疲れても休息できない人。 実は、親子関係に原因があった!

(私もそうだったが)
疲れていても、
休むことができない人がいる。

なぜなのか?

その原因は、
その人の幼少期からの
育てられ方や、親子関係にある
という場合が多い。

今回の話は、
疲れていても休めない人は、
どんな育ちをしたのか?

また、どうしたら
休めるようになるのか?
について。

原因の主なものは、
1)完璧主義の親に育てられた
2)親子の役割が逆転していた

それぞれ詳しく見ていきたい。

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1)完璧主義の親に育てられた

疲れているのに休めない
という人の心底には、

常に頑張っていなければ
大変なことが起きる

という不当な思い込みや
強迫観念がある。

そのため、自分の尻を叩き、
休む暇もなく自分を頑張らせる。

傍から見れば
「努力家」、「頑張り屋さん」。

我慢と努力が美徳の社会では
こういう人たちは
褒め称えられる傾向にある。

しかし、実は、
彼らはとても哀れな存在だ。

心の中にいるデヴィルと
常に戦っていて、

どんなに疲労していても、
休息できないし、
気を緩めることもできない。

いったい、このデヴィルは
どこからやって来たのか?

それは、その人が幼少期から経験した
家庭環境や、育てられ方が
デヴィルを生む原因となった。

よくあるパーターンの一つは、
完璧主義の親から
常に否定されながら育った場合だ。

完璧主義の親は、頭の中で
非現実的なほど高すぎる
「理想の子供像」を描いている。

そして、その理想に
子供を沿わせようとする。

しかし、現実的には、
実際の子供の姿と、
親が理想とするものには、
大きなギャップがある。

そのため、親は満足できず、
フラストレーションも溜まり、
子供に対して、抑圧的になる。

子供のありのままを受け入れず、
子供のやることなすことに
ダメ出しばかりする。

そういう親の口から出る言葉は、
「もっときちんとしなければ、
社会に出たら、生きて行けないよ!」とか、

「もっとしっかりしなさい!
これでは人に認めて貰えないよ!」とか、

「こんなんでは社会で通用しない」
というものだ。

子供にとっては
親は絶対的な存在であり、

親の言うことは
常に正しいと信じる時期も長い。

親からそのようなことを
言われ続けられれば、
それが真実だと思い込み、

他人に認めて貰えるように、
社会でも通用するように、
頑張る癖がついてしまう。

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親が完璧主義の姿勢であれば、
子供も同じように
完璧を求めるようになる。

学校のテストで
80点も取れれば、立派なのに、

完璧主義の親は
80点では満足しない。

「もっと頑張って、
良い点を取りなさい!」と言い、

子供をまくしたてて、
子供にもっともっと頑張らせる。

次は85点取れたとしても、
「前回よりも5点もアップした!
よくやったわね」とは褒めない。

それどころか
「いや、85点では、まだまだよ!
最低でも90点は取らなきゃね」と言う。

たとえ次が90点だとしても、
完璧主義の親は、
もっと欲張りになり、

「いや、100点でなければ」
と次から次へと「もっと良くなれ!」
を繰り返す。

いつまで経っても、
「もっと良くなれ!」
が止まらないのだ。

こういう親の元で育てば、
子供も強く影響されて、

自分までが完璧主義の大人に
なってゆく。

自分のできる部分には
一切フォーカスせず、

できない部分や足りない部分に
注目ばかりして、嘆くことになる。

「この部分が不足している」
と常に文句を言っているのだ。

以前よりも、
少しでも良くなっていれば、
それだけで十分なのに、

それでは満足できず
「もっと! もっと!
すべてがパーフェクトでないと
ダメなんだ」という姿勢だ。

足りない部分に
スポットライトを当てて、
「もっと良くならなければ」
とやっているうちに、

強迫観念が植えつけられてゆく。

向上心があって
素晴らしいという域を超えて、

病的なまでに
「もっと良くなれ!
パーフェクトでないと……」
とう気持ちが常に心につきまとい、
離れなくなってしまう。

だから、疲れていても
休息できなくなる。

気を緩めることも
難しくなってしまうのだ。

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2)親子の役割が逆転していた

疲れていても、休めない
もう一つの原因は、
親と子供の役割逆転があったこと。

このパターンも非常に多い。

通常は、親が子供の面倒をみて、
子供の欲求を満たしてあげるもの。

しかし、親自身に問題があり、
これができないこともある。

親がメンタルを病んでいたり、
心理的な問題を抱えていたりして、

子供に対して果たすべき役割を
果たしてあげられなかった。

それどころか、反対に
親が子供から面倒をみて貰う、

子供から親の心を
満たして貰うという状態に
なってしまっているのだ。

つまり、親と子供の
役割が逆転するということ。

子供は親のことを愛していて、
親が困っていれば、
自分が助けてあげたい
という気持ちになる。

本当は、自分が親に
甘えたくても、

それが無理なので、
自分は甘えることなく我慢して、

頑張って、親を助けてあげる。

「僕がしっかりしなければ、
お母さんは生きていけないから」
と思うからだ。

その結果、
甘えたい気持ちを抑えて、
親のために
とことん尽くすはめになる。

親の立場では、
こういう子供を持てば、
「年齢が低いのに、しっかりしていて
本当に立派な子だわ」と喜ぶ。

実際には、子供の心底には
甘えられない我慢が潜んでいるのに、

親は未熟なために、
そのことを全く理解していない。

想像すらつかないのだ。

子供の立場では、
親に尽くしたお陰で、
喜んで貰えるので、自分も嬉しい。

甘えたい気持ちを抑える
我慢はあっても、
褒められる喜びもあるので、

その我慢はいつのまにか
心の底に隠されるようになり、
自覚できなくなる。

親に尽くして
子供時代を過ごしていれば、

大人になった時、
大きな問題を抱えることも
珍しくない。

自己犠牲を払ってでも、
他人に尽くす癖がついているからだ。

依存心が強く自立できない人間と
関わりやすくなり、

自分がその人のために
やってあげていることに
喜びを感じて、それがすべてになる。

「自分がいるから
この人はやっていける」と思えば、

それが頑張りの原動力となり、
とことん頑張って尽くす。

他人に喜んで貰えるなら、
自分は疲れていても、頑張り続け、

他人に尽くすことが
人生の最重要課題になってしまう。

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もし、このような背景により、
疲れていても、休めない人に
なってしまったのなら、

まずはその原因に
気づくことが大切だ。

「もっと頑張らなければ、
社会で通用しない」という
不当な思い込みを、親から
植え付けらていないか?

完璧にやらなければダメだ
と間違った観念を
親から受け継いでいないか?

自分があの人を
救ってあげていることに
大きな喜びを感じて、

依存心の強い無能な人間を
作り上げると同時に、

自分も他人に振り回されて、
自分の人生を生きていない
ということはないか?

このことに気づければ、
問題解決のための第一歩になる。

実は、今まで自分が見ていた現実は
歪んだものだった。

素の自分は社会からは認められない
と思い込んでいたけれど、
それは嘘だった。

常に頑張り、疲れても
休めないほど努力しなければ、
社会で通用しないというのは、
正しいことではなかった。

本当は、
休息しても、気を緩めても、
誰かから責められたり、
攻撃されたりすることはない。

酷い目に遭わされることも
ないのが事実だ。

自分の中にいた
強迫観念のデヴィルは、

実は自分自身で作り上げた
妄想だった。

本当はいなくても
よい存在だったのだ。

今まで自分を苦しめてきた
強迫観念のデヴィルに
「さよなら」と言って、

自分自身のブロックを外し、
自分を解放してあげるとよい。

今まで思い込んでいたことを
手放すのには時間はかかるが、

強迫観念のデヴィルが
自分の中で騒ぐようになっても、

決してデヴィルの言うことに
耳を傾けてはいけない。

その代わり、次の言葉を
声に出して言うことだ。

「疲れたときには、休息して、
気を緩めたり、リラックスしても、
他人に非難されることはない。

誰かに見捨てられたり、
孤独になったり、死ぬこともない」と。

試しに、疲れた時には
自分に休養させてみれば、
直ぐに分かる。

今まで自分が恐れていたことは、
何も起きなかったと確認できる。

幾度かそれを確認できれば、
「今までの思い込みは不当なもので、
嘘だった」と理解できるだろう。

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親子の役割逆転により、
自分に無理をさせてまで
とことん他人に尽くす癖が
ついてしまった人も、

まずはその原因に気づき、
この状態は望ましくないと
知ることが重要だ。

今まで自分がしてきたことで、
一人では生きて行けない
依存心の強い人間を生んでいた。

それは相手にとって
良いことではない。

また、他人に喜んで貰えることを
自分の価値基準にすれば、

自分は他人に振り回されて、
他人の人生を生きるはめになる。

自分の人生を
生きれなくなってしまうのだ。

当然、自分にとっても
望ましいことではない。

自分も、相手も、お互いにとって
良いことではないのだ。

このことが腹落ちすれば、
無理な頑張りも
自然としなくなるだろう。