近くにいる誰かが
成功を収めた時、
なんだか自分は
置いてきぼりにされたようで
惨めな気持ちになることがある。
他人が上手く行っていれば、
自分は劣ったように感じられ、
妬みを感じることもある。
逆に、他人に悪いことが起きた時、
他人が失敗した時には、
表面上は
「お気の毒に」
と口に出して言ってはいても、
自分の心の内では
他人の不幸を喜んでいる。
他人の失敗により、
自分がその人よりも上に
上がったような気がして、
いい気分になることもある。
「イヤだな~。こういうのって、
醜いよ!」とは思うけれど、
こういう風に感じるのは、
私だけではないだろう。
でも、
冷静になって考えれば、
他人が成功しても、
失敗しても、
それは、自分の成功や失敗とは
全く別のこと。
自分は何も変わっていない。
言われてみれば、
当たり前のようだが、
このことをすっかり
忘れてしまうこともある。
他人の成功や失敗で
自分が悲しんだり、喜んだりして、
感情を揺さぶられている。
しかし、自分がどう感じようと
自分は何も変わっていない。
このことを
再認識したほうがいいだろう。
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「他人の不幸は蜜の味」
と言うこともしばしば。
特に
ライバル意識を持つ相手に
不幸なことが起きれば、
その相手の優位性が落ちて、
相対的に自分の劣等感が軽減され、
心地よい気分になる。
こういう感情は、
自分の現状を認められず、
自分自身に満足していない
自尊心の低い人が抱きやすい。
他人の不幸により、
自分の心の痛みが緩和され、
蜜の味のように
感じられるのだ。
他人の失敗により、
自分が優位になった気になる。
その相手よりも、
自分のほうが優っていると感じて、
優越感に浸れる。
気分的には爽快でも、
よくよく考えてみれば、
その相手が失敗したり、
不運に見舞われたりしたところで、
自分自身は何も変わっていない。
自分が向上したのでもなく、
以前よりも
より良くなったのでもなく、
進歩、成長して、
より賢くなったのでもない。
自分は何も変わっておらず、
今までと同じ状態だ。
それなのに、
なんで、そんなに喜ぶのか?
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逆に「他人の幸福は飯がまずい」
とも言われる。
ライバルだと思う人が
スゴーク上手く行っていたり
大きな成功を収めたりした時、
自分はなんだか惨めになる。
相手は自分よりも
ずっと上に行き、
自分は相手よりも、
下がってしまった気持ちになり、
不愉快な気分にさせられる。
そういう相手を妬ましく感じ、
引きずり下ろしたい!
と醜い感情まで湧いてくる。
相手の幸福を
喜んであげるどころか、
羨ましさが嫉妬心になり、
相手を攻撃したくなる。
この時、自分の心の内では
劣等感が強まっている。
ダメな自分を強く感じて、
ネガティブ感情に
襲われることさえある。
しかし、他人が成功したところで、
自分が失敗したわけではない。
自分が後退したのでもなく、
今までよりも、悪い状態に
なってしまったのでもなく、
自分が下に下がったわけでもない。
他人の成功により、
自分自身は何も変わりがない。
今までと同じ状態だ。
それなのに、なぜ、
そんなに不愉快になるのか?
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妬みを感じた時、
人は主に2つの反応のうち、
どちらかをするものだ。
一つは
羨ましさがネガティブに転じて
相手を引きずり下ろしたい
と願うこと。
もう一つは
羨ましさがポジティブに転じて、
「私もあの人のようになれるよう
頑張ってみよう」
と努力のきっかけになること。
前者は「悪性妬み」、そして、
後者は「良性妬み」と言える。
悪性妬みになるのか、
良性妬みになるのかで、
全く違う結果を得ることになる。
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悪性妬みは
心でそう思うだけでなく、
行動に出てしまうこともある。
相手を引きずり下ろすために、
実際に相手を妨害したり、
誹謗中傷したりする。
相手の足を引っ張り、
その人の成功や物事の進行を
意図的に妨害する。
妬ましい相手に対して
意地悪してやろうとか、
失敗するように仕掛けるなど、
悪いことを企むのは、
そんなに努力をしなくても、
ラクにできてしまうもの。
だから、相手の足を引っ張ることに
誘惑されてしまう。
そして、自分の仕掛けた罠に
相手が落ちてくれれば、
自分は「ざまあみろ!」
と言って、喜ぶ。
気分がスカッとして、
一時的でも良い気持ちになる。
しかし、このような行為は
自分にとってはメリットはない。
その時には、
一時的な快感はあっても、
長期的な視点で観れば、
何も良いことはない。
相手を引きずり下ろしたところで、
自分の位置は変わっていない。
自分が
改善されたわけでもなく、
優位な立場に
上がったわけでもなく、
進歩、向上したわけでもない。
自分は今までと同じ所にいて、
何も変わっていない。
相手を引きずり下ろす
卑怯なやり方は、
周囲の人たちにも
見抜かれやすい。
直ぐには
明らかにならなくても、
「あれ、オカシイ?」
と思う人が出てくる。
そのうち、自分の醜い行為が
バレてしまうこともある。
その結果、周囲の人たちから
信用を失ったり、
被害を受けた相手から、
恨まれることもある。
人間関係の点においても、
良いことは何も期待できない。
短期的には良くても、
長期的には愚かな行為だ
と断言できる。
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それに対して、良性妬みは
自分を高めるための
原動力に変換できる。
あの人と同じようになれるよう
自分も一生懸命努力すれば、
その結果、
自分のスキルも向上して、
今までよりも優れた自分、
より高いスキルを持つ自分になり、
自分自身のリソースも増える。
これにより、
自分がより良い方向に動ける。
誰が見ても、
良性妬みのほうが
悪性妬みよりも望ましい。
しかし、問題は
自分もあの人のようになるために
コツコツと頑張ることは、
時間もかかるし、ラクではない。
一生懸命頑張って、
ある程度、努力をしなければ、
相手に近づくことはできない。
その努力は、
簡単なことではない。
時にはかなりシンドイ
と感じることもしばしばだ。
だから、手軽にできる
相手を引きずりおろす方向へ
誘惑されてしまいそうだ。
ある意味、人間は怠け者。
時間や労力が必要なことよりも、
手軽に簡単にできることに
飛びつきたいと思ってしまう。
まあ、仕方ないと言えば、
それだけだが、
この姿勢はあまりにも短期的。
目先の利益しか考えていない、
愚かな考え方だ。
自分が努力を重ねて、
自分自身を高めることは
かなり大変なこと。
しかし、長期的視点では、
こちらの方向へ進む方が、
自分も幸せになれるし、
周囲との人間関係も
良好に維持できる。
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子供の頃から、
常に他人と比較され、
優劣をつけられて育った人は、
「他人の不幸は蜜の味」、
「他人の幸福は飯がまずい」
という状態に陥りやすい。
しかし、この時、
相手の成功や失敗は、
自分の成功や失敗とは別物だ。
このことを
再認識したほうがよい。
他人がどんなに成功しても、
自分の位置が
下がったわけではない。
逆に、他人が失敗しても、
自分が進歩、向上して
上に上がったわけでもない。
他人の成功や失敗により、
自分の位置が変わることはない。
今までと同じ位置にいる。
後退してもいないし、
進歩、成長してもいない。
このことは大切なので、
繰り返し自分に言ってあげるといい。
妬みの感情が沸いた時には、
自然な感情なので、
ムリに抑えつけることはない。
でも、そんな時には、意識して、
悪性妬みにならないよう
気をつけることは大切だ。
良性妬みにより
建設的な処理をして、
自分を向上させ、
自分のリソースを増やす方向へ、
意図的に自分を導いたほうがいい。
それにより、長期的には
自分も進歩・成長して、
より高い位置に
行くことが可能だからだ。
他人の成功や失敗は、
直接的には
自分の成功や失敗とは別。
これにより
自分が変わることはない。
しかし、
他人の成功や失敗を
自分が良い方向へ動くための
原動力に変えることはできる。
他人も自分も一緒に
上に上がっていくことを
目指すのが、一番理想的だ。