「あなたって、心配性だね」
と誰かから言われて、
嫌な気分になったことは
ないだろうか?
心配するのはいけないこと、
と言われているようで、
ムカッとしたことは
ないだろうか?
今回は、心配は
必ずしも悪いものではない
という話。
どんな心配が悪くて、
どんな心配が良いのか?
その違いについて。
また、心配することの
意義について。
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心配を一概に
悪者扱いするのは
適切ではない。
心配があったお陰で、
それなりの対策を取り、
良い方向へ進んで行くことも
可能だからだ。
しかし、
心配することにより、
心的エネルギーを枯渇させるだけで、
得することがない場合もある。
心配の仕方で、
結果が全然違うものになる。
最終的には、
良い結果をもたらすものは、
良い心配。
心的エネルギーを
奪われるだけで、
それ以外、何もないのは、
悪い心配と言える。
将来の不安を心に描き、
そのことを頭の中で
グルグルと回らせて、
不安や心配を
ただ感じるだけなら、
心配は望ましくないことだ。
しかし、心配した結果、
これから起こり得ることに備えて
対策を講じたり、準備したりするなら、
心配は意義あること。
たとえば、大事な試験が近づいた時、
良い成績が取れるかどうか?
単に心配しても、どうしょうもない。
でも、こんな時、しっかり勉強して、
どんな問題が出題されても、
解けるように準備しておけば、
心配した甲斐がある。
仕事の面接を受ける前に、
面接が上手く行くかどうか?
心配するだけでは、何もならない。
模擬質問に対して、
自分なりに回答を用意したり、
面接当日のために、服装の準備、
靴をピカピカに磨く行為は、意義あること。
これらのことは
心配があったからこそ、
できたのだろう。
心配のお陰で、
事前の準備がしっかりできたら、
心配して良かったと言える。
良い心配と、悪い心配の
決め手は、
心配、不安が起きた時、
対処策を行動に移せたか?
にある。
その心配を取り除くため、
または、軽減させるために、
実践したことがあるかどうか?
これが重要なポイントだ。
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頭の中で
あれこれ考えるのではなく、
何らかのことに着手して、
実際に動いてみることは、
とても有益だ。
その行動により
救われることも多いからだ。
未だ起きてもない
将来の心配に関しては、
実際には、そのことは起きず、
取り越し苦労のことも多い。
しかし、たとえ、心配することが
起きた場合でも、
何らかの対策案を
講じていれば、
起きることの深刻さを
軽減させることもできる。
準備していたお陰で、
事が起きても、
上手く対処可能であり、
大きな被害を被ったり、
酷く困ったりする状況は
避けれる。
心配に対して、
「これをやっておけば、
大丈夫だ」と思われることを
実践すれば、
実際に、被害に遭う確率を
低くすることもしばしばだ。
それが起きてしまっても、
備えがあったから、
救われたということも
珍しくない。
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行動することの利点は、
それ以外にもある。
何かを始めてしまえば、
活動そのものに意識が向いて、
不思議と心配の気持ちが
薄れてくるものだから。
人間脳は複数のことに
焦点を当てるのが苦手だ。
あることに集中していれば、
別のことには意識を
向けづらくなる。
この脳の性質を利用して、
行動に注目することで、
心配からは気をそらすことができる。
意識が向く部分は、
大きく見えるようになって、
その他のことは
小さく感じられるようになる。
特に集中度が高ければ、
近くに存在していても、
自分の視界に入らなくなることも
多々ある。
本当は、そこにあるのに、
それ以外の部分に
フォーカスが当たるため、
自分には見えなくなり、
すっかり意識を向けたことに
専念できる。
何らかの行動を起こした場合、
最初の内は、
心配が自分の傍にあることを
自覚できる。
しかし、やっている内容に
気を取られてゆけば、
そのうち、もともとの心配は
姿を消すこともしばしばだ。
行動により、
心配を忘れさせて貰える
という好都合なことが起きるのだ。
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心配が起きた時、
実際に行動を始めて
自分が動いてみることは
非常に重要だ。
しかし、行動するにあたって
注意点もある。
行動した結果、
どんな成り行きがあるだろうか?
ある程度、考えた方が無難だ。
なぜなら、行動なら
どんなものでもした方がよい
というわけではないから。
たとえば、
お金の心配をしている人が、
その心配から目を逸らすため、
ギャンブルに走ることがある。
この場合、
いくら行動していると言っても、
事態を改善できるどころか、
悪化させてしまう可能性が高い。
このような行動は、
一時的には気を逸らせて、
ラクになれるとしても、
長期的視点では
もっと大変な結末になり、
苦しくなってしまうだろう。
行動の先にあることが、
自分にとって、損にならないか?
有益であるかどうか?
しっかり考えて、
賢く判断するのが無難だ。
その際、短期的目線ではなく、
長期的に自分に有利かどうか
考えるのが役に立つ。
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心配に対して、
何らかの対策を講じたり、
備えや準備をする際に、
「完璧な備えや準備はない」
と覚えておくとよい。
災難を防ぐために、
十分備えをすることは、
意義あることでも、
度を越えた備えに
執着してしまい、
そればかりに
囚われるようになると、
精神的に病んでしまうから。
そのことが
確実に起きるかどうか
未だ分からないのに、
その心配ばかりの対策を
常に考えていれば、
心配に自分自身が
振り回されてしまうからだ。
災難が起きた時、
自分は困らないように、
そのことだけをメインに
やり続けること自体が
災難だと言えないだろうか?
そのような生活をすれば、
幸せを感じられるだろうか?
行動は望ましいことでも、
災難に対する備えが、
生活の大部分になれば、
楽しい人生を送ることは
難しくなる。
ある程度の備えは
奨励されても、
度を過ぎた
やり過ぎ状態には、
ならない方がよい。
自分ができる範囲で
やった後には、
あとは静かに
すべてを天に任せた方が
気分的にもラクだ。
人間である以上、
どんなに頑張っても、
すべてを完璧にこなすことは
不可能だから。
完璧にはできないことを
承知して、
やれることだけ
一応、やっておくこと。
その後は、
天にすべてをお任せしよう。
自分のできる範囲内で
精一杯やったなら、
何が起きても、
後悔することも少ないから。
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今回の話をまとめれば、
心配には、良い心配と
悪い心配とがある。
不安に感じて心配して、
ただ心のエネルギーを
すり減らすのは、悪い心配。
心配に対して、対策として、
行動を起こすことができれば、
その心配は意義あるもの。
そんな場合は、良い心配だ
と言えるので、心配する自分を
情けなく思う必要はない。
行動を起こした結果、
心配したことが起きなかったり、
たとえ起きても、
深刻さを軽減する可能性は高い。
人間脳は複数のことに
集中するのが苦手だ。
行動に意識を向ければ、
心配する時間も減る。
ただし、行動するなら
何でもいいと言うわけではない。
一時しのぎで、
長期的には悪い結果を
もたらすであろう行動は
避けた方が賢明だ。
長い目で見ても、
自分に有利になるものを
選んだ方が賢い。
準備や備えは
できる範囲でやれば、十分。
完璧な準備など
誰にもできないからだ。
完璧な備え、完璧な準備に
囚われてしまえば、
心を病みやすくなり、
幸せを感じることもなくなる。
そのこと自体が災難だ。
自分ができることを
しっかりやった後には、
すべてを天にお任せして、
自分は気を楽にして
楽しく過ごそう!