今回は、
「~するべき」、「こうあるべき」、
「これはこういうものだ」
というような、
自分の中に深く根を下ろした
不当な信念に気づき、
縛られている自分を
解放してあげて、
もっと自由にラクになろう!
という話。
なぜなら、「べき思考」は
人を不当な物に
がんじがらめに縛り付け、
柔軟性を奪い、
トラブルや苦しみの
原因となるからだ。
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不当な「~するべき」は、
揉め事や争い事の原因となる。
たとえば、夫婦間で
正しいと信じることが
くい違う場合。
夫の実家では、
男尊女卑の風潮が強く、
家事に関しては、
「妻がすべて全部やるべき」
というのが当たり前。
それに対して、妻側の実家では、
両親が家事を分担して、
お互い協力し合っていた。
そんな夫婦が結婚生活を
始めれば、
夫は当然、
家のことを何もしない。
「男は家事を
するべきではない」が
普通だと信じているから、
やらないのが当然だ。
しかし、妻の立場では、
夫の協力を得られず、
強い不満を感じている。
妻の両親は、家事分担して、
協力しているのを
妻自身、近くで見て育った。
だから、
家事は夫婦で分担するのが
普通だと思っている。
「ちょっと何か手伝ってよ!」
と妻が夫にお願いしても、
夫は「何言っているんだ!
家の事は女がやるべきだ!」と言い
振り向きもせず、
ソファーに寝転がって、
のうのうとテレビを見ている。
掃除をするのも、
食事の支度をするのも、
子供の世話をするのも
すべては妻の仕事。
夫は、当然、これっぽっちも
手伝う姿勢がない。
こういう夫婦間では
揉め事や争い事が絶えない。
夫から協力を得られない妻は
不満が多いし、
「何でやってくれないの!」
と責められる夫も
イライラを感じることがしばしばだ。
お互いの「~するべき」が
全く違うから、同意できず、
喧嘩ばかりしている。
自分の信じる「~するべき」
を貫けば、
そのうち、
夫婦関係も壊れてしまい、
離婚の原因となるだろう。
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「~するべき」という不当な信念は
人に劣等感を植え付けて、
苦しめることも、珍しくない。
たとえば、
「男は泣くべきではない」
という信念があれば、
涙もろい男性は、
「自分は情けない人間だ」
と思い込み、
劣等感に苛まれ、苦しんでしまう。
感受性が非常に高く、
小さなことでも
敏感に反応する人は、
性別に関係なく、
ちょっとしたことでも涙が出る。
これは単に
その人の性質にすぎず、
情けないことでもないし、
みっともないことでもない。
涙を流したところで、
誰かに迷惑がかかるわけでもない。
「泣くのは弱い人がすること」
は決して正しくない。
小さなことでも強く感動して、
涙を流せること自体、
ある意味、
とても素晴らしい。
それなのに、
「男の俺はすぐに涙が出てしまい。
弱い人間なのだろう」
と勝手に解釈して、自分を責めて、
ネガティブ感情に襲われる。
悩む必要など、どこにもないのに、
「~するべき」が強ければ強いほど、
「するべきこと」ができない自分を
情けない人間だと捉えて、
自分で自分を苦しめる。
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「~するべき」思考は
人を不幸にすることもある。
たとえば、自分は
結婚して家庭を築くよりも、
独身でキャリア志向で生きたい
と望んでいる人がいる。
しかし、親のほうが
「30歳にもなれば、結婚するべきだ」
と強く信じ込んでおり、
勝手に見合い相手を見つけて、
お見合いさせようとする。
自分は結婚する気持ちが
サラサラなく
仕事を優先したいのに、
「ある一定の年齢までに
結婚しなければ、いけない」という
不当な信念が強い親のせいで、
大きなプレッシャーを
かけられて、
えらく心の負担になる。
子供の立場では
不愉快な気持ちになるだけでなく、
大きな迷惑を被っている。
親が「結婚しなければ、
許さない」という態度なら、
親子関係も悪化して、
お互い不幸になるだけだ。
もしも、自分は嫌でも
親の意向に従って、
好きでもない人と
無理矢理結婚したら、
幸せになることは
まずないだろう。
自分の人生なのに、
自分自身の意向に沿えないのは、
「30歳にもなれば、
結婚するのが当たり前」という
親の不当な信念のせいだ。
結果的に
自分の人生を生きられなくなる。
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「~するべき」という強い思い込みは、
幼少期に親や身近な人の影響を受け、
心の中に徐々に形成されてゆく。
一旦、自分の中に根を深く下ろせば、
それが当然のこととなり、
疑うことすらしなくなる。
自動的に
「こうすることが当たり前」
と信じ込んでいるので、
無意識にその信念に基づいて
日々行動するようになる。
自分のみならず、
近くにいる他人や
親密な関係にある人たちにも
自分が正しいと思うことを
押し付けて、
トラブルや苦しみを発生させる。
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指摘されなければ、
なかなか気づけないが、
自分の視点で正しいことでも、
他人にとっては
正しくないこともある。
自分にとっては
良いことだと確信していても、
相手にとっては
全然望ましくないこともある。
ある場所で、ある時代には
「そうするのが一番良い」
と考えられていることでも、
場所や地域や国が変わったり、
時代が変われば、
良いどころか、
悪いものに変わることもある。
自分が「~するべき」と
信じ込んでいることが、
万人には通用しないのだ。
この世の中には
色々な背景を持つ人たちがいて、
色々な考え方や価値観がある。
自分にとっては正しい
と思えることでも、
世界中の全ての人に
通用するものではない。
何時の時代でも、何処の場所でも
どんな人でも口を揃えて、
「これは正しい」という
絶対的な正しいことは
どこにも存在しない。
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もし、絶対的な「正しいこと」
がないのなら、
自分が今まで「正しい」
と信じてきたことも
少し疑ってもよいだろう。
特に、
その「正しい」と思われることが
自分や周りの人間を
苦しめるのなら、
「本当に、それは
正しいことなのか?」
疑ってみる価値はある。
「家事は女が
すべてを負担するべき」は
本当に正しいのか?
「男が泣くことは
みっともなくて、情けなく、
絶対にしてはならないことなのか?」
「30歳にもなれば、
結婚するべきこと」は
理にかなっているのか?
よ~く考えてみることだ。
じっくりと考えれば、
「必ずしもそうではない」
と分かることもあるはずだ。
家事をするのは、
女だとか、男だとか、
性別には関係ない。
専業主婦なのか、
お互い仕事を持つ夫婦なのか、
自分たちの状況によっても
全然違ってくる。
専業主婦の場合でも、
子供が小さな頃には、
主婦業と母業を両立させるのは、
かなり大変なことだ。
夫が少しでも気を利かせて、
手伝うことがあってもよいだろう。
自分が今までは
「男は台所に立つべきではない」
と信じていても、
育児に追われる奥さんに
できることを協力してあげれば、
夫婦関係もずっと改善され、
お互い気分よく生活できる。
男だから泣いてはいけない
なんてこともないはず。
「男ならマッチョでなければ」
という考え自体が間違っている。
性別に関係なく、
人は色々な性格や性質を持つ。
自分に備わったものを否定して、
嘆くのでは、
自分で自分を
不幸にしてしまうだけだ。
こうでなくてはダメだ
と自分を縛り付けない方が、
悩むこともしなくなり、
精神衛生上、健全に生きられる。
30歳にもなれば、
結婚するべきという考えも
捨てた方が、
親子関係は
より良いものになるはずだ。
また、子供の立場でも、
自分が心底望むことを追求でき、
幸せな気持ちで
人生を送れることになる。
そう考えれば、
今まで自分が信じてきた
「~するべき」がオカシイと分かったら、
それに執着することなく、
サッサと捨てた方が賢明だ。
自分にとっても
周囲の人たちにとっても、
より良い結果をもたらして、
皆が自由でラクになれる。
もちろん、「~するべき」
に従うことで、
自分も良い状態で、
周りもハッピーだ
というケースもある。
それなら、それを
続ければよい。
しかし、「~するべき」
に固執するがために、
自分が辛くなってしまったり、
親密な人たちや近くの人と
揉め事や争い事が絶えないのなら、
ちょっと立ち止まって
見直してみた方が賢明だ。
今、自分が信じ込んでいる
「~するべき」は本当に正しいのか?
本当に自分にとって有益であり、
恩恵をもたらすものか?
もし、その答えが「ノー」ならば、
是非、その「~すべき」思考は
手放してしまおう!
自分から縛りを解いて、
自分を自由にさせて、
ラクになったほうが賢い。
絶対的に「正しいこと」
はどこにも存在しないのだから、
自分を縛り付け、苦しめるものからは、
解放された方が得だ。
そんな理不尽なものに
しがみついていること自体
愚かだとしか言えない。
そんな愚かなことは
もうやめにしよう。
不当な信念により、
自分をがんじがらめに縛り付け、
勝手に苦しむことは、
ツマラナイことだから。
そんなツマラナイことを
今後も継続するのは
馬鹿らしい!
理不尽な「~するべき」
から解放されれば、
柔軟な心を持って、
しなやかに、寛容に
気楽に生きることができる。
「幸せだな」と感じる時間も
長くなるし、
周囲の人たちとの
人間関係も良好になり、
身の回りでも
沢山良いことが起きるようになる。