「私の人生ツライことばかり!」から抜け出るには、どうすればいい?

私の人生、
なんでこんなにツラいの?

身の回りで起きることは、
納得いかないことばかり…

あの人は、
あんなに恵まれているのに、

なぜ、自分だけが
こんな酷い目に遭うのか!

こういう気持ちに
一旦ハマれば、

目に入るすべてのものが
理不尽に思われて、

絶望感に襲われる。

ツライと嘆けば、
ツライことが沢山起きて、

更にツラくなってしまう。

負の連鎖に陥り、ツライ人生から
なかなか脱却できなくなる。

こんな場合、どうすれば、
「シンドイ」の悪循環から
抜け出せるか?

これが今回の話の内容だ。

結論を先に言えば、
以下の2ステップが効果的だ。

1)受け入れる、
2)広く見る。

詳しく説明してゆきたい。

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ツライ人生から抜け出す
最初のステップは、
「受け入れる」こと。

何を受け入れるのか?

それは、
「私たちの住む地球は、
2元の世界であること」
を受け入れる。

二元の世界では、
対極のものが
同時に存在する。

美しいものもあれば、
目を覆いたくなるほど
醜いものもある。

良いものもあれば、
悪いものもある。

善もあれば、悪もある。

素晴らしいものもあれば、
クダラナイものもある。

このように「陰」と「陽」が
混在しているのが二元の世界だ。

二元の世界に
生きているのに、

美しい理想ばかりを
追い求めれば、

現実との大きなギャップで
絶望する。

悪いことはなくなり、
良いことばかりの世界になれば…

と望み、一生懸命願っても、
あいにくそれは叶わない。

この世の中から病気がなくなり、
皆が健康になればと夢見ても、

その夢が実現することはない。

残念ながら、私たちの住む地球は、
望ましいこともある一方で、

起きて欲しくない悪いことも
自然と起きてしまうのだ。

世界がだんだん良い方向へ
進んで行くことはあっても、

相反する対極のものが
混在することは、

これからもずっと続くだろう。

地球という星は、
このような場所なのだから、

二元性を否定したところで、
何も事態は変わらない。

どんなにもがいても、
二元性をなくすことは、
ほぼ不可能に近い。

だから、受け入れるのだ。

こういう地球に
生まれてしまった以上、
仕方ないことだ、

と一旦受け入れて、
「嫌だ! 嫌だ!」と嘆くことを
ちょっと横に置いてみる。

「こういう地球だから、
しょうがない」
と諦めてしまうことが、

ツライ人生から抜け出るための
最初のステップだ。

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では、このあと、
どうすればいいのか?

それは自分の視野を
広げてゆくことだ。

今まであなたが嘆いてきた
醜いものは、

確実に存在する。

忌み嫌うような
不快なことも確かに起きている。

しかし、
嫌なことばかりではないはずだ。

あなたの目には見えなくても、

良いことだって、起きている。

あなたが良いことを見ない理由は、

不愉快で嫌なことを
近くで見すぎているからだ。

物事を少し離れた場所から
見れるようになれば、

「嫌なこともあるけれど、
喜ばしいことだって、同時にある」
と分かる。

意識して、遠くから
全体像を見るようにすれば、

自分の視界に入るものも、
全然違ってくる。

あなたが言うように
悪いものも見えるけれど、

同時に良いものもあるんだ
と理解できるだろう。

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たとえば、あなたは
カビの生えたオレンジを
目の前で握りしめ、見ている。

カビの部分に焦点を当て、
近くでまじまじと観察している。

当然、カビの生えた部分が
はっきりとよく見える。

どんな色をして、
どんな組織で、
どんな状態なのか、よく分かる。

しかし、カビの生えた部分は
ほんの一部分であり、

他の部分は
普通に健康的なオレンジ色だ。

あなたはカビの部分だけを
近くの位置で見ているので、

健康な部分は
見えにくくなっている。

しかし、オレンジを持つ手を
自分の目から離してゆき、

少し距離を置いた場所で
それを眺めるようにすれば、

オレンジの全体像がつかめる。

確かにカビが生えて
痛んだ部分もある。

でも、それはほんの一部であり、

カビに侵されていない
綺麗なオレンジ色の部分も
あることに気づける。

手を回して、
別の角度からオレンジを見れば、

カビていない部分が
もっと沢山あると分かる。

離れた場所で見たり、
別の角度から観察することは、

視野を広げて
物事を見ることと似ている。

あなたが言うように
嘆かわしい部分もあるけれど、

それがすべてではなく、

素晴らしい部分も存在するのだ。

近くで悪いことだけに
フォーカスを当てて、

それにのめり込むように
見ているから、

悪いことだけしか見えない。

その結果、
「ああ、この世の中は
理不尽なことでいっぱいだ」
と思えて仕方ないのだ。

物事を少し離れた場所から
客観視して、

色々な角度から
見るようにすること。

広い視野で
俯瞰できるようになれば、

今までの心の中にあった
虚しさ、寂しさも、

大分感じ方が
違ってくるものだ。

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お花見に行ったとしよう。

桜の花が満開になった頃、
何人かのグループで
花見に行くことになった。

美しい桜を見物して
帰ってきたら、

ある人は
「ああ、メッチャ綺麗だった!」
と感激して満足の様子だ。

しかし、一緒に行った別の人は、
「公園には、花見客が捨てていった
空の弁当箱や空き缶やペットボトルが
散乱していて、幻滅した」と嘆いている。

美しい桜に満足した人も、
公園の汚さに幻滅した人も、

全く同じ時間に
全く同じ場所に行き、
同じ空間内で時を過ごした。

しかし、この2人には
見えているものが全く違った。

一人は上を見上げて、
満開の桜を満喫している。

その一方で、もう一人は
下を見て、公園内の汚いゴミに
集中していた。

美しい桜があることは事実。

同時に、
汚いゴミがあることも事実。

良いものと、悪いものが
両方存在しているが、

どこに焦点を当てるかで、
見えているものは全く違う。

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お花見の話は、単なる一例だ。

これと同じように、
日常生活のすべてにおいて、

私たちは存在するものすべてを
見ることはない。

流れている音でさえ、
すべてを聞いているわけではない。

自分の意識がある場所だけを、
見ていたり、聞いていたりする。

意識が向いてない部分は、
たとえ目の前にあったとしても、

見えないし、聞こえていない。

たとえば、
考え事をしながら
街中を歩いていれば、

大きくてとても美しい
クリスマスツリーがあっても、

気づくことなく
通り過ぎてしまう。

目の前にあっても、見えていないのだ。

その理由は、
自分の意識が心の内の考え事
にあったから。

ツリーの前を通り過ぎても、
意識がそこに向いてないので、

気づくことなく、素通りした。

無意識ではあるが、
私たちは見るもの、聞くものを
自分で選んでいるのだ。

自分が見たいように
世界を見ているということだ。

お花見に行って、
上を向いて桜を見て感激するのか?

それとも、下を向いて
汚いゴミを見て嘆くのか?

自分次第で見るものを
決めている。

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自覚していなくても、
ネガティブなことばかりに
目が行き、

そればかりを見て、
嘆いてしまうのは、

嫌なものばかりを
自分自身で
選んで見ているからだ。

そうなれば、
人生ツライものしか見えない。

自分が見ているネガティブは
確実にそこにあるし、
否定はできない。

しかし、
そこばかりにフォーカスが行き、
悪いものにのめり込んでしまえば、

ネガティブなものが
実際のサイズ以上に膨れ上がり、

横に素晴らしいものがあっても、
大きなネガティブに隠されて、

良いものは
全く見えなくなってしまう。

視野を広げるということは、
ネガティブな部分も見るし、

同時に
ポジティブな部分も見ること。

ネガティブな部分に偏らず、
もっとニュートラルな視点で

物事を客観的に見る
ということだ。

確かに、
今まで自分が焦点を当てていた
悪い部分、虚しい部分、
嫌な部分、醜い部分は存在する。

この地球はそういうものも
ある場所だから、仕方ない。

しかし、今まで見ていた
嫌な部分から、ちょっと離れて、

もっと広い視点で
色々な角度から見つめれば、

嫌なこともあるけれど、
素晴らしいこともあると肯ける。

自分の視野が広がって、
身の回りで起きることを
俯瞰できるようになれば、

今まで自分が感じていた感じ方とは、
大分違った感じ方になる。

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ツライ人生から抜け出るための
最初のステップは、

私たちの住む地球には、
嫌なものも、素晴らしいものも
同時に存在する事実を受け入れること。

それができたあとには、
今までよりも広い視野を持ち、
物事を観察することだ。

今まであなたが
「ツライ! ツライ!」
と嘆いてきた理由は、

ツライ側面だけに焦点を当て、
そこばかりしか見ていなかったから。

ツライ側面は
あなたが言うように、確かにある。

でも、全体像が見れれば、
ツライ側面は一部分でしかない
と理解できる。

それ以外の部分も存在するのだ。

フォーカスを当てた場所が
大きく膨れ上がって見えるので、

その場所だけに
のめり込むことはせず、

距離を置いて、遠くから
クールな目で観察するよう努めよう。

俯瞰できるようになれば、
ツライ人生の負の連鎖から、
一歩外に出ることもできる。