今回は、
自分一人で生きる人もいなければ、
全く社会への貢献がない人もいない!
というテーマでお話します。
言い換えれば、
私たち人間は、皆がお互い
支え合い、つながりの中で生きている
ということです。
なぜそのように言えるのかを
詳しく解説していきましょう!
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先日観た番組で、
「何を言っているんだ!
僕はこれまで一人で生きてきたんだ!」
と主張する若者の場面がありました。
この場面を目にして、
私は少し腹立たしさを感じました。
おそらく、この若者は、
周囲に迷惑をかけずに、
目に見える大きな支援も受けずに、
一人で社会的かつ経済的な地位を築き上げ、
今では立派な社会人として、
世の中に大いに貢献している
と言いたいのでしょう。
だからこそ、
「自分一人で生きてきた」という
自負をもって語るのだと思います。
しかし、
そのような立派な人であっても、
実際には一人きりで
生きているわけではありません。
一見すると、
立派にやっているように見えても、
誰かの助けなしに
生きていける人は存在しません。
同時に、
目に見える形での社会貢献がなくても、
間接的には、
誰もが何かしらの役割を
果たしているのです。
つまり、この世の中には、
一人きりで生きている人は
どこにもいなければ、
全く役立たずの人もいない
ということです。
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なぜそのようなことが
言えるのでしょうか?
次のことを考えてみれば、明白です。
その人がこれまで食べてきた食事は
どうでしょうか?
自炊をしている場合でも、
料理に用いる食材は
お店で購入することになるでしょう。
野菜であっても、肉であっても、
魚であっても、調味料であっても、
スーパーで手に入る状態までには、
多くの人々の時間と労力が注がれています。
野菜の場合、その野菜を種から蒔き、
肥料を与え、収穫の世話をする必要が
あります。
収穫自体も大規模な作業です。
そして、収穫された野菜は
市場へトラックで運ばれてきます。
スーパーに届いた後も、
スーパーの従業員が
お客さんが買いやすいように
野菜をきちんと陳列します。
野菜が店頭に並ぶまでの過程には、
多くの人々が関与しているのです。
農家の方々、肥料を製造する会社の方々、
運送業者の方々、
調達業務に従事する方々などです。
着ている服についても
似たようなことが言えます。
服をデザインする方々、服の素材を生産する方々、
服を製造する縫製工場の方々、
製造過程で使用される機械を製造する方々、
完成した服を市場に提供する作業を行う方々、
小売店で服を販売する方々などなど、
たった一着の服でも、服が完成し、
私たちが身に着けることができるまでには、
多くの労力が注がれているのです。
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水道の蛇口をひねれば、簡単に流れ出る水も、
そのまま飲料水として利用できるまでには、
多くの人々の手がかかっており、
そのおかげで私たちは
ありがたい恩恵を受けているのです。
ダムを建設した方々、水道管を設置し、
各家庭まで引き込んだ方々、
ダムや水道管などのインフラを維持する方々、
雨水を浄化し、
安全な飲料水として提供するために
水質検査や水質調整を行う方々など、
多様な人々の協力によって、
やっと安心して利用できる水が
私たちの元に供給されているのです。
たとえ「一人で生きてきた」
と主張する人であっても、
赤ちゃんの頃には、
誰かの支えがあったはずです。
生活の基盤を提供してくれる大人がおり、
その大人のおかげで
成長することができました。
成長の過程で、学校に通い
教育を受ける機会もありました。
その教育の背後には
教師たちの尽力があるでしょう。
成人し、社会で成功し、
十分な収入を得ることができるのも、
社会の仕組みが適切に
機能しているおかげです。
この社会の仕組みは、先人たちが
長い時間をかけて
築き上げてきたものです。
この社会の仕組みがあるからこそ、
私たちは今の状態に至っている
と言えるでしょう。
これらの事柄を「当たり前」と
考えるかもしれませんが、
それは当然のことではありません。
冷静に考えると、
私たちは出会ったこともない、
見ず知らずの人たちに支えられて、
生活しているという事実があるのです。
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自分一人で生きてきた
と傲慢な態度を持つ人がいる一方で、
自分は何の役にも立っていない
と自身を情けなく感じる人も存在します。
しかしながら、こういった人々も
何かしらの役割を果たしています。
目には見えない形であっても、
間接的には
社会に貢献しているのです。
例えば、専業主婦を考えてみれば
分かりやすいです。
確かに金銭的な収入の観点からは、
何もしていないように
思えるかもしれません。
しかし、
その家庭の支えとなる存在として、
主婦は大きな役割を果たしています。
家族が健康に暮らせるように、
食事の準備をし、
衛生的で清潔な環境を保ち、
病気を予防するために
お掃除を行うことで、
大黒柱を支えているのです。
子供がいれば、
子供たちの世話や教育をし、
未来の人材を育てる役割を果たすことで、
目には見えにくいですが、
重要な社会貢献を果たしています。
その労働に対して、
金銭的な報酬を得ることはなくても、
誰かの役に立っていることは確かです。
重い病気で寝たきりで
何もできない人々は、
誰にも貢献していない
と考える人もいます。
しかし、
そのような人々がいるからこそ、
医療サービスの産業が
成り立っているのです。
また、
難病で闘病生活を送る人々でも、
周囲の人たちに勇気を与え、
貴重な教訓を提供する点で、
大いに役立っている
と言ってもよいでしょう。
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今回、なぜ
このような話をしたかというと、
どれだけ立派な人であっても「自分は偉い!」
と傲慢になることは避けるべきであり、
一方で「自分は何もできない」と
自分を情けなく思い、卑下する人でも、
自信を持ってもよい!
というメッセージを伝えたかったからです。
明白な形では見えないにしても、
間接的には誰もが
何らかの貢献をしているものです。
つまり、
私たちは互いに支え合って
生きているのです!
この世の中では、
一人ひとりができることには限りがあり、
「自分は大したことはできない」
と考える人もいます。
しかし、
そのような小さな力でも、
無力ではありません。
些細な行為であっても、
何かしらの貢献をし、
それが誰かの助けになっているのです。
さまざまな分野で
大きな成果を上げる人たちも、
表面的には何も特別なことをしていない
と思われる人たちも、
誰もが何かしらの価値を
提供しています。
その点で、お互いに感謝して、
ありがたいと思いながら、
生活すると良いでしょう。