こだわりの強い職人は幸せでも、完璧を求める完璧主義者は、なぜ、不幸なの?

今回は、
こだわりの強さは
人を幸福にすることはあっても、

常に完璧を求める
「完璧主義者」は不幸になりやすい
という話。

こだわりが強い職人さんの中には、
自分がやっていることに
スゴク満足していて、幸せな人が多い。

その一方で、
いつも「パーフェクトでなければ」
と一生懸命頑張る完璧主義者は

がっかりすることが多く、
なかなか幸福を手に入れられない。

なぜ、そうなのか?

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こだわりの強さと、
完璧主義であることは、
「徹底している」という点では
似ている。

しかし、両者には
決定的な大きな違いがある。

その違いは、
完璧主義者は「結果重視」
の姿勢が強く、

こだわりの強い職人さんは
「プロセス重視」を
大切にしていることだ。

「結果重視」とは、
パーフェクトな結果を出すことが
最重要課題であり、

その結果に至るまでの
途中のプロセスは二の次で
あまり関係ないという考え方。

それに対して、「プロセス重視」は
一つのことを成し遂げるのに、
そのプロセスを一番大切にする。

徹底的にプロセスを充実させて、
意義ある体験をすることだ。

たとえ、プロセスの最後に
望ましくない結果が出ても、

プロセスに没頭して、
十分満足できたのだから、
悔いが残らない。

結果重視でいれば、
裏切られることが多い。

納得行かずに、
フラストレーションも増大して、

常に不足感に悩まされ、
満ち足りた気分にはなれない。

しかし、プロセスが一番だ
と思えれば、

プロセス自体を充実させて、
心行くまで楽しむことも可能だ。

最終的に、どんな結果が出ても、
プロセスが有意義だったのだから、
それでよしと受け入れられる。

結果重視で、
常に心に不足感を抱きながら
生きるのか?

それとも、
プロセスを大事にして、
自分のやることに集中し、

その作業の中で
満足感や充足感を得て
生き甲斐を感じるのか?

この違いが、
人を幸せにするのか?
不幸にするのか? の決めどころだ。

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なぜ、結果重視は
望ましくないのか?

それは、
完璧な結果を出すこと自体は、
素晴らしいことでも、

完璧な結果を出そうと
頑張る背景には
不健康なマインドが隠れているからだ。

「ゼロヒャク思考」
とも言われる。

物事を判断する際、
ゼロ(0)かヒャク(100)
のどちらかで決める価値基準だ。

完璧主義者は
ゼロヒャク思考で
すべてを判断する傾向にある。

常に100%を目指しており、

100点が取れれば、
有頂天になって喜ぶが、

99点だと不満が大きい。

1点足りないからだ。

そして、この1点の
足りない部分に執着して、
嘆き続ける。

100点だけがOKであり、

それ以外の点数は
受け入れられないという姿勢。

たとえ95点でも、99点でも
不足部分があるので、
よしとできない。

しかし、現実的には、
この世の中では
100点を取ることは、
むしろ珍しいこと。

パーフェクトのものは
滅多にないのが普通だ。

滅多にないことを
完璧主義者はムリしてでも
実現しようと頑張る。

でも、どんなに努力しても、
やはり100点は取れない。

足りない部分が常にあり、
その足りない部分に
強く固執してしまっている。

そのため、
不足感に苦しみ、
文句ばかりを言っている。

100%を達成できないのは、
「お前がいけないんだ!」
と周囲の人たちを責めたり、

「自分に非があるから」と
自分責めをする。

その結果は、
他人との人間関係が悪くなり、

自分も自信を失い
落ち込むことが多く、

不幸感が増してくる。

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完璧主義者は
「結果第一主義」なので、

プロセスの途中でも
スコアボードが気になって
仕方ない。

スコアボードをちょくちょく見て
大丈夫か否か、常に確認している。

途中経過も順調なら
問題ないが、

イマイチ上手く行ってなければ、
「もうダメだ」と弱音を吐き、

落ち込んでやる気を
失ったり、

自分を追い立てて、
焦りモードに入ってしまう。

こんな状態でプレーしていれば、
プレーそのものを楽しめない。

「絶対に良い結果を出さなければ…」
という思いは、
強迫観念に近いものがある。

「途中のプロセスは
どうでもいいから、

とにかく、
優秀な結果を出さなければ、
自分は失格だ」と思い込んでいる。

何をするにしても、
やること自体には集中できず、

自分の今の点数ばかりが
気になる。

これでは何も
エンジョーイできない。

今まで一生懸命やってきて、
まあまあ良い点数が出ていても、

途中で一度しくじって
低い点数を出してしまったら、
もうお終いだ。

一気にやる気を失って、

突然、力が抜けて
もう何もやらなくなってしまう。

せっかくここまで積み上げたのに、
なんて勿体ないことか。

完璧主義者は、
完璧な点数を取るために、
常に緊張状態であり、

リラックスすることも
できない。

ちょっとでも
パーフェクトから外れれば、
「もうダメだ」と気を落として、

そこで、諦めてしまう。

自分の中には
不足した部分だけが
強く感じられ、

いつも不満な心の状態だ。

パーフェクトにできない
他人や自分を責めるので、

他人との人間関係や
自分自身との人間関係も
いつもギスギスしている。

だから、メンタルを病みやすい。

今まで一生懸命努力していても、
急に力尽きて、病気になり
動けなくなってしまうのだ。

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それに対して、プロセス重視の人は、
途中でスコアボードを
ちょくちょく確認したりはしない。

ムリして見ないよう
努めているわけではなく、

やっているプロセス自体に
自分の精神エネルギーを
全集中させているから、

スコアボードがあることすら
忘れているのだ。

それだけ、今やっていることが
充実していて、
プロセスを楽しめている。

有意義なことをしているから、
そのことに没頭できている。

すべてのプロセスが終了して、
「ああ、なかなか良い時間を過ごせた」
と満足した時、

初めてスコアボードが目に入る。

知らぬ間に素晴らしい結果を
出していた、
なんてこともしばしばだ。

もちろん、いつもいつも
良い結果ばかりではない。

それでも、プロセス重視の人は、
あまり気にならない。

プロセス自体が充実していて
活動そのものに満足しているから、
悔いがないのだ。

数字に囚われることもなく、
「まあ、良かったな」で終えられる。

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結果重視で生きるのか?
プロセス重視で生きるのか?

その違いで
人の感じる幸福度も
かなり違ったものになる。

もちろん、良い結果を出すことは
悪いことではなく、
むしろ素晴らしい。

良い結果が出た時には、
周りの人たちにも「スゴイね」
と賞賛される。

他人から褒められれば
気分的にも爽快だ。

自分の承認欲求が満たされて、
良い気分になれるからだ。

しかし、承認欲求のためだけに
結果だけを重視して、

プロセスを楽しむことがなければ、
人生は味気ないものになってしまう。

スゴク綺麗な盛り付けがされていて、
美味しそうに見える料理でも、

実際に食べてみたら、
「なんだ、こんなものか」
とがっかりすることがある。

逆に、見た目は普通だけど
一口味わった時に、
「素晴らしく美味しい」
と感激する料理もある。

結果だけを重視することは、
体裁はかなり立派でも
そんなに美味しくない料理を
食べていることと似ている。

つまり、見栄えはいいけれど、
中身はあまり充実していない
ということ。

昔は私も、
結果重視型で生きて来た。

育った家庭環境が
「体裁第一主義」の家だったからだ。

しかし、結果ばかり
追い求めて何十年生きても、

幸せを感じることはなく、
常に不足感に
悩まされるだけだった。

やっていること自体
何も楽しめずに、

良い点数を取るだけに
気を取られていたからだ。

今ではこういう生き方は
魅力的だとは感じない。

それよりも、
今やっていることを
存分楽しむこと。

良い点数を取れなくても、
見かけが立派でなくても、

活動そのものが
自分にとって楽しくて、

充実したものであれば、
結果はあまり気にしない。

もちろん、より良い結果の方が
望ましくても、

それを一番の重要事項には
していない。

それよりも、プロセス重視で、
いかに自分がそこから
満足感を得られて、
幸せを感じる時間が長いのか?

こちらの方が
最重要課題だ。

人それぞれ、価値基準も違うから、
結果重視を非難する気持ちは
サラサラない。

でも、私は結果重視では
人生が味気ないものになる
と感じている。

一生懸命努力しても、
思い通りにならなくて、
不幸感が強いと嘆く人がいれば、

ちょっと立ち止まり、
自分に問うといいだろう。

もしかしたら、自分は
結果重視のために、
不足感に苦しみ、
活動そのものを楽しんでいないのでは?と。

もしかしたら、ここに
幸せになるためのヒントが
隠れているかもしれない。