今自分ができる最高の自己投資とは、どんなもの?

昔から「自己投資」することは
有意義なことで、価値あることだ
と感じている。
経済的にも、精神的にも恵まれて、
幸せに生きるために、
自分自身に投資して、
自分を磨いて向上させ、
望ましい状態を目指すことは、
素晴らしいと考える。

どのような自己投資が良いのだろうか?
それについては、
20代後半より30代にかけて
自分が考えていたことと、
50代後半の今、私が理想的だ
と思えるものとは、大分違う。

今回は、私が今考える「最高の自己投資」
について、お話したい。

今、私が一番大切だと思うことは、
身体と心の「健康」だ。
3次元の世界で
肉体を持って生きる私たちには、
自由に身動きできる
健康な身体を持つことは
とても有益であり、重要だ。
健康があるからこそ
様々な恩恵を受け取って、
楽しむことが可能だと考えるからだ。

自分の身体を自家用車に例えれば、
分かりやすい。
東京のような
公共の交通機関が便利な場所ではなく、
すごく田舎で、車がないと
日常生活に支障をきたす地域に
住んでいると仮定する。
つまり、車に完全に頼っている状態だ。

そんな環境下では、車が故障せずに、
問題なく動いてくれることは必須だ。
さもないと、通勤するのも、
買い物へ行くのも、文化的な活動に参加するのも
困難が生じて、大きな支障が出る。
信頼性のある車を所有して、
必要な時には、車に頼れる状態でなければ、
日常生活が上手く回らなくなる。

車も私たちの身体と同様に
古くなれば、老朽化により
色々な部分に不具合が出てくる。
そんな時には、
悪くなった部品を新しいもの入れ替えて、
きちんと修理をすることも大切だ。

車を大事にして、日々の手入れも怠らず、
常に良い状態に維持し続けることは、
ある意味、「投資すること」と似ている。
なぜなら、それを怠ってしまえば、
いざ~へ行く必要がある時に、
車が動いてくれず、
困ってしまうこともあるからだ。
大切な用事で、
絶対に逃したくない機会があっても、
車が動かないのでは、
そこへ行きたくても、行けなくなる。

故障により、車が長期間、
修理場に入ってしまえば、
大きな不都合が出てくる。
自分で買い物にも行けなくなり、
近所の友達にお願いして、
買って来て貰わねばならない。
何処かへ行く必要がある時には、
高いお金を支払って、
タクシーを利用せざるを得なくなる。
周囲に迷惑をかけるだけでなく、
自分自身の負担も大きくなる。

良い状態で維持された車があれば、
何時でも必要な時には、どこへでも行ける。
大きな故障になる前に、
車の定期点検をこまめに行い、
問題が見つかれば、
その都度直しておくことは重要だ。

私たちの身体は、
ある意味、車と似ているだろう。
身体に全く気遣いをせず、
不健康なことばかりをして、
自分の身体を粗末に扱えば、
そのうち身体を壊して、
不自由な生活を余儀なくされることもある。
自由に身体が動かなければ、
何かしたいことがあっても、
なかなか出来づらくなる。

肉体を持つ私たちは、
身体が病めば、心も病んでしまう。
身体が悪くなれば、心も悪影響を受けて、
幸せな気持ちで生きられなくなる。
心と身体は繋がっているので、
心を整えて幸せを満喫するには、
まずは身体の状態を整えることが一番だ。
充実した楽しい人生を送るために、
身体の健康を
重要課題の一つにしたほうが賢明だ。

車がなくては日常生活が困難な場所では、
常に車の手入れをして、定期点検もバッチリして、
良い状態を維持するよう努め、
いつでも必要な時、車に頼れるようにしておく。
これと同様に、
自分の身体も大切に手入れをして、
何かしたい時には、
何時でも動けるようにしておくことは、
有意義で豊かな生活を送るためにも、
必要なことだ。

新車のうちにはあまり故障がなくても、
中古車になれば、老朽化のために、
色々な場所に不具合が生じる。
人間の身体も全く同じであり、
年齢を重ねれば、それなりに老化する。
老化を完璧に避けることはできなくても、
極力、老化を遅らせて、
身体の状態を良好に保ち、
何時でも身軽に動けるようにすることは、
質の高い生活を楽しむためには
なくてはならない。

そのため、健康的な生活習慣、食生活、
適度な運動を日常生活に取り入れ、
自分の健康に気遣うことは、
良き自己投資と繋がると私は考える。

どんなに頑張って
経済的豊かさを手に入れても、
身体の具合が悪くて、
思ったような生活ができなければ、
豊かさから得られる恩恵を
エンジョーイすることも
できなくなるからだ。

心身の健康維持と同じくらい
大切だと思うことは、
「新しいことを学べるスキル」を持つことだ。

若い頃には、ある特定のスキルを
身につけることが重要だと思っていた。
その当時は、「~のスキルをマスターすれば、
今後、ずっと安泰だ」と信じて、
難易度の高い資格を取り、
その後は、ずっと同じレールに沿って
生きてゆければと思っていた。

しかし、今では
特定のスキルに固執するのではなく、
単に「新しいものに心を開く」
という姿勢そのものが大切だ
と考えるようになった。

その理由は、
時代時代で必要スキルは変化する
と理解できたからだ。
今まで長い間、「~をマスターすれば、
このままずっとラクに生きてゆける」
と信じるものを追いかけ、
常に頑張ってきたような気がする。
残念なことに、
せっかく努力して身につけたスキルでも、
いつかは時代遅れとなり、
もう使えなくなってしまうこともある。

その時々で「~をマスターすれば」
という具体的なものを限定するより、
もっと抽象度を上げて、
新しいことそのものに心を開く、
という姿勢のほうが、遥かに役に立つ
と感じている。

そのためには、知的謙虚さを持つこと。
自分が知っている範囲のことは、
非常に小さいと思い、
今までの考え方や
学んできたこととは違うことに
寛容な姿勢を持つことだ。
自分の知らないことに遭遇した場合は、
頭ごなしに否定せずに、
心を開き、受け入れる姿勢でいることだ。

どんなに専門知識がある場合でも、
自分の持つ世界観がすべてだ
と思わないほうがよい。
自分の中のプライドが高すぎて、
無意識に新しく出てきたことに
反対したり、否定したりすれば、
新しいことを学べなくなるからだ。

自分の知っていることは
ほんのわずかであり、
自分が知らないことが起きても、
自分が予想しなかったことがあっても、
全く不思議ではないと思ったほうがよい。
知的な謙虚さを持たなければ、
新しいものを
シャットアウトしてしまい、
新しいスキルも学べなくなってしまうからだ。

自分が知らないことは、
学びのチャンスだと捉えて、
新しいことに寛容になる姿勢が
「新しいことを学ぶスキル」
に繋がると思う。

自己投資と言えば、
お金をかけてセミナーに参加したり、
何らかのコースを受講することが
まず最初に頭に浮かぶ。
昔はそうすることが自己投資だ
と信じていたが、最近は別の考えに変わった。

新しいことに心を開き、
新しい何かを見つけるたびに、
それを試してみること。
その連続が自己投資に繋がるのでは?
と考えるようになった。

一気に大きな新しいことを
学ぶ必要はない。
それよりも、日々の生活の中で、
新しい何かを見つけた時、
小さなことでもよいから、
その都度、試してみることだ。

そうすることにより、
柔軟性を持って、
色々なことに対応できるようになる。
凝り固まった「~のスキル」
に執着することはやめて、
「知らないことは沢山ある。
自分の予想外のことも普通にある」と承知して、
新しいことに心を開き、
日々、とにかく小さな新しいものを
試してゆくことだ。

ムリなく自分のペースで
ちょっと背伸びするくらいのサイズで
新しいことを試してみるとよい。
一回一回はそんなに大したことではない。
しかし、これをやり続ければ、数年後には、
かなり大きな自己投資に繋がるだろう。
小さなものでも、長期間では
驚くほど大きなものに積み上がるからだ。

心身ともに健康に恵まれ、
新しいことにも寛容であり、
自ら新しいことを試す姿勢があれば、
「これからは~のスキルが大切だ」
と言われても、躊躇せず、
そのスキルを学ぶことも可能になる。

最近、私が考える理想的な自己投資は、
心身の健康を最重要課題にすること。
また、知的謙虚さを持ち、
新しいことに心を開き、
いつでも新しいことを試し続けることだ。
この2点だけでも、大きく飛躍できる
と信じている。