メンタルを病む人が近くにいたら、どう接すればいい?

家族や親しい友人が
メンタルを酷く病んだ場合、

自分はどう接すれば
いいのだろうか?

理想的な接し方は
状況やその個人によって
違うだろう。

しかし、多くの場合に言える
「これだけはしない方がいい」
ということはある。

今回は、子供の頃、
普通の社会生活が困難なほど
メンタルを酷く病んだ私が、
自分の経験を通して、感じたことを
お話したい。

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最近、鬱病に苦しむ人から、
こんな話を聞いた。

「家族の理解が乏しい!」
と嘆く内容だ。

一番、症状が酷かった頃には、
家族は何も言わなかった。

しかし、
少し病状が良くなった時、
母親はこう言った。

「もうそろそろ、
就職のことを考えた方が
いいんじゃない?」と。

そして、父親は
「いいな~、お前は。
一日中ダラダラ過ごせて!」と
嫌味ったらしく言ったそうだ。

更に「誰にだって、
身体がだるいことなんて、
普通にあるんだよ」と言われ、
非難されている気がして、
不愉快になったらしい。

そんな親の言葉を聞いたら、
余計、体調が悪くなったそうだ。

家庭内でも肩身が狭く、
居心地が非常に悪い
という話だった。

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この話を聞いた時、
私も自分の過去のことを
思い出した。

小学校高学年の頃、
私はある事件をきっかけに
メンタルを酷く病んだことがある。

心が不安定になるだけでなく、
身体に不快な症状が
次から次へと出てきて、
とても苦しい状態だった。

具体的に
どんな症状があったのか?

まず、喉の奥に
物が詰まった感じが強く、
固形の食べ物が飲み込めなくなった。

時々、心臓がバクバクとして、
同時に息苦しさに襲われた。

両腕に痺れを感じて、
胃がムカムカとして、
気分が悪くなることも多かった。

トイレが異様に近くなり、
強い尿意を催して、
30分に一度はトイレに駆け込む状態。

しかし、トイレに行っても
尿はちょろちょろとしか出なかった。

毎朝、強い吐き気に襲われ、
歯磨きすれば、嘔吐するのでは
という恐怖に襲われた。

疲れていても、夜は、
なかなか寝付けない。

ウトウトすることはあっても、
熟眠することなく、
途中で何度も目が覚めた。

そして、そのたびに
トイレに行った。

当然、昼間は力も出ないし、
ぼーっとして
目の焦点も合わない。

こんな状態で
病院へ行って検査を受けたが、
「何も異常はありません」
と言われるだけだった。

精神科に行っても、
「何も異常はありません。
弱い子供だから、こうなるんです」
と精神科医からはキツイ言葉を
受け取った。

1970年後半の日本では
まだPTSDの概念がなかったから、
こう診断されても、
仕方なかったのだろう。

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その当時、一番ツラかったのは、
身体の不快な症状が
かなり強かったのに、
誰にも理解されなかったこと。

そして、親からは、
「弱い子だから、こうなるんだ!」
「怠けているから、
こうなるんだ!」と責められて、

「もっと厳しく躾けなければ、
いけない!」とスパルタ的に
酷い扱いを受けたこと。

具体的には、父から
暴力を振るわれる日が
毎日のように続いたことだ。

喉の奥に
物が詰まっている感覚があり、
違和感で苦しんだ。

それでも、喉には
何も異常はなかった。

頻繁に強い尿意を催して、
トイレに駆け込むこともしばしば。

それでも、膀胱にも
何も異常はない。

心臓が壊れてしまうのでは?
と心配するほど、ドキドキが激しく、
息苦しさも強かった。

それでも、心臓も、肺も
何も異常はない。

胃がムカムカとして、
時には強い吐き気に襲われる。

それでも、胃腸に
何も異常は見られなかった。

「身体の不快の症状は、
お前の精神が弱いから、
そうなるんだ!」とか、

「気のせいだから、
気にするな!
もっとしっかりしろ!」と
叱られるだけ。

親からも、学校の教師からも、
全く理解されなかった。

そんなことを言われても、
やはり、私の体調は悪かった。

「気のせいだ」と言って、
片づけられるほど
ちょっとした不快感でもなかった。

身体に出た様々な症状は
かなり強く感じられて、
動けなくなるほど、酷いことも
しばしばあった。

私にとって、
一番ツラかったのは、
自分の身体の症状を
否定され続けたことだ。

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この経験を通して、
私が感じることは、

メンタルを病んだ人が
どのような状態であろうと、

周りにいる人たちは、
「その状態を否定しない方がいい」
ということ。

近くにいる人は、
自分がそのような状態に
なったことがないから、

実際に、どんなことだか
理解できるはずがない。

でも、自分が理解できないから
それは「嘘だ」ということではない。

本人はそのように
感じているのだから、
それを否定するのはオカシイ。

苦しい状態で辛くて大変な時、
そのツラさを「気のせいだから」、
「意志が弱いから」、
「気がたるんでいるから」と

勝手に判断されて、
言われることは、
非常に悲しいことだ。

相手がどういう状態でも、
その状態を否定することだけは
やめて欲しいと思う。

自分で経験のないことは、
実際にどんなことだか
分からないものだ。

だから、分かったように、
「分かるよ」と言ってあげるのも、
ちょっと違う。

理解できない人が
無理に「分かるよ」と
言ってくれるのは、
「その人のために」
と思う気持ちからだろう。

でも、本人からしてみれば、
理解しない人から、
「分かるよ」と言って貰えることも、
腹立たしく感じることがある。

とにかく、否定はしないこと。
そして、分からない人が
無理に分かるふりをして
「分かるよ~」ということも
やめた方がいい。

身体に特に異常がなくても、
メンタルの状態が悪ければ、
身体の不調という形で
かなり強い症状が出ることも
珍しくない。

本人にとっては
不快な症状があるのだから、
それを否定してはいけない。

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私の場合、私の親の立場では、
医者から「何も異常がない。
でも、精神的に弱い子だから」
と言われたせいで、

娘のことを
スパルタで鍛えた方がいい
と考えたようだ。

両親なりに、良かれと思って
したことなのだから、
「まあ、仕方がなかった」
と言えば、それまでだ。

しかし、
身体の不快な症状が酷かったのは、
私にとっては本当のこと。

その症状で辛かったのも
本当のこと。

嘘は一つもついていない。

それなのに、そのツラさを
周りの人たちに否定されて、
悲しい気持ちで、どうにもならなかった。

自分の状態を否定されたことは、
その当時の私の辛さを
酷いものにしただけではない。

その後の私の人生でも、
大きな悪影響を
及ぼすことになった。

感じてはならないものを
感じてしまう私は、
「精神的に弱くて、劣った人間だ」
という不当な思い込みが、
私の中に刷り込まれたことだ。

メンタルヘルス問題が改善され、
社会生活もできるようになった後でも、
ずっと私はこのことに
苦しめ続けられている。

親から言われてきた
「ダメな人間」、「劣った存在」、
「人間のクズ」、「情けない人」、
「弱い人」という言葉が、

その当時の私を
傷つけただけでなく、
その後の人生でも、
悪い影響をもたらしている。

物事がスムーズに行く時には
さほど問題がなくても、

なんらかのきっかけで、
困難なことにぶち当たれば、

私は、あの当時言われた
「精神的に弱い子供」という言葉が、
繰り返し自分の元に戻ってくる。

大人になってから、
カウンセリングを受けて、
トラウマを取り除こうとしても、

なかなか上手く行かず、
人生の長い間、
劣等感と無価値観で
悩まされた時期も長い。

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実際に、近くに
メンタルを酷く病んだ人がいれば、
何とかして、その人が回復するよう
自分も何か協力したい
と思うかもしれない。

そんな時、
相手にどう接すればいいのか?

私の経験から言えることは、
下手に相手に「分かったよ」
と言うのは、避けた方が望ましい。

本当は分かってない人が
分かったふりをして、
「分かるよ」というのは、
かえって相手を傷つけてしまうから。

そして、絶対にやらない方がいいのは、
相手の状態を否定しないことだ。

この点だけでも、
気遣いしてあげれば、
本人は大きく救われるからだ。

どんな状態であれ、
やはり、その本人は
苦しんでいる。

だから、その状態を
否定しないこと。

何も否定することなく、
何も下手な助言をすることもなく、
温かく寄り添ってあげる。

これが一番いいのだろう。

本人だけしか
分からないこともあるから、
下手に口出ししないことだ。

なんらかのアドバイスをして、
本人を良い方向へ
導いてあげたい気持ちも
分かるけれど、それはやめよう。

そして、相手の状態を
否定することは、絶対に避けること。

それだけを
気遣ってくれるだけでも、
本人は大分救われる。

どんな状態であれ、
その状態を「否定しないこと」が
今回私が言いたかったことだ。