メンタル疾患と診断され、落ち込んでいる人へ。がっかりしないでいい!

今回は、
メンタル疾患の診断を受け、
気を落としている人に
向けた話。

がっかりしたり、
落ち込んだりする必要はない
という内容だ。

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心の病気には、
双極性障害、統合失調症、PTSD、
パニック障害、不安障害、発達障害、
パーソナリティー障害、摂食障害、
鬱病など、色々な病名がある。

具体的な病名をはっきりと
医師から告げられれば、
ショックに感じるのも当然のこと。

身体の病気とは違い、
心の病気は未だに
理解されない部分も多い。

精神的に弱い人がなる!
劣った人間がなる!と
勘違いしている人もいるくらいだ。

しかし、実際には、
これは大きな間違いだ。

心の病気は、
誰でも
罹る可能性のあるもの。

今まで病気とは無縁だった人でも、
突然、何らかの出来事をきっかけに
発症することも珍しくない。

心の病気は、
弱いからなるわけではない。

臆病だったからでもない。

劣った人間だから
なるわけでもない。

誰だって、
病気になるような条件が揃えば、
発病するものだ。

だから、病気になった自分を
情けないと思わなくてよい。

劣った人間だと思ったり、
卑下したりする必要は
全くないのだ。

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メンタル疾患の場合、
ある病名の診断を受けても、
必ずしもそれが正しい
ということでもない。

それが証拠に、
最初にある病名を告げられても、
数か月後に別の病名に
変わることも多々あるからだ。

心の病気は、身体の病気とは違い、
血液検査やCTスキャン、MRIなど
検査結果のデータをもとに
直接診断されることはない。

その代わりに、
症状や日常生活の様子について
質問する「問診」が
診断の中心になっている。

これはある意味
アバウトすぎて、
曖昧なものでもある。

問診の質問内容を見てみれば、
健常者でも
「これ自分に当てはまる!」
なんてこともしばしばある。

多かれ少なかれ、誰でも
病気の要素を持つのが
実際のところだ。

よって、自分が言われた
診断名に囚われても
あまり意味はない。

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それなら、病気の人と
そうでない人は、
どこが違うのか?

それは病気の要素により、
自分が困っていることが
あるかどうか?

これが重要なポイントだ。

もし、自分には
特定の病気の要素が
幾つかある場合でも、

それにより、
自分は何も困っておらず
日常生活が普通に
回っているのなら、
何も問題ないはず!

病気のことなど、
これっぽちも
考える必要はない。

そのまま放っておけば
よいだろう。

でも、もしも、
何らかの支障をきたしているなら、
治療に取り組んだり、
対策案を考えた方が望ましい。

その際、考えるべきことは、
「自分は何に困っているのか?」
この点に注目することだ。

たとえ同じ病名がついても
人によって、困っていることは
全然違うからだ。

自分が困っている点だけ
取り上げて、
それに対して、何ができるか?
考えてみるとよい。

頭の中で思考するだけでなく、
紙とペンを用意して、
書き出してみれば、分かりやすい。

どんな困ったことがあるのか?
具体的に一つ一つ
取り上げてみる。

それぞれの問題点において、
どうすれば、自分はラクになれるか?
考えてみることだ。

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たとえば、私の場合は、
過去にパニック障害の症状で、
苦しんだことがあった。

今では寛解した
と言ってよいほど
落ち着いた状態だ。

しかし、時々、未だに
発作の前触れに必ず起きる
身体の違和感を覚えることもある。

血糖値が低くなり、
空腹を感じる時、
この違和感が起こりやすい。

そのため、私はいつもカバンの中に
スナック類を入れて、
必要な時に直ぐに食べれるよう
工夫している。

また、血糖値の急降下が起きれば、、
発作の前触れ感覚になるので、
血糖値の上がり下がりを
緩やかにする食品類を選び、
食生活に気をつけている。

具体的には、
GI値(グリセミック・インデックス)
の低い食品類を食べて、
急激な血糖値の上下を
防ぐよう努めているのだ。

仕事をしていれば、
食べたい時に、食べれない
ということも、よくあること。

それが起きないよう
注意することも必要だ。

たとえば、
昼近くに
ミーティングが入っている場合。

時には、予定された終了時間に
ミーティングは終わらず、
延々と続くこともある。

そんな事態に備えて、
昼近くのミーティング前には、
予め軽く食べておくよう
気遣いしている。

このような
自分に対する気遣いや
ちょっとした工夫をするだけで、

私がパニック発作の
前触れ感覚を防ぐことは、
割と簡単にできることだ。

これは単なる一例。

人それぞれ何が困っているか
違うから、自分の場合は
どんなことを注意すれば、
困った点を防げるか?
に注目することだ。

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ちょっと前にお話した
私の例は、

パニック発作自体を
治療しようという
方向では動いていない。

どちらかと言えば、
パニック発作の前触れ感覚を
どのように防げるか? 
に注目している。

もちろん、投薬や精神療法で、
病気そのものを簡単に治せるのなら
病気自体を治療しよう、
という考えもありだ。

しかし、必ずしも、
直ぐに病気が治るわけでもないし、
場合によっては、
完治は期待できないこともある。

病気自体を治して
廃除しようと考えるよりも、

病気はそのままあってもよい。
でも、病気のために
自分が困っていることを、
どうにか軽くできないか?

何らかの工夫をすることで、
自分がもっとラクになれないか?

そちらの方に
時間やエネルギーを注いだ方が、
結果的には上手くいく。

その理由は、
病気を治そうと
頑張れば頑張るほど、

自分の意識が病気に向き、
病気に囚われてしまい、
逆効果になるから。

執着があるところには
改善は見られないからだ。

それよりも、
「もうしょうがないよ。
病気があってもいいんだ」
とよい意味で諦める。

そして、どうすれば、
病気により起こる不都合を
軽くできるか? 
を考えた方が、

病気に対する囚われが
なくなる分、
精神的にも解放されて、
気分的にもラクになれる。

自分の病気を
どうにかなくすのではなく、

病気により起きる
困った部分を、
自分が工夫することで、
困らなくするのがポイントだ。

よく考えてみれば、
意外にも、ちょっとした工夫で、
困ったことを困らなくすることは
さほど難しくはない。

近くにいる人たちの
協力が必要な場合もある。

そんな時には、事情を話して、
周囲の人たちからも、
自分の困った点を
助けて貰えるよう
お願いすればいい。

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もう一つ重要な点は、
病気は必ずしも
悪いことばかりではない
ということ。

通常は、病気があれば、
望ましくないことばかりを
考えてしまいがちだ。

でも、どんなことでも、
悪いことだけでなく、
良い面も存在する。

ただ、悪いことだけを
考えてしまい、
そこにフォーカスが当たるので、

良いことはあっても、
見えなくなってしまう。

たとえば、ADHDという
発達障害の病気の一種がある。

そのせいで、多動であり、
注意力が欠如していて、
落ち着きもなく、事故を起こすことも
しばしばだ。

これはADHDの悪い点。

そういう困った点は
確かにあるだろう。

でも、ADHDがあるからこそ、
次から次へと興味の対象が変わり、
新しいことに尻込みせず、
色々なことにどんどん挑戦できる。

これはADHDの利点だ。

この利点を大切にして、
それを活かす姿勢であれば、
前向きに生きて、
幸せを感じることも可能だ。

ADHDそのものを治そう
とするのではなく、

それはそれで
自分の性質として受け入れる。

悪い点により
自分が困ることを考えて、
なるべく困らないように
工夫すること。

それと同時に、積極的に
ADHDの利点を活かして、
どんどん新しいことに
挑戦してゆけばよい。

悪い面を嘆くのではなく、
工夫により
困った点を少なくする。

そして、良い面は
積極的に使うといい。

そうすれば、
自分に対しても
ポジティブに感じられ、
ラクな気持ちで生きられるはずだ。

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「自分は~の病気があるから」
と病名に囚われて、
「病気のせいで人生台無しだ」
と考える必要はない。

病気になるような条件が
すべて揃えば、
誰でも病気になる可能性は
あるのだから。

弱いから
病気になるわけでもないし、
劣っているからでもない。

病気になった自分は
ダメな人間ではないので、
自分を責めるのはやめよう!

心の病気の場合には、
診断自体も曖昧なことが多い。

健常者でさえ、ある病気の要素を
幾つも持ち合わせることだって
あるのだ。

病名に囚われるのではなく、
病気により、
自分が困っていることが
あるのならば、

その困ったことを
どうにかする方向で
対処した方が、建設的だ。

病気による不都合な点を
すべて書き出し、

それに対する
対処方法を一つ一つ考えて、
困った点をなくしたり、
少なくする方向で動いてみること。

また、病気でも、
それにより他の人よりも、
優れた点があるはず。

その優れた良い面に
もっとフォーカスを当て、
それを活かす姿勢の方がよい。

そうすれば、
ずっと穏やかな気持ちで
人生をより良く生きられる。

病気があっても、
けっこう楽しく
生活できるものだよ!