勉強量が半端でない! ニュージーランドの大学での話

私の娘も息子も、今では大学生となり
実家から離れて、別の都市で生活している。
そんな子供たちと
電話やビデオコールで話すこともしばしば。
先日娘と話した時、
彼女は大学の勉強量の多さにビビっており、
プレッシャーを感じている様子だった。

そんな彼女の話を聞いていて、
私もこの国で
大学に通っていた頃のことを思い出した。
30年前の話であり、
学期制度が変わったことはあるが、
勉強量など本質的なことは
未だに同じだという印象を受けた。

NZの大学での勉強量は半端ない。
特に読書量は尋常ではないと思った。
次の講義に出席するまでに
予め読んでくるべき読書リストを渡されて、
呆然とした。

どう考えても、たった1週間で
これだけの量を読めというのは、ムリ!
絶対にムリ、ムリ、ムリ!
寝る間も惜しんで読んだとしても、
おそらく、読み切れないだろう。

たった一つのコースだけでも、
こんなに読まねばならない。
とにかく、量が半端なく多い。
ほとんどの学生は7コースを
同時に履修していた。
それぞれのコースで読むべき課題があり、
合計すれば、膨大な読書量だ。

英語が母国語でない私は、
一年目は5コースしか取らなかった。
他の学生よりも読書量は少ないはず。
それなのに、かなり大変で、
最初のうちは、何度降参しようと思ったことか。

日本では大学に入るまでは
受験勉強が大変でも、
一旦、入学してしまえば、
大学での勉強をそっちのけにして、
遊び惚ける学生もいるくらいだ。

それに対して、ニュージーランドでは、
大学へ入ることは簡単でも、
ずっと大学に居続けて卒業することは、
そんなに容易いことではない。
それなりの勉強をしなければ、
コースにパスできないので、
次のコースへ進めなくなる。
大学で勉強を始めたものの、
途中でギブアップする学生も少なくない。

そのような話は最初から聞いていたので、
ある程度、覚悟はできていたが、
それでもあまりの勉強量の多さに
悲鳴を上げるばかりだった。

初めの数か月間は、
いつまで留学生活を続けられるのだろうか?
それさえも分からない状態だった。
慣れない食べ物と、勉強の多さと、
ホームシックで毎晩泣いていた。
暫く途方に暮れる日々が続いた。

しかし、一年目も終わりに近づいた頃、
私はある重要なことを知った。
コースの中では、「これとあれとそれと…
これらすべてを学習しなさい」
と指示を受けるが、
成績のアセスメントに関しては、
すべての分野で評価されないということ。
これを知ったお陰で大分救われたと思う。

例えば、あるコースでは、
A、B、C、D、E、F、Gのトピックを勉強をする。
だから、すべてのトピックに関して
膨大な量の読書をして、
学習するように指示される。
しかし、アセスメントにおいては、
AとCとFだけで評価されるのだ。
そのコースに合格するためには、
A、C、Fはきちんと読んで理解して、
勉強する必要はあるが、
B、D、E、Gはやらなくても大丈夫
ということだ。
こんなに膨大は量はムリだと思われても、
多くの学生がどうにかやっていけるのは、
このお陰によるところが大きいのだろう。

一番最初の講義では、
イントロダクションの一部として、
そのコースの評価方法を事細かに教えてくれる。
例えば、エッセイタイプの課題3つが
それぞれ10パーセント。
コースの中間時に行われる試験が20パーセント。
最終試験が50パーセントの割合で、
すべてを合わせて最終的な成績が出る。

試験前には、どんな形式の試験なのか?
そこまで教えてくれる場合も多い。
例えば、複数選択肢から1つを答える問題なのか、
それとも、エッセイタイプで回答するものか。
実際に何問出題されて、
そのうち何問回答すればいいのか、
質問はどのトピックからなのか等々、
詳しく教えて貰える場合もある。
時には、試験問題の質問そのものを
事前に発表することもある。
通常はエッセイタイプの質問なので、
学生は試験前にどのように書くのか
予め準備することも可能だ。

私が感じたのは、
アセスメントに上手く対応して、
要領よく勉強すれば、
指示されたすべてのことをしなくても、
かなり良い成績が取れるということ。
要領よく勉強できるか否かで
学業成績に差がつくような気がした。

極端なことを言えば、
コースを修了した時にマスターすべきことを
すべてやらなくても、合格できるということ。
しかもかなりの高成績を取ることも可能だ
ということだ。

私に要領よく勉強することを教えてくれたのは、
チューターという立場の人。
通常、一つのコースは一人の教授が担当しているが、
チューターという教授補佐のような人も何人かいる。
そのチューターは、週に何回か
チュートリアルのセッションを行い、
そこで学生に勉強指導をしてくれる。
例えば、講義で分かりにくい点を
親切に教えてくれたり、
アセスメントの準備のために、
どう勉強すればよいのかもアドバイスしてくれる。

あまりの勉強量に圧倒されて、
溺れてしまいそうだった私に
チューターは色々役立つお知恵を下さった。
そのチューターのアドバイスは、
エッセイタイプの課題の時には、
そのコースの教授が著者である書籍名を
必ず参考文献リストに入れることだ。
その本を読んでいなくても、
そのコースの教授が書いた本の名前は
とにかく入れたほうが有利になるとのこと。
それが参考文献に入っているかいないかで
成績が変わることもあるらしい。
「なるほどね」と肯けた。

提出する課題の期日も
最初からはっきり発表されるので、
勉強の計画を練るのに役立つ。
典型的な日本人の勤勉さを持つ私は、
期日に対して、かなり忠実だ。
絶対に遅れないよう、徹夜してまで頑張った。
しかし、ニュージーランド人の学生の中には、
期日までに提出できない人も幾人かいた。

期日に間に合わなければ、
通常は減点を食らうはず。
でも、教授の中には、かなり寛容な人もいた。
病気の場合には、「まあ仕方ない」
と当然のように許してくれる。
時には、こんな理由でも許可されるの?
と不思議に思うものもあった。
例えば、「親戚の家族がイギリスから着ていて、
その家族と一緒に時間を過ごす必要があり、
そのために勉強できなかった」というもの。
それでも、「まあ、いいでしょう」
ということになる。

期日に間に合わない説明を
何度もする学生もいて、
そのたびに、上手く説明するスキルを
向上させているようだった。
近くで聞いていても、
理由そのものはたいしたことではない
と私には思えても、
言い方とか説得力がスゴクて、
教授も「じゃあ、あと3日時間をあげる」
などと快く言ってくれるのだ。
こういう学生を見た時、
確実に期日に間に合わせるために
徹夜で頑張った自分が馬鹿らしく思えた。

大学では普通は教授が学生を評価する。
しかし、ニュージーランドでは、
コースの終了時には、
学生が教授を評価する機会もある。
それぞれのコースにつき、
教え方が良かったか、悪かったか、
改善点はあるのか、
コースの勉強量と質はどうだったか、
その他、何でも言いたいことを
アンケート用紙に書いて提出できた。
学生が一方的に評価されるだけでなく、
教える側も質の高い教育を提供するために
評価されるのは、真っ当なことだと思った。

パンデミックにより、
最近は日本の大学でも
オンラインによるリモート授業が普通になった。
ニュージーランドでは、
パンデミックが始まる以前より、ずっと昔から
リモートによる大学コースのオプションもあった。
私が通った大学には、
私が留学していた30年前でも、
リモートにより大学での勉強が可能だった。

その当時はインターネットもない時代。
通信教育に似ており、ほとんどの時間は
郵送された教材で勉強することになる。
しかし、時には大学キャンパスに通い、
少しだけ講義セッションを受ける必要もあった。
最終試験は直接大学まで出向いて受験する。
この制度のお陰で、
私も子供たちが小さな頃、
2つ目の大学コースを終えることができた

子供たちが自宅から離れて、
私は今、自分だけの時間が増えた。
そんなわけで「再び大学で勉強すれば?」
と言ってくる人もいる。
しかし、私は再び大学で勉強したくない。

私は学ぶこと自体は好きだが、
大学コースに入って、
決められたことを何時までにやらねばならない
という勉強の仕方は嫌いだ。
自分の興味ある分野のことを
好きなだけ自分のペースで学びたい
という気持ちが強い。
今後も色々なことを学び続けたいが、
大学に入って、他人のペースでやらされる
というのはもう御免だ。

ということで、今回は昔のことを思い出し、
ニュージーランドの大学での勉強のことを
お話してみた。