メンタル疾患があったら、結婚はムリなのか? お付き合いはできないのか?

「メンタル疾患があるから、
当然、結婚できないよ!」

「病気があるから、
お相手を見つけるのはムリ!」

こんな言葉を時々聞く。

でも、それって、本当なの?

私個人は、こういう発言に
大きな違和感を感じる。

なぜなら、「~できない」のは、
メンタル疾患があったり、
病気があったりするからではない
と思うから。

今まで
結婚できなかった事実や、
相手が見つからなかった事実は、

メンタル疾患や病気のせい
ではなく、

他の原因によるものだ
と感じるからだ。

では、その他の原因とは、
いったい何なのか?

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昔の知人で
こんな人がいた。

彼女は若い頃、事故により、
下半身に大火傷を負い、
皮膚移植を受けていた。

そんな彼女は、
「私は絶対に結婚できない」
と漏らしていた。

その理由は、
足の皮膚の状態が醜いから。

「こんな身体では、
自分を好きになってくれる人は
いるはずがない」と
信じている様子だ。

しかし、私はその話を聞いた時、
「それは違うのでは?」
と疑問を抱いた。

なぜなら、人を好きになるのは、
見かけだけではないから。

もちろん、
見かけがキレイな方が、
そうでないよりも望ましい。

しかし、それはその人の
ほんの一部分であり、
全体ではない。

その劣った部分が
そんなに重要なのか?

それよりも、
もっと大切なことが
あるのでは? 
そのように考えた。

30歳近くになっても、
お相手のいない事実は、
足が醜いからなのだろうか?

いや、そんなことよりも、
もっと他に原因があるように
私には思えて仕方なかった。

では、私は
何が原因だと思ったか?

それは、
「彼女は卑屈だから」。

こんな発言はとても失礼だが、
はっきり言って、その当時の彼女は
自分自身を卑しめて、
かなり自虐的な姿勢だった。

そんな人と
お付き合いしてみたい、
と誰が思うだろうか?

あんなに卑屈な人間を
魅力的だと感じるだろうか?

ここに原因があり、そのせいで、
お相手が見つからない
と私は考えた。

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一般的に言えることは、
自分が「できる」と信じることは、
本当にできるようになる。

逆に、「自分にはムリだ」
と信じることは、本当にムリで
できなくなってしまう。

要は、その本人が
信じている通りに
事が進むのだ。

その理由は、
できると信じていれば、
それなりの姿勢や行動が伴う。

一発目でできなくても、

「絶対にできる」と思えば、
諦めずに
やり続けることが可能だから。

やっているうちに、いつかは
本当にできるようになるのだ。

その一方で、「絶対にできない」と
堅く信じていれば、

ムリだと確信しているので、
消極的な姿勢になり、
チャレンジすらしなくなる。

行動がなければ、
結果が出ないのも不思議でない。

火傷をした知人の話に戻せば、

彼女は自分の怪我のこと
ばかりに囚われて、
常にそのことにクヨクヨしていた。

「だから私はダメなんだ。
私には希望もなにもない!」
という姿勢で、

彼女と話をしているだけでも、
ネガティブオーラがこちらに
ムンムンと伝わってくる。

こんな感じならば、
積極的に社交の場に
出て行くこともないし、

婚活する気も
全くないだろう。

それでは、突然、
彼女の目の前に王子様が
現れることはあり得ない。

あまりにも卑屈になり
「自分にはムリだ」
を繰り返しているので、
相手が見つからないのも当然だ。

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彼女のように、
自分のコンプレックスばかりを見て、
卑屈になっている人は、
重要なことを忘れている。

それは、
どんなに欠点がある人でも、
長所や魅力的なこともある
ということ。

人間が人を好きになるのは、
欠点がないからではない。

それよりも、長所や
魅力的なことがあるから、
それに惹きつけられるのだ。

誰かが見て、
「これは素晴らしい!」
と思えることが一つでもあれば、

その人を好きになる可能性は
十分ある。

長所があるにもかかわらず、
自分の長所や良いところを
全く見ようとしていない。

そのため、自分の魅力を
他人に理解して貰えず、

誰も付き合う人が
見つからないのだ。

「自分は足が醜いから」とか、
「自分は病気だから」と言い、

そのことに囚われて、
卑屈になっている人と
お付き合いしたい人がいなくても、
不思議はないだろう。

彼女だって、
顔はとても可愛らしい。
その上、ピアノのスキルはプロ並み。
素晴らしい演奏ができる人だ。

そんな自分のできる部分を
もっと磨いて、外の人に見せれば、
惹きつけられる人も
絶対にいるはずだ。

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メンタル疾患や病気の症状が
一番酷い時には、

誰でも、
自分 イコール 病気
と考えてしまいがち。

しかし、これは大きな間違いだ。

たとえ一時期
病気がかなり重い状態でも、
一生そのような状態が続くとは
限らないから。

むしろ、それは一時的で、
その後は快方に向かい、寛解したり、

時々、悪くはなるが、
まあ通常は大丈夫だ
という場合の方が多い。

寛解することなく、
その後もメンタル疾患を
持ち続ける場合でも、

365日、24時間、
ずっとずっと病気に
悩まされているわけではない。

病気のために、
できないことがあったり、

シンドク感じたりすることが
あったりしても、

そうでない普通の時間も
あるはずだ。

常に病気と闘っている
と言うことではないのだ。

健常者と同様に、
普通に生活できる時間もある。

メンタル疾患を抱えている
事実があっても、

それはその人の
ほんの一側面にすぎない。

その人の人生には、
それ以外の側面が
もっと沢山あるものだ。

それなのに、なぜ、
その一側面だけに注目して、

その部分だけを拡張して見て、
自分で苦しみを発生させて、

他のもっと大切な部分を
見ようとしないのか?

他の貴重な側面を
完全に無視して、

病気の部分だけしか
見ないようにしていれば、
情けなく、卑屈になるのも自然なこと。

この点に気づいて、
病気でない側面に意識的に
フォーカスするようになれば、

自分に対する感じ方も変わり、
人生も全く違ったものになる。

病気による問題が
出ていない時には、

自分にとって大切なこと、
興味あることを躊躇うことなく、
やったらいい。

「病気があるから、
私にはできない」と尻込みしないで、
もっと沢山のことに挑戦すればいい。

すると、
「私も健常者と同じように、
色々なことができる」
と意外な発見をするだろう。

病気のことばかりに囚われて、
そのことで頭がいっぱいで
卑屈になっていた頃には、

「これは自分にはムリだ」
と確信していたことでも、

やってみたら、意外と
できてしまうもの。

その時の、嬉しい驚きはスゴイ!

「病気があるから、
仕事もできないだろうし、
結婚もムリだ」と言い続けていれば、

本当に自分が言う通りに
ムリになる。

ムリなような考え方をして、
ムリなような生活スタイルなので、
そうなっても当然だ。

しかし、病気は自分の
一側面にすぎず、
自分にはもっと素晴らしい
貴重な側面もあると理解して、

「できること」を信じて、
それなりの姿勢を持ち、
それなりの行動が伴えば、
ある日、奇跡が起こる。

「あれっ!
こんなことも自分にできたんだ!」
と感激の瞬間に出会える。

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「メンタル疾患があるから、
自分にはムリ!」とか、

「病気があるから
自分にはできない!」と
勝手に決めつけない方がよい。

なぜなら、
自分が信じる通りの現実が
自分のもとにやって来るから。

自分が信じた通りの
心持をして、

自分が信じる通りに
行動するために、

「ほ~ら、言ったじゃないか!
やっぱり、私が思った通りに
できなかった」という結果になる。

しかし、できなかったのは、
自分のメンタル疾患や
病気が原因ではない。

それよりも、
「病気があるから
自分にはムリだ」
という思い込みが、

知らず知らずのうちに、
自分をそちらの方向へ
導いてしまっただけ。

これが本当の
できなかった原因だ。

メンタル疾患も、
他の病気の場合にも、

それは確かに
自分の一部分。

しかし、自分には
それ以外の部分が
もっともっと沢山ある。

それ以外の部分に気づき、
もっとフォーカスを当て、

そちらを活かしていく方が、
自分も幸せになれるのでは?

メンタル疾患があっても、
結婚することは可能だ。

必ずできると
保証はしないけれど、

「そうできる可能性は
十分あり!」と自信を持って
私は言える。