこと。
同じ部署に
Kさんという優秀な先輩がいた。
Kさんは仕事の分野で
知識も豊富だし、
コンピュータースキルに長けていて、
様々なソフトウェアを使いこなし、
効率よくバリバリと働いていた。
Kさんの近くにいた私は、
できないことも多くて、
Kさんが色々なことを
テキパキこなす姿を見て、
引け目を感じることもしばしばだった。
非の打ちどころがない完璧なKさん。
自分の能力を最大限に発揮して、
充実感と満足感でいっぱいなのだろう、
と私は勝手に想像していた。
しかし、意外にも
そうではなかった。
その理由は、
Kさんは先輩たちから
親切を受けることが
ほとんどなかったからだ。
なんとなく寂しそうな
顔つきをしていることも
時々あった。
一方で、仕事ができない私は、
自然と先輩たちから
助け舟を出して貰ったり、
アドバイスを頂くことも多かった。
特にヘルプを求めなくても、
先輩たちのほうから近づいてきて、
分からないことを
教えてくれる。
「ちょっとこれは難しい!」
と言えば、積極的に
手伝ってくれる先輩もいた。
不思議なことは、
パーフェクトなKさんが
推進するプロジェクトよりも、
私が中心となって進める
プロジェクトのほうが
ずっと物事がスムーズに行ったこと。
なぜそうなのかは、
Kさんに協力する人が
少なかったのに対して、
私にヘルプしてくれる人が
多かったからだ。
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何かを達成する際、
自分一人で完結するよりも、
他人との協力で成し遂げる
ことのほうが多い。
大きな仕事をこなす時には
その傾向が強いだろう。
自分に欠点があるから、
その欠点を人との絆のきっかけに
できるのだ。
自分に足りない部分を
他人に補って貰う。
他人の不得意分野を
自分が助けてあげる。
お互いに欠落した部分を補い、
各々が得意分野を担当すれば、
チームとして大きな成果を
上げることも可能だ。
いくら優秀な人でも、
たった一人で大きなことを
完遂するのは困難だ。
欠落部分がある人たちがチームとなり、
自分の欠けたところを
他のメンバーに埋めて貰い、
自分も他の人に欠けた部分を
埋めるようにする。
団結して共同作業をしたほうが
最終的には
大きな結果を生み出せる。
団結を組むためには、絆が必要であり、
欠落した部分が絆として
上手く働いてくれるのだ。
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人間は一人では
生きられない存在だ。
他人と支え合いながら、
お互い自分のできることをやり、
力を合わせながら
共に生きて行くもの。
短所と長所の両方があり、
短所の部分は
他人に補って貰い、
長所の部分は
誰かできない人を助けてあげる。
助け合いながら
生きてゆくほうが
ラクだし、楽しいだろう。
自分の欠点を忌み嫌い
嘆く人は多いけれど、
このように考えれば、
嘆かなくてもよいはずだ。
欠落部分があるからこそ、
他人との絆を
深めやすくなる。
自分の欠落部分は
他人が入ってこれる余地だからだ。
欠点があるからこそ、
協力関係も生まれやすい。
よって、欠点は
他の人たちとの絆を結ぶ
重要なものだと考えられる。
欠点のある自分を
もっとポジティブに捉えよう!