誰でも「我慢すること」はあるだろう。
我慢することも、時には必要だ。
我慢により、それに見合うだけの
素晴らしい結果を得ることもある。
一概に我慢は良いとか、悪いとか言えなくても、
出口が見えない我慢で、
我慢してもさほど良いことがない場合、
「このまま我慢を続けるのか?」
考え直してもいいだろう。
昭和時代の日本に生まれた私は、
「我慢は美徳」という文化の中で育った。
我慢すれば「立派だね」と称えられる。
我慢できなければ、叱られて、
罰を食らうこともあった。
「我慢することは良いことだ」
という信念が知らず知らずのうちに、
私の中に刷り込まれていった。
日本には、「石の上にも三年」
という言葉もあるくらいだ。
どんなに辛くても辛抱していれば、
やがて何らかの変化があり、
好転の芽が出ると信じる人も多い。
我慢はいつかは報われるのだから、
我慢することに意義があると考える文化だ。
しかし、外国に住むようになってから、
本当に我慢は美徳なのか?
私は疑うようになった。
ところ変われば、考え方や価値観も変わり、
その土地に流れる空気も全然違う。
楽しむことに重きを置く
多くのニュージーランド人と接してきたら、
我慢して立派だと思われるよりも、
自分が幸せであり、
自分自身が満たされているほうが
ずっと魅力的だと考えるようになった。
ニュージーランドでは、
「我慢すること」に対して、
日本とは違った捉え方をする人が多い。
我慢に対して、どのくらいのコストがあり、
それにより、
どのくらいベネフィットが得られるのか?
コストとベネフィットを天秤にかけて、
コストのほうが重ければ、
その我慢はやめたほうがいい。
でも、ベネフィットがより大きければ、
多少犠牲を払っても、積極的に我慢する姿勢だ。
我慢に対して、プラクティカルな考え方をする人が
この国には多いような気がする。
揉め事と喧嘩が絶えない夫婦間で、
このまま夫婦の関係を続けてゆくのか?
迷うこともある。
そんな時、昭和生まれの人に相談すれば、
「子供のために、どんなに大変でも
あなたは我慢するべき」
とアドバイスされる奥さんも多い。
自分も仕事で疲れているのに、
旦那は家事や育児を全然手伝わない。
「協力してよ」とお願いしても、
旦那は不機嫌になるだけ。
そこから夫婦喧嘩が始まり、
怒鳴り合いになって、
時には旦那は暴力を振るってくることもある。
泣いているお母さんを見て、
子供は心配する。
しょっちゅう夫婦間で揉め事があり、
そのたびに、親が大声を出したり、泣き叫んだりでは、
子供も安心できず、
健やかに成長することは難しい。
こんな状況なのに、
子供のために
離婚しないほうがいいのだろうか?
「子供のために」と言うけれど、
家の中で常に諍いがあり、
両親がしょっちゅう喧嘩ばかりして、
母親が殴られたり、泣いている姿を見続けるのは、
子供の立場からしても、かなりツライことだ。
我慢が美徳の文化では、
子供が大きくなるまで、
離婚せず我慢したほうがいい
と言う人も多い。
しかし、「幸せに生きること」に
一番の重きを置く人には、
この我慢は理解できないものだ。
離婚した結果、
揉め事や喧嘩や言い争いから解放されて、
穏やかな気持ちで生きる母親を見たほうが
子供も安心できるのではないか?
ツライツライと不平不満でいっぱいで、
暗い顔をした親の顔を見るよりも、
明るく楽しく生きる親の姿を見たほうが
子供としてもほっとできるし、嬉しいものだ。
離婚するかしないかは、
様々な利害関係も絡んでおり、
そんなに容易く決められることではない。
しかし、「自分が我慢すれば、
子供のために良い結果となる」と信じ、
自己犠牲を美徳として
我慢をずっと続けてゆくのは疑問に思える。
ちょっと辛くても我慢をしたために、
その後はスゴク良いことが起きた。
大きな充実感を得られたという場合は、
頑張って我慢してもよいだろう。
我慢することにより得られることが
我慢の辛さよりも大きければ、
我慢する価値はある。
しかし、何でもかんでも
我慢することが立派だ
とは考えないほうがよい。
我慢しても、長い目で観て、
自分が思うほど幸せになれるわけでもない。
我慢するばかりで、さほど良いこともない。
そんな場合には、見切りをつけて、
その我慢をやめる方向へ動くほうが
自分にとっても、周囲の人たちにとっても望ましい。
我慢により、自分の不満が大きく、
いつも暗い顔をしてシンドそうであれば、
悪い波動を周囲にまき散らして、
他人にも迷惑がかかる。
自分が幸せで、ハッピーオーラを出していれば、
近くにいる人たちも、幸せな気分にしてあげれる。
今している我慢が耐えがたいと感じたら、
一度、立ち止まって、
我慢のコストとベネフィットを
冷静に考えてみるとよい。
我慢が美徳の文化に育てば、
「自分が我慢すれば…」
という気持ちが自然と出てくる。
でも、よく考えれば、
その我慢のコストばかりが大きく、
得られるものが少なければ、
思い切って、我慢をやめたほうが賢明だ。
自分が幸せになり、満たされること
を最重要課題にして、
そのための我慢ならしてもよい。
しかし、単に自己犠牲で苦しむだけならば、
我慢する価値はない。
我慢が美徳のカルチャーでは、
「自分が幸せになること」
をワガママで悪いことと捉える人もいる。
しかし、まずは自分が満たされなければ、
近くにいる人を満たしてあげることも不可能だ。
自分が幸せになり、満たされる。
そして、その後に周囲の人々にも
あり余った幸せを分けてあげる。
その順番でなければ、
本当の意味で他人を助けることはできない。
出口のない苦しいだけの我慢は
もうやめにしよう。
それよりも、まずは自分が満たされて、
自分が幸せになれた後に、
周囲の人たちにも幸せを分けてあげること。
その順番で動いたほうが
より多くの人を幸せにすることが可能だ。