今回は、
自分を否定的に感じる人に
向けた話。
「自分はダメだ!」、
「自分は情けない!」、
「できないことばかりだ!」、
「なんて性格が悪いんだ!」と
自分のネガティブ面ばかりに
目が向いてしまい、
劣等感に苛まれる人に
読んで欲しい内容だ。
自分のことを
情けなく思う気持ちは、
本当に
自分が情けない存在だから
なのだろうか?
実は、そうではなく、
他の理由があって
そのように感じるだけだ。
では、他の理由とは
いったい何なのか?
詳しく説明したい。
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4人のグループで
こんな実験をした。
4人の共通の知り合いである
Aさんについて、
彼女の悪いところを探して
書き出すように指示をした。
「Aさんは
片づけが全然できない人!」
「机の上がごちゃごちゃで、
大事な書類もゴミも
一緒に入り混じった状態だ。
もっと整理整頓できないものか!」
「そうそう、この前、彼女のせいで
重要な申請書が見つからなくて、
期限に間に合わない! と心配して、
本当にハラハラした!」
「Aさんは忘れものも多いし、
色々なものをなくすことも
よくある!」
「書類の記入漏れも時々あるし、
うっかりミスも少なくない!」
「やることが早いから、
彼女に任せておいたら、
抜けてるところが沢山あった!」
このように、Aさんに対して、
次から次へと
悪いところが出てきて、
まるでAさんを叩く会
のようになっていた。
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Aさんの悪いところを
すべて言い尽くした後には、
今度は彼女の良い面を
書き出すように指示が出た。
すると、最初のうちは
4人ともAさんの良いところが
なかなか言えない。
ちょっと前まで
Aさんの短所や欠点ばかりに
注目していたからだ。
悪いことばかりが強調されて、
良いことが思いつかないのだ。
でも、少ししてから、
4人のうちの一人がこう言った。
「Aさんって、新しいものや
知らないことに好奇心旺盛だよね」
「確かに彼女は未知のことでも、
物怖じしないで挑戦できる人だ!」
「勇気がある人
とも言えるかも?」
「好奇心旺盛で
チャレンジ精神に富む!」
「Aさんは時々、
突飛なアイデアを出して、
皆を驚かすよね」
「そうそう、彼女は
独創性に富んでいて、発想力がある」
「こんなこと考えるの? という
ちょっと外れた提案だったけど、
彼女の提案により、
効率的なやり方が生まれたから、
結果的には良かったよね」
「新しいことをする際、
皆がなかなか始められないのに、
Aさんは先頭を切って
スピーディーに動ける人だ!」
Aさんに関して
良いと思われることを
一人が言った後は、
他の人たちも
Aさんの優れた面を見つけて、
どんどん彼女の長けた点が
書き出されていったのだ。
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この実験で分かったことは、
特定の人を取り上げて、
その人の悪いところを探せば、
芋づる式に次から次へと
悪い点が出てくること。
しかし、その後、今度は
良い面に注目すれば、
これも同様にどんどんと
優れた点が出てくることだ。
Aさんは一人の人間。
でも、彼女のどの部分に
焦点を当てるかで、
Aさんが別人のように感じられる。
やろうと思えば、Aさんのことを
徹底的に貶すこともできるし、
逆に彼女をとことん
褒めまくることも可能だ。
Aさんのことを
悪く言おうと思えば、
いくらでも悪く言える。
それと同時に
彼女を良く言おうと思えば、
いくらでも良く言えるのだ。
ということは、
Aさんは悪い面もあるが、
同時に良い面も同じくらい
持ち合わせている
と結論付けてよいだろう。
しかし、彼女のどの部分に
フォーカスを当てるかで、
Aさんが素晴らしい人に
なったり、
逆に、とんでもない
欠点ばかりの人になったりも
してしまうのだ。
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これはAさんについての
実験だが、
Aさんを自分に
置き換えたらどうだろうか?
実は自分もAさんと同じように
悪い点もあれば、良い点もある。
長所もあれば、短所もあり、
得意なこともあれば、
不得意なこともある。
できることもあれば、
できないこともある。
それなのに、
自分を情けなく感じて
なぜ、劣等感に苛まれるのか?
その理由は、自分に欠けた部分、
できない部分、不得意部分に
焦点が当たっているからだ。
じつは、これが
大きな原因だと言える。
自分は自分の一部だけを
強調して見ており、
その部分を誇張しているのだ。
別の言い方をすれば、
自分に対して
「歪んだ見方をしている」
ということだ。
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なぜ、歪んだ見方を
するのだろうか?
それは、
それまでの人生の中で
そう思わされるような
経験を沢山してきたからだ。
小さな子供の頃から、
親に悪いところばかりを
指摘されて、
正すように教育されたから
かもしれない。
学校でも教師から
「ここがまだちょっとイマイチ!
ここをもっと頑張ろう!」
と苦手でできない部分を
上手くできるようにと
言われ続けてきたのだろう。
こういう風に
自分に欠けた部分、
足りないところに
注目するよう仕向けられれば、
自然と自分にはない部分に
フォーカスを当てるように
なるだろう。
それは当然のことで
何の不思議もない。
しかし、
自分には苦手でできないことが
あるのは確かでも、
それと同時に、よくできる部分、
他の人よりも長けた部分、
優れた部分もあるはずだ。
ただ、悪いことだけに
フォーカスが当たるから、
自分に良い面があっても
それになかなか気づけない。
その結果、
「なんて自分はダメなんだ!
情けない自分だな」と
劣等感を抱いてしまうのだ。
自分のことを
否定的に感じてしまう人は、
このことに気づくことが重要だ。
確かに、自分が情けない
と思うような点は
自分の中にあって、自分の一部だろう。
しかし、それはほんの一部分にすぎず、
自分には優れた点、良くできること、
素晴らしい面、秀た面も同時にある。
自分の良い面には
全く目を向けず、
見ていなければ、
自分が情けなく感じられても当然だ。
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もっと自分自身のことを
満遍なく歪みのない視点で
見つめることができれば、
自分を卑下して
落ち込むこともなくなるはず。
自分自身を情けないとか、
どうしょうもない人間だとか
感じることも少なくなる。
自分を否定的に感じて
生きる気力を失った人は、
まずは自分の見え方の歪みを
自覚することが必要だ。
そのことを自覚できたら、次は
自分の見方を正すことに
専念するとよい。
具体的には、
自分の良いところ探しを
意識的にやってみることだ。
今までずっと悪いところばかりを
探してきたので、
今ではすっかり
「自分の悪いところ探しの名人」
になっている。
その道の名人になれば、
無意識レベルでも、
自然とそれが上手に
できるようになる。
自分で気をつけていなければ、
自然と悪いところへ
目を向けてしまうのだ。
これは「癖」のようなものだ。
爪を噛む癖とか、
貧乏ゆすりをする癖とか、
普段からやり慣れたこと。
だから意識しなければ、
嫌でも自然とやってしまう。
よって、意図して
自分の悪い癖を自覚して、
その癖が出てきたら、
「ちょっと待って、
自分には良いところもあるでしょう」
と自分に言い聞かせ、
良いところにも
目を向けるよう努めることだ。
どんなことでも
一旦習慣化されれば、
そのことが
ラクにできるようになる。
良いところ探しにおいても、
最初のうちは頑張って
意図してやらなければ難しい。
しかし、これを少しずつでも
毎日やるようにしていれば、
そのうち徐々に慣れてくる。
そして、一旦慣れてしまえば、
もうこちらの勝ちだ。
悪いところのみならず、
良いところも満遍なく
歪みの少ない目で
自分自身を見れるようになる。
その結果、
自分自身を情けなく感じたり、
卑下したりすることも
減ってくる。
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今回の話をまとめれば、
自分を否定的に感じる人は、
歪んだ目で自分を見て
ジャッジしている。
本当は良い面、悪い面、
両方持ち合わせているのに、
悪い面だけに焦点を当てて、
良い面は全く見ていない。
これが自分を情けなく
感じる原因になっている。
もし、良い面にも注目して、
自分自身を満遍なく
歪みのない目で見れれば、
そんな気持ちも薄れてくる。
ただ、今までが
自分の悪いところ探しに
慣れているので、
最初のうちは意図的に
自分の良いところを
頑張って探すようにしなければ、
歪んだ見方を
正すことは難しい。
良いところを探すことを
少しずつでもやる習慣をつけ、
徐々に自分の見方を
歪みのないものにすることだ。
これができれば、
もう自分を卑下することも
情けなく思うこともなくなり、
劣等感に苛まれる問題は解決される。
自分の見方が
かなり歪んだものであると気づき、
まずは、それを正すことに努めよう!
そうすれば、現実の見え方も
自分自身の感じ方も
随分変わったものになる。
今までよりも、
ずっと心地よい感じ方が
できるだろう。