正義中毒から脱して、心穏やかに平和に生きよう!

「正義」は一見
立派なことに思えるけれど、

気をつけないと
「悪」に変わってしまうことも
しばしばだ。

自分の正義を
自分の中で大切にするのは
結構なこと。

しかし、それを
他人に押しつけようとすれば、

争いや戦いの原因となり、
お互いを破壊し合うリスクもある。

今回は、
正義はほどほどにして、
正義中毒に陥ることなく、

心穏やかに
平和に生きようという話。

そして、自分とは
全く違う考え方をする人たちにも
寛容になり、

多種多様を受け入れて、
皆で仲良く生きて行こうという話。

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「正義感」とは不正を許さず
自分が正しいと信じたことを
とことん貫き通すこと。

正義感の強い人は
真っ向から悪に立ち向かい、

より良い社会を作るために
献身的になる。

ある意味、
とても素晴らしい。

しかし、問題は、正義感の強い人は
周囲の人たちと揉め事を
起こす傾向が強いことだ。

その理由は、
「自分が絶対に正しい」
と信じ込んで、

自分の考えに反する
他人の言動に対して、
「絶対に許せない」という感情が
強く沸き上がり、

相手を叩き潰そうとして
攻撃的になるからだ。

攻撃された相手の方も
黙っておらず、攻撃し返す。

相手にとっても
相手の信じる「正義」があるからだ。

お互いが「自分の正義」を掲げて、
戦いを始めれば、

けっきょくは破壊的行為となり、
望ましくない状況に導かれる。

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Aさんが正しいと思うことは、
Aさんにとっては正義になる。

しかし、Bさんにとっては
Aさんの正義は
必ずしも正義ではない。

BさんはBさんで
Aさんとは全然違う考え方をして、

別の正義がある。

人の経験や背景は様々であり、
考え方や価値観も多種多様。

世界中のすべての人々が
「これは絶対的に正しい」
と肯くものは、どこにもない。

何時の時代でも、何処の場所でも、
誰もが口を揃えて、
「絶対的に正しいことだ」と言えるものは、
存在しない。

「正しい」と思われることは
その個人の経験や
生きた時代背景に左右される。

人間は誰もが
異なる環境下に生まれ育ち、

見たり、聞いたり、したりすること、
得る知識や技能も全然違うので、

皆が全く同じように
考えられなくても
不思議ではない。

自分が正しいと信じることは、
個人の主観的な判断にすぎず、

客観的なものではない。

このことを認識するのは
非常に大切だ。

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自分にとって正しいと思うことを
自分の中だけで大切にするのなら、
問題は起きない。

しかし、他人に対しても
自分の信じる正義を押し付ければ、

対立が生まれてしまい
厄介な問題に発展する。

Aさんが自分の正義を
Bさんにも教えてあげて、Bさんにも
自分と同じように考えるよう強要する時、

Aさんの立場では
Aさんは良いことをしている。

Bさんのためを思って
親切心でしていると確信する。

なぜなら、Aさんにとっては
Bさんは「悪」だからだ。

Aさんは、Bさんを
「悪」から救ってあげている
と信じている。

しかし、Bさんの立場では
Aさんの親切はお節介にすぎず
迷惑にしか感じられない。

Bさんにとっては
Aさんの正義は
自分の正義とは異なる。

Aさんの正義を
勝手に押し付けられて、不愉快だ。

もし、Bさんが負けず嫌いで、
張り合う性格ならば、

Bさんも自分の正義を掲げて
Aさんに対抗するだろう。

Aさんにとっては
Bさんは「悪」。

Bさんにとっては
Aさんは「悪」。

お互い自分は「悪」
と戦っている。

「正義」対「正義」の戦いは、
それぞれの立場では
「悪」との戦いだ。

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人は誰でも自分が正義で

自分とは違う考え方をする人を
「悪」として扱いたくなる。

しかし、これは
単なる主観にすぎず、

客観的に見れば
Aさんが正しいのか?
Bさんが正しいのか?
どちらが悪なのか?の問題ではない。

Aさんも、Bさんも
考え方、価値観が違うだけ。

お互いに
「この世の中には
色々な考え方をする人たちがいて、

自分が正しいと思うことは、
必ずしも
他人に通用するものではない

と十分承知していれば、
何も問題は起きない。

自分の考えも大事にして、

それと同時に
自分とは異なる、他人の考えも、
尊重してあげる。

「そういう考えもあるかもね」
と寛容な姿勢を持てれば、

多種多様を受け入れて、
相反する考え同士でも
共存していくことも可能だ。

しかし、それができないのは、
その人の視野が狭いだけ。

自分が正しいと信じることが
すべてであると思うような
視野狭窄状態にあるからだ。

でも、本当は、自分の考えは
単に一つの考えにすぎず、

世の中には、もっと沢山の
違った考え方がある。

広い視野で観れないから、
他人の考えを
受け入れられないのだ。

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正義感の強さの裏には
また別の心理的問題が
隠れていることもある。

「自分が正義だ」と
自分を肯定したい
気持ちが強すぎる人は、

勝手に意識の中で
悪人を作り出している。

悪人なしでは、
正義は成り立たないからだ。

一見強い自己肯定の裏には、
自分に対する自信のなさや、
自己肯定の低さが
隠れていることもある。

自分に自信がないから、
自己肯定をしたい気持ちが強くなる。

自己肯定をするには
悪人を作り出せば、簡単だ。

自分は「正義」、
相手は「悪人」として、
自己を肯定して満足できるからだ。

もし、これが
正義感の強すぎる人の
潜在的原因ならば、

相手が悪いのではなく、
自分自身が解決すべき
心の問題があるということ。

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もし、自分が
学校でも、職場でも、
所属するコミュニティーの中でも、
「この人許せない」と感じることが多ければ、

自問自答してみるとよい。
「もしかして、
自分に自信がないから、
自己肯定したい気持ちが
強いのでは?」と。

実際にこのような質問を
自分自身に投げかけて、
自己内省するのは、かなりツライことだ。

できれば、避けて通りたい。

しかし、これが潜在的原因で
人間関係のトラブルが起きるのなら、

このことに
気づくだけでも、
問題解決に大きく役立つ。

また、自分の考えは
単なる一つの考えにすぎず、

世の中には、自分とは全く違う
考え方をする人たちがいることを
十分承知した方がよい。

そして、他人の考えに対しても、
自分の考えと同じくらい尊重して、

寛容な姿勢で
他人に接することができれば、

揉め事や、争い事、
戦うことも
自分のもとから消えてゆく。

残念ながら、戦うことは、
自分にとっても
相手にとっても、何も良いことはない。

お互いに破壊的になるだけで、
非建設的、非生産的な状況に
つながるだけ。

気持ち的にもイライラして、
そのイライラを周囲にぶつけ、

更に人間関係を狂わせる。

正直言って、
ろくなことは起こらない。

そんなことをするよりも、
自分は自分の考えを
大事にするけれど、

他人に押し付けない方がいい。

全く異なる他人の考えも
自分の考え同様に尊重して、

寛容な姿勢を持った方が
心穏やかに生きられる。

人間関係も悪化しないし、
お互いのためにもよい。

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今回の話で
一番伝えたいことは次の通りだ。

「正義」というのは
主観的なものにすぎないこと。

自分の正義は
自分の中だけで大事にする。

それと同時に
他人にも他人の正義があることを
認めてあげて、

他人の正義に対して
攻撃しないこと。

なぜなら、自分の考え方は
単なる一つの考え方にすぎないから。

世の中には、色々な人たちがいて、
色々な考え方をするからだ。

自分にとっては
自分が正しいと信じることが
正しくても、

それは誰にでも
通用するものではない。

自分のことを認めて、
他人のことも認めてあげる。

お互いをお互いに尊重できれば、
勝手に自分の正義を
相手に押し付けることもなくなる。

そうすれば、
不必要な戦いも防げる。

戦うことは、
破壊的な結果を生むだけ。

戦いに参加する人は、
そうすることで
何も得することはない。損するだけだ。

正義感が強すぎる場合、
潜在的原因が
自己肯定の低さに
あるかもしれないことを
知っておくのも役に立つ。

いずれにせよ、
争ったり、揉め事を起こしたり、
戦ったりはしない方がよい。

それよりも、
多種多様を受け入れて、
お互いを尊重しあい、

仲良く共存する道を選んだ方が
皆が幸せになれる。

自分も心穏やかに
平和に生きれるようになるから、

そちらの道を選択しよう!