良い親切と悪い親切。いったいどこがどう違うの?

「親切」と聞けば、
一般的には良いことだ
と思われる。

しかし、
善意の親切心でしたことでも、
悪い親切に
なってしまう場合もある。

親切には
良い親切と、悪い親切が
あるからだ。

今回の話は、
これらの違いについて。

良い親切か? 悪い親切か? 
決め手になる基準は
次の通りだ。

1)その親切により、
相手と自分に
どんな利益、不利益があるのか?

2)相手が一人では
どうしてもできないことを
お手伝いしてあげるのか?

詳しく説明しよう。

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1)その親切により、
相手と自分に
どんな利益、不利益があるのか?

簡単にできて、
負担にならない親切は
積極的にするとよい。

たとえば、
廊下に落ちているゴミを拾い
ゴミ箱に入れること。

ドアを開けて
周囲にいる人たちが
先に中に入れるよう
気遣いすること。

エレベーターの開きボタンを押し、
全員が乗り降りするまで
待ってあげること等々。

このような小さな気遣いは、
ラクにできて、
周りの人たちにも喜ばれる。

よって「良い親切」
になるだろう。

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しかし、
大きな自己犠牲を
払わなければできない親切は、
どうだろうか?

たとえば、
多忙な一日を終えて、
あなたは疲れ切っている。

夕食を済ませて、
「今夜は早めに就寝しよう」
と思っていた時、
携帯のベルが鳴った。

友人のAさんからだ。
Aさんはその日、
職場で大きなミスをして、
上司にこっぴどく叱られた。

意気消沈したAさんは、
あなたに慰めて貰いたくて、
電話してきたのだ。

Aさんの気持ちは
よく分かるが、
あなたもかなり疲れている。

普段ならば、Aさんの話を聞き、
慰めてあげたいと思うが、
その時は、あなたも余裕がなく、
話を聞く気持ちになれなかった。

それでもムリに
Aさんのために
尽くしてあげるべきだろうか?

その答えはノーだ。

自分も余裕がないのに、
ムリしてまで相手に親切に
する必要はないからだ。

Aさんには事情を話して、
翌日まで待って貰ったほうが
よいだろう。

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ただ、ここで問題なのは、
日本には不当な社会風潮が
あることだ。

「自己犠牲を払ってでも
相手に尽くすことが美徳だ」
という文化が日本にはある。

相手が困っていたならば、
自分は不利益を被っても、
相手を優先させて
助けてあげることが立派な行いだ
と考える人が多い。

これは、学校教育や、
テレビ等メディアの影響を受け、
多くの人たちが
不当に思い込まされたこと。

そういう思い込みがあれば、
疑うこともなく、
当然のように「そうするべきだ」
と信じてしまう。

しかし、本当に
正しいことだろうか?

本音ではやりたくないけれど、
「やるのが立派なことだ」
と考えるから、
ムリに嫌々親切にしてあげる。

でも、そういうのって、
親切を受ける側には
伝わってしまうものだ。

嫌々やっていることが
相手にも感じられて、
表面上は親切にされても、
不快な気分になってくる。

そこまでして
親切にする必要はないのでは?

理想的なのは、
まずは自分が自分に親切をして、
自分自身を満たしてあげること。

その結果、自分の幸せが
溢れるほど大きくなり、
幸せエネルギーに余裕が出てから
相手に分けてあげることだ。

これができれば、
親切は素晴らしい。

また、相手のためになることが、
自分のためにもなるという
ウィン・ウィン・シチュエーションを
作り出せるのなら、
これも「良い親切」になる。

大きな自己犠牲を払ってまで、
相手を優先させて、
親切をしなければならない
という考え方は、
捨ててしまったほうがマシだ。

それは単なる
不当な信念にすぎないからだ。

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2)相手が一人では
どうしてもできないことを
お手伝いしてあげるのか?

やる必要があるけれど、
何らかの事情により、
本人が一人ではできない場合。

こんな時に
協力してあげることは
「良い親切」になる。

たとえば、
足が不自由で
車椅子生活をする人は、
階段を上るのが難しい。

階段を上らなければ、
役所のオフィスに行き
必要な用事を済ませられない場合、

その人に代わって
役所のオフィスに行って
用を足してきてあげる行為は
「良い親切だ」と言える。

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しかし、
本人が頑張れば
自分でできることを、
他人が介入することは
「悪い親切」になる。

なぜなら、そうすることで
相手の依存心を強めて、
自立できない人を
作ってしまうからだ。

また、相手が自分でできることを
他人が取って代わるのは、
相手の能力を疑っており、
信用していないのと同じだ。

そういう姿勢は、
相手に対しても失礼だ。

例を挙げれば、
親が子供のために
先回りして色々なことを
やってあげること。

子供が頑張れば
自分でできることを
親が親切心でやってあげれば、

その時は、サッサとできて
簡単に物事を終了させられる。
よって子供もラクだろう。

しかし、これでは
子供自身は実践しないので、
学びのチャンスを
逃してしまうことになる。

そうすることで
子供はいつまでも
自分一人ではできず、
親に依存するはめになる。

多少時間がかかっても、
ちょっと大変でも、
子供自身がチャレンジすれば、
子供もそのやり方を学べる。

最初は上手く
できないだろう。

しかし、失敗しながらでも、
時間をかけながらでも、

それを実践するうちに、
新しいことが身に付き
子供は自分一人で
色々なことをできるようになる。

その結果、親から独立して、
生きて行ける人間になれるのだ。

本人に任せればよいことを
親が代わりにやってしまうのは、
子供の能力を
信じていないことにもなる。

これはかなり愚かな考え。
子供は親が思うよりも
ずっとしっかりしているからだ。

親子関係に限らず、
他人のために、あれもこれも
気を利かせて
不必要な親切をする人もいる。

親切を受ける側が
自分でできることも
やってあげることは、
お節介以外の何物でもない。

そんなお節介をして、
相手から感謝されず、
憤慨する人もいる。

しかし、これは
余計な親切をする側に
問題がある。

必要以上に
他人のことに介入するのは
適切ではないからだ。

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今回の話をまとめれば、
親切には良いものと
悪いものとがある。

良い親切とは次の通り。

親切により、
自分も他人も
ウィン・ウィンになる場合。

小さな心遣いで
周りの人たちを
喜ばせるような場合。

何らかの事情により、
どうしても必要なことが
自分一人でできない時、
お手伝いしてあげること。

逆に
悪い親切とは、
大きな自己犠牲を払い、
ムリしてまで
相手に尽くしてあげる場合。

相手の能力を無視して、
必要ないことまで
やってあげるような場合。

親切にしてあげたのに、
相手は自分に感謝しない
と嘆くような時。

親切にも良いものと、
悪いものとがあることを知り、
悪い親切はしないこと。
そして、良い親切だけを積極的にやろう!