正しいことを一生懸命
行っているにもかかわらず、
なぜか結果は破滅的になってしまう!
実は、そういうことは
珍しいことではありません。
では、なぜ
そのような事態が起こるのか、
そしてそれを回避するためには
どうすれば良いのか、
今回はその話をしたいと思います。
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「漁夫の利」
という話を思い出せば、
分かりやすいでしょう。
「漁夫の利」のストーリーは
次のようなものです。
ある日、
海辺でくつろいでいたハマグリの傍に、
シギがやってきて
ハマグリの身を食べようとしました。
ハマグリは身を守るために
口を閉じ、シギのくちばしを
捕らえました。
自分のくちばしが
動かなくなってしまったシギは
怒ってこう言いました。
「そんなことをしていたら、
お前は何も食べられずに
餓死してしまうぞ!
早く口を開けろ!」と。
するとハマグリは言い返しました。
「お前だって、このままだったら
何も食べられずに餓死するぞ!」
その後、ハマグリとシギは
言い争って喧嘩の渦に
巻き込まれていきました。
その間に、漁夫がやって来て
ハマグリとシギの両方を
軽々と捕らえてしまったのです。
この話の主な教訓は、
「当事者が争っている間に
第三者が利益を容易に奪ってしまう」
ということです。
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これまでの人類の歴史を見ても、
現在の世界や国内の状況を見ても、
常に何らかの争いが起きています。
宗教やイデオロギーの違いや
国家間の利害関係による争い、
一国内での派閥的な争い、
個人レベルでの考え方や価値観の
違いによる喧嘩など、
様々なレベルで紛争や争いが
繰り広げられています。
不思議なことに、
戦いをする人々には
共通点が見られます。
それは、「正義のために戦っている」
ということです。
多くの人々が、
自分が正しいと信じることに基づいて、
正義を守るために
一生懸命頑張っているのです。
戦いによって
相手や自分自身を傷つけたり、
破滅的な状況に追いやられても、
戦う本人は自分が悪いことを
しているとは思っていません。
なぜなら、彼らは善のために
自分ができることを全力でやり、
尽くしているからです。
しかし、残念ながら、
争いや戦いの中で
必死になっている人たちには、
自分たちの視点以外のものが
見えていないことも多いです。
彼らは、どんな人でも
自分の視点では
誰もが正しいと信じている
という事実に気づいていません。
自分自身は正義のために
戦っているので、
相手は当然「悪」だ
と思い込んでいます。
でも、現実的には相手の視点では、
相手自身が正義であり、
正しいことを行っていると
信じているのです。
一方的な視点では、
両者が「正義 vs 悪」の戦いを
しているように見えますが、
実際には「正義 vs 正義」の戦い
と言えるのです。
お互いに自分自身が正しいと信じ、
相手が間違っていると
思い込んでいるからです。
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自分の視点では、誰もが
正しいと信じることに
従っているものです。
しかし、実際には
絶対的に正しいものなど
この世に存在しません。
例えば、A国の国民にとっては、
ある行為が正義であり、
それを守る必要があると考えます。
一方で、B国の国民には
A国とは異なる、
また別の正義が存在するのです。
A国の正しいことと
B国の正しいことは
相反する場合も少なくありません。
誰もが自分の正義が
一番正しいと
感じているのですが、
実際にはそうではありません。
両国がお互いを受け入れられずに
争うことになれば、
両国ともに「正義」を掲げて
自分たちが正しいと信じることを追及し、
戦うことになるのです。
正しいことを求めて
一生懸命頑張る行為は
一見素晴らしいように
見えるかもしれません。
しかし、現実的には
争いや戦いをする以上、
自分も相手も傷つけることになり、
お互いがダメージを負い、
疲労困憊するだけです。
それでもめげずに戦い続ければ、
そのうち両国とも
破滅的な状況に
追いやられることも
珍しくありません。
そんな時に、A国でもB国でもない
第三者が現れて、
疲れ果てたA国やB国を
巧みに利用するようなことも
起こり得るのです。
正義のためであっても、
戦いの渦に巻き込まれている最中は、
広い視野や長期的な視点が
失われてしまいます。
そんな時に、
全く関係のない者から
容易に捕らえられてしまうのは、
愚かな話ではないでしょうか?
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一生懸命戦っている人は、
気づかないことも多いですが、
「こうすることが正義だ」
と洗脳されている場合もあります。
特定の権力者や社会の風潮に
影響を受けることも多く、
誰がどこで支配しているのか
見えにくいものに引っかかり、
煽られてしまうこともあります。
どんな状況であれ、
自分の正義を強く感じて
相反する人と戦いたい気持ちが出てきたら、
少し立ち止まって
冷静になるほうが無難です。
そして、
自分が正しいと信じることは、
どこから影響を受けて
そう思うようになったのか、
よく考えてみるとよいでしょう。
対立を悪用して
対立状態を故意に作り出し、
戦いや争いを引き起こそうとする
目に見えにくい力が
存在することを視野に入れて、
その罠にかからないように
注意する姿勢も重要です。
人は煽られると過熱し、
その中に入り浸ってしまったり、
視野が狭窄し、偏った観点しか
持てなくなる性質があります。
これを頭に入れておくことで、
不毛で非生産的、非建設的な
破滅的な戦いを
避けることも可能です。
自分や自分たちの「正しい」を
強く追求したくなり、
戦いたい気持ちが湧いた時には、
十分に注意が必要です。
煽りの感情に
支配されないように
冷静さを保つように努めましょう!
この世の中には
絶対的に正しいことは存在しないこと、
また、正義のためであっても
戦うこと自体が破滅的であることを
しっかり認識し、愚かな行為に
走らないように注意しましょう!
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自分にとっての正義は、
他の人にも当てはまる
とは思わないほうが無難です。
自分にとって正しいことを
追求するのはよいですが、
それを他人に押し付けたり、
自分の正義と異なる人やグループを
非難したり、攻撃したりすることは
避けなければなりません。
国家レベルであっても、
一国の国民間であっても、
より小さなコミュニティーレベルでも、
個人間の関係であっても、
自分や自分たちの正義のために
相反する正義を持つ人や人々と
争ったり戦ったりすることは、
結果的にお互いを傷つけ合い、滅ぼし合い、
苦しみと不幸を生むだけです。
争ったり戦ったりする代わりに、
「どうしたら考え方の異なる相手と
お互いを傷つけることなく
共存できるのか?」
を模索するほうが賢明です。
個人レベルで言えば、
人は様々な考え方や価値観を
持っています。
自分は自分の考えを
大切にすればよいですが、
他人にもその人なりの考え方や価値観が
あることを尊重しましょう。
たとえ自分と意見が合わなくても、
相手を非難したり
攻撃したりしてはいけません。
自分の正しさが一番優れていると思い、
それを相手に押し付けることも
避けるべきです。
様々な考え方や相反する意見が
存在することは当然のことと受け入れ、
皆がお互いを傷つけ合うことなく
上手く共存できるように考えるほうが、
より建設的であり、
多くの人々が幸せになれます。
同時に、私たちに
戦いを仕掛けてくるような力に対しては、
相手にせずに無視することも重要です。
もし煽られていると気づいたなら、
冷静になり、その力の思惑通りに
行動しないように
注意することも大切です。
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今回の話をまとめると、
正義を掲げて一生懸命戦っても、
結果的にはろくなことは起きません。
お互いを傷つけて破滅的になり、
疲労困憊するだけです!
そんな状態になった時に、
第三者から
まんまと利用されることも
珍しくないので、要注意です。
戦う気持ちが湧いた時には、
立ち止まり、冷静になりましょう。
見えない力が仕掛けてきた
戦いには参加せず、
漁夫の利の罠に
かからないように気をつけましょう。
相反する相手が現れた際には、
戦うことを考えるのではなく、
どうすればお互いを傷つけることなく
干渉せずに共存できるのかに
注力したほうが賢明です。
どんな状況であっても、
戦いや争いによって
自分や相手を破滅させる
愚かな行為に巻き込まれることは
避けましょう!