過去に起きた不快な出来事や、
トラウマに発展するような
強烈な嫌な思い出は、
振り返らない方がいいのだろうか?
今回は、その話について。
結論を最初に言えば、
その答えは、ケースバイケース。
状況に応じて、
忘れた方が望ましい場合もあれば、
振り返って、
再度考えた方が良い場合もある。
どんな時に、忘れた方がいいのか?
また、どんな場合に、
振り返った方が
より良い結果につながるのか?
それぞれお話してみたい。
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まずは、忘れた方が良い場合
について。
もう済んだことは、
どうもがこうと
その事実は変えられない。
起きてしまったことを
あれこれ後悔して、
悔やんだところで、
どうしょうもない。
今更どうにもならないことを
ずっと引きずり、
頭の中でグルグル回しても、
余計落ち込むだけで、建設的ではない。
それなら、いっそのこと、
振り返ることはなく、
水に流して、
すっかり忘れてしまうといい。
もし、それができて、
忘れることにより、
自分がスッキリするのなら、
もうそのことに戻らなくてもいい。
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しかし、自分が忘れたくても、
なぜだか、どうしても繰り返し
思い出してしまうこともある。
そんな場合には、
無理に忘れる努力をするよりも、
いったん昔に戻って、
そのことをじっくり考えてみよう!
何度も何度も
自分の元に戻ってくるのは、
その必要があるからだ。
「まだ、未解決の問題があるよ」
と教えてくれるものだからだ。
過去の事実は変えられなくても、
その出来事から学び、
将来に活かすチャンスがある
ということ。
「何が良くて、
何が悪かったのか?」
良かったことと、悪かったことの
両方を考えてみる機会になる。
悪かった部分は、
将来同じようなことが起きたら、
どうすればいいのか?
をじっくり考え、
備えることが可能だ。
たとえ悪い出来事でも、
細かく分ければ、その中にも
良かった要素も含まれるはず。
単に「自分が悪かったから」
と反省するだけではなく、
良かったことも同時に考え、
良かったことは、将来にも
やり続けていくことが重要だ。
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自分を取り巻く環境は、
良くも悪くも
自分に大きく影響する。
嫌なことが起きたため、
その環境から離れて、
別の環境に移ることもありだ。
劣悪な環境にいる場合は、
そこから抜け出し、
より良い環境を求めた方が
賢明だから。
しかし、新しい環境下でも、
以前と同じような問題が
起きることもある。
関わる人間は違っても、
本質的には同じことで
悩まされる場合も珍しくない。
おそらく、
「この場所でもダメだ!」
とがっかりするだろう。
そして、更に別の場所に
移るかもしれない。
移った先で
最初はハッピーに感じられ、
「ああ、良かった!」と安心する。
しかし、暫くすると再び、
以前起きたような問題が
自分を襲ってくる。
「何なんだ!
どいつもこいつも、
本当に困ったものだ!」
「なんて自分は
ツイてないんだろう!」
と嘆いてしまう。
でも、残念ながらこういう場合は、
相手や環境のせいだ
と言うよりも、
「自分自身が
学んだ方がいいことがある」
と捉えた方が賢明だ。
場所や、人を変えても、
似たような問題が起きるのは、
「自分が学ぶべきことを
未だ学んでいないから」。
その学びが終わるまでは、
「このことに気づいて!」
というメッセージが、
幾度も「不快な出来事」の形で訪れる。
それを無視して、
「相手が悪い!」
「環境が悪い!」と
文句を言い続けても、
何も良いことはなく、
出来事の深刻さが
増してくることも多い。
そうでもしないと気づけないから、
分かりやすい形で
見せてくれようとするためだ。
この学びが完了した後は、
もうその問題は、
自分の身の回りで
起きなくなるもの。
その必要がないからだ。
人間関係を変えても、
環境を変えても、
似たような不快な出来事が
繰り返すのなら、
一旦、立ち止まり、
冷静に考えてみるといい。
「もしかしたら、
自分はこの出来事により、
学ぶことがあるのだろう」。
自分自身と向き合うのは、
けっこうシンドイ作業だ。
しかし、謙虚な気持ちで
自分の心と向き合い、
何が起きたか?
どうして起きたか?
どうすれば、起きなくなるか?
冷静に考えてみれば、
後々自分は得することになる。
解決策が見えて来て、
その解決策を実践後には、
すっかりその問題から
解放されるようになるからだ。
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トラウマに発展するような
強烈な出来事さえ、
振り返ってみる価値はある。
なぜなら、その出来事が起きた
当時の自分と、
その後、多くの人生経験を積み、
精神的にも成熟した今の自分とは、
全く違う人間だから。
心の器が大きくなり、
余裕が生まれた時には、
過去を振り返ることは、
有意義なことだ。
その理由は、
その出来事が起きた当時の自分とは、
全く違う視点で、
物事を見つめることができるから。
幼少期に親から酷いことをされたり、
言われたりして、
それが後にトラウマとなり、
苦しんでいる人も少なくない。
「毒親」とか、「アダルトチルドレン」
という言葉が流行るのも、
多くの人たちが、親子関係に
悩んでいるからだろう。
親から受けた理不尽な扱いを
振り返った時、
その当時の自分と
全く同じ観方をして、
全く同じネガティブ感情に襲われて、
単に不快な思いをするのなら、
振り返らない方がいい。
しかし、その当時から
長い年月を経て、
自分自身も様々な人生経験を積み、
心の器も大きくなった時には、
当時の自分には見えなかったこと、
理解できなかったことも
見えるようになる。
同じ出来事に対しても、
昔の自分の解釈とは、
違った解釈ができるようになる。
「大人の解釈が可能になる」
と言うことだ。
子供の頃は、自分の立場しか
見えていない。
自分自身のことで精一杯で、
主観的にしか考えられなかった。
しかし、自分の幼少期を振り返り、
大人の目で見た時には、
もっと広い視野を持ち、客観視できる。
あの時、お父さんは私に対して、
こんなに酷いことをした。
でも、お父さんの立場では、
どうだったのか?
お母さんも、酷い言葉を
私に投げかけて、
私の心を深く傷つけた。
でも、お母さんは
どうしてそんなことを言ったのか?
お母さんの立場では、
どうだったのか?
子供の頃は、
自分の立場でしか
物事が考えられないが、
大人になった時、
自分の立場と同時に、
相手の立場にもなり、
彼らはどうだったのか?
と考える余裕が出てくる。
きっとお父さんは、
仕事でストレスが大きくて、
自分自身も大変だったのだろう。
職場で嫌なことがあっても、
家族を養うために、
仕事を辞めるわけにはいかない。
お父さんはお父さんなりに、
一生懸命頑張った。
でも、仕事から帰宅後は、
気が抜けて、ストレス発散のため
お母さんに当たってしまったのだろう。
八つ当たりされたお母さんも
不愉快に感じる。
他に誰にも話す人がいなくて、
本当は言いたくなかったけれど、
近くにいる子供に
文句を言ってしまったのだろう。
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冷静に考えれば、
いくら親でも、
一人の人間にすぎない。
不完璧な人間にすぎないのだ。
理想的には、子供に優しく接して、
いつでも立派に振る舞うのが
望ましいことだ。
しかし、人間である以上、
いつもそれができるとは限らない。
自分自身のことを考えれば、
分かるだろう。
自分だって、本当はいけないことだ
と感じていながら、
近くにいる子供に
言わない方がいいことも
口走ってしまう。
良い親になろう! と
一生懸命努力しても、
色々な事情があるから、
いつでもそうできるわけではない。
親は子供にとっては
大切な存在なので、
立派な人間であって欲しいと期待する。
しかし、本当は、親も自分と同じ
「不完璧な人間」にすぎない。
自分よりも何十年か
早く生まれただけで、
自分と全く同じ「人間」だ。
理想的な親の姿を頭に描いて、
そうなって欲しい
と願う気持ちはあっても、
それを期待するのは、
あまり現実的ではない。
自分の理想と、現実の親の姿が
違うからと言い、幻滅して
一方的に親を責めるのも
どうだろうか?
親は親なりに、毎日頑張ってきた。
お金のやりくりもして、
その上、子育てもしていた。
仕事で疲れている時もある。
自分自身も精一杯で、
子供のことを考える余裕がなく、
子供のためになることを
できない時もあった。
一生懸命頑張っていても、
厳しい状況であり、
良いと思われることを
できなかった時もあるだろう。
親だって、自分と同じなのだ。
大人の視点で客観的に見れれば、
出来事に対する解釈も
随分違ったものになる。
すると、その出来事に対する
感じ方も変わって来る。
もし、このように
昔の自分の視点とは
違った視点で観れるようになった時には、
昔のことを振り返り、
再度考えてみることも
悪いことではないだろう。
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トラウマ問題を
インナーチャイルドの癒しにより、
軽減したり、解決できる人もいる。
それはそれで素晴らしい。
しかし、それができなくても、
残念に思う必要はない。
なぜなら、
心の傷を負ってしまったから、
自分の人生が不幸に終わる
ということではないから。
もちろん、短期的な視点では、
大変なことが多くて、
シンドイ苦労も沢山ある。
しかし、人生をもっと長いスパンで
見つめたときに、
そのトラウマにより、
自分自身が成長できる機会もある。
こんな酷い経験をしたからこそ、
見える部分や、
理解できる部分がある。
似たような境遇の人たちにも
思いやりや優しい気持ちを
持つこともできる。
一般的にはトラウマは悪い物であり、
ない方がいいはず。
しかし、トラウマを越えた先にある
成長を経験して、
明るい光を見ることも可能だ。
それにより、更なる発展が
見込まれる。
だから、振り返ってもいい。
ただし、振り返るのは、
適切な時期を選ぶことが重要。
その時期になる前に
焦って振り返りをすれば、
逆効果になることもあるから。
適切な時期が来た時に、
積極的に振り返り、
より広い視野で、客観的に
昔のことを考えるのは、
とても意義あることだ。
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今回の話をまとめれば、
過去の嫌な出来事は、
水に流して、すっかり忘れる方が
良い場合もあるが、
必ずしもそうではない。
振り返った方が良いのは、
自分の心の内で
まだその問題が未解決の場合。
自分が学ぶべきことを
未だ学べていない場合。
昔の自分の視点とは、
違う視点で観れるようになった場合。
こんな時には、
すっかり忘れてしまうより、
もう一度、昔のことに
振り返る価値がある。
なぜなら、
必要な学びをしたり、
心の内で解決すべきことを
解決したりできるから。
また、別の視点で観て、
別の解釈をして、
自分自身を更に成長させることが
可能になるからだ。