できるか、できないかは、
環境や教育によって
大きく変わります。
今回の話は、
できる人になったり、
できない人になったりするのは、
どのような環境下で生まれ育ち、
どのような教育を受けてきたかによる
という内容です。
脳科学者・茂木健一郎先生の
ユーチューブトークをもとに
お話してみたいと思います。
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一般的には、
女の子よりも男の子のほうが
コンピューターや数学が
得意だと言われています。
そして、現実的にも、
男性のほうが理数系が優秀で、
女性はアートや言語系に長けている
という傾向が、
多くの研究結果でも見られます。
しかし、茂木先生によれば、
女性がコンピューターや数学が
苦手だというのは
脳科学的事実ではないそうです。
そのような傾向があるのは、
社会の思い込みにより、
そうなるように
子供を育ててしまうからではないか?
という話をされています。
性別に関係なく、
同じような教育を受け、
同じような姿勢で育てられれば、
同じだけできるようになる可能性がある
ということでしょう。
そのため、女の子は理数系に弱く、
男の子は強いという
不当な思い込みを捨てて、
「女性もコンピューターや数学を
どんどんやったほうが良い」
というのが茂木先生のアドバイスでした。
この話を聞いた時、私の頭の中では、
昔の2つの記憶が蘇りました。
一つは、私が幼稚園に通っていた頃のこと。
もう一つは、ニュージーランドに来てから、
とても驚いたことです。
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私が幼稚園の頃は、昭和の中期です。
その当時の日本では、
男尊女卑の風潮が強く、
男性は外で働いてお金を稼ぎ、
一家を経済的に支えること。
女性は家庭内で子供の面倒を見たり、
家事をしながら、
男性をサポートするというように、
夫婦間で役割分担がありました。
子供も女の子か男の子かで、
自宅や学校で受ける教育も
違いました。
私が小学校高学年の頃には、
男の子は「技術」の時間、
女の子は「家庭科」の時間があり、
性別ごとに違う教室に行き、
違う勉強をすることもありました。
家庭でも、お母さんは
女の子に家事の手伝いをさせて、
将来、お嫁に行く頃には、
料理、掃除、洗濯、裁縫などの
家事一般が上手にできるように
躾ける傾向にありました。
その一方で、男の子に関しては、
家事を手伝わせることは一切なく、
電気機器の使い方や
ちょっとした修理を教えるなど、
全く違うように教育していました。
私が幼稚園の頃、幼馴染の家族で、
仲良くしていた人たちがいました。
その幼馴染のお父さんが癌に罹り、
悲しいことに、若くして
この世を去られてしまいました。
残されたのはお母さんと子供2人です。
そのお母さんは自宅で電球が切れても、
電球を取り替えることが
できませんでした。
幸い、お母さんの妹が近くに住んでいて、
妹の旦那さんが
家の電球が切れる度に
取り換えに来てくれていました。
こんな話を今聞けば、
びっくりするかもしれませんが、
その当時の日本では、
女性は電球ですら
取り替えることが難しいと思われ、
男性に任せていた家庭もあったのです。
お母さんが
電球を取り替えられないのは、
それまでにやったことがないからです。
小さな子供の頃から、
「女の子だから、
電球の取り換え方を知らなくても良い」
と言われて育ったのでしょう。
その当時の日本では、
そんなことがあっても、多くの人が
「まあ、そんなものだろう」
と考えました。
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私がニュージーランドに来てから、
驚いたことは、
これとは全く逆のことです。
ニュージーランドの田舎道を
ホストファミリーと一緒に
車で走っていた時のことです。
近くにはガソリンスタンドもお店も、
車の修理場もないような
「ド田舎」でした。
私たちは道端で
ハザードランプを点滅する車を見つけて、
ホストファーザーは車を停めて、
何か手伝えないかと親切に聞きました。
ニュージーランドでは、
見ず知らずの人でも、
困っている人を見かければ、
助けてあげようとする人たちが
多いです。
何もない田舎道で故障した車は
若い女性が一人で運転していたもので、
どうも、タイヤがパンクしたようでした。
「大丈夫?何か手伝えることがあれば、
やってあげるよ」とホストファーザーが言うと、
その女性は自信満々に「ああ大丈夫ですよ。
単にタイヤがパンクしただけだから、
スペアタイヤがあるから、自分で交換できます」
と返答しました。
彼女は平然とした姿で、
ジャッキで車体を上げて、
パンクしたタイヤを取り外し、
新しいタイヤに付け替えました。
その後、ジャッキで車体を下ろし、
ナットをしっかり締めて、修理完了です。
若い女性が車のタイヤ交換を
いとも簡単に一人でやる光景を見て、
私はすごく感激しました。
なんだか、その女性が
とても格好よく見えました。
日本では
車の運転すらしなかった私は、
こういう女性の姿を見れば、
「すご~い!」とびっくりしてしまいます。
しかし、その女性にとっては、
パンクしたタイヤを交換することは、
別にたいしたことではない様子でした。
おそらく、彼女は子供の頃から、
色々なことを
自分でできるように
親から教わって育ったのでしょう。
DIYが盛んなこの国では、
壊れたものの修理などを
自宅のガレージで行うのは
普通のことです。
子供たちも親が修理する姿を見て、
時には自分もやらせてもらいながら、
少しずつ修理方法を
マスターするのでしょう。
車社会で、
タイヤのパンクが頻繁に起きる場所では、
性別に関係なく、タイヤ交換方法も
親から教わるのが普通なのでしょう。
そのお陰で、いざパンクしても
女性でも人に頼ることなくできるのです。
ニュージーランドでは、性別に関係なく、
子供たちに色々なことを
実践させる傾向があります。
それもあり、
子供たちが成人した時には、
女性であろうと男性であろうと、
同等に色々なことができます。
昭和時代に保守的な家庭に育った私は、
両親からは
家事一般は手伝うように言われても、
その他のことは
練習すらさせてもらえませんでした。
電気機器の操作は
そのうちの一つです。
そのせいで、
新しい電気器具を購入しても、
私は使い方が分からないことも
しばしばあります。
ニュージーランド人女性が
いとも簡単にできることを
自分はできないという経験を何度もし、
ちょっと情けなく感じることも
少なくなかったです。
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しかし、よく考えれば、
私ができない理由は、
子供の頃から
「女の子だからやらなくてもよい」
と言われて、
トライすらしなかったからです。
自分一人で
色々なことができてしまう
ニュージーランド人女性が
私よりも能力的に
優っているとは思いません。
それよりも、
今までやってきたか否かが
できるか、できないかの違いに
なったと私は考えます。
どんなことでも、練習すれば、
できるようになるはずです。
やらなければ、
できないのは当然です。
社会一般が、
「これは女性には向かないから」
と勝手に決めて思い込み、
女性にやらせることがなければ、
できるようにはなりません。
何も驚くことではないのです。
電球の交換ができなかった
幼馴染のお母さんと、
車のタイヤ交換をやすやすとしてしまう
若いニュージーランド人女性は、
もともとは能力的には
そんなに変わりはないのでしょう。
できない人になってしまったのか、
できる人になれたのかは、
小さな子供の頃から実際に実践し、
色々と練習したか否かで
決まるのです。
そう考えれば、
女の子だからと言って、
コンピューターや数学に挑戦せず、
自分の可能性を逃してしまうのは
非常にもったいないことです。
社会風潮や社会一般の不当な思い込みで、
チャレンジすらしないことは、
とても残念なことです。
人には向き不向きがあるので、
女の子で理数系が
苦手な人もいるでしょう。
しかし、これは
女の子だからという理由ではなく、
その人個人が
理数系が苦手なだけなのです。
これからの世界では、
そういった不当な信念は捨てて、
自分が興味があることには
どんどん挑戦したほうが良いです。
皆がそのような姿勢になれば、
一人一人の可能性も
もっと開けてくるでしょう。
子供を持つ人であれば、
女の子だから、男の子だから
と考えることなく、どんなことでも、
色々なことに子供を挑戦させる機会を
作ってあげた方が賢明です。
これは男の子がやることだから
とは言わず、
子供が興味を示したものには、
積極的に触れさせる姿勢を持ちましょう。
それにより、自分自身も自分の子供も
自身の可能性を最大限にして、
より豊かな生活を
楽しめるようになるでしょう。
参考動画:「#女の子 よりも #男の子 の方が #コンピュータ や #数学 は得意なの?」
(ユーチューブ 茂木健一郎のもぎけんチャンネル)