今回の話は、私たちは皆、
まったく異なる世界を見ている
ということについてです。
この話をする理由は、
「あの人、変だな」と感じた時、
「変な人」というレッテルを貼るのではなく、
「自分とは視点が異なる」と
解釈した方がいいからです。
その結果、
人間関係も円滑になり、
両者が利益を得られるでしょう。
詳しく説明してゆきます。
====
私たち人間は、
自分の周囲に存在する全てを
目にしているわけではなく、
世界をありのまま観ることも
していません。
個々の人は、
自身の認識フィルターを通して
自分が見たいものや、
よく知っているもの、
認識できるもの、
興味のあるものだけが
目に入ってくるように
なっています。
同じ空間に同時にいる2人でも、
目にするものは異なります。
同じ場所にある物でも、
個々の認識や興味の違いによって、
存在しているにも関わらず
見えないものもあるのです。
認識や興味の差が大きければ、
同じ場所で同時に過ごしていても、
お互いに全く異なるものを
見ている場合もあります。
これは私自身の経験談です。
ある日、夫と私は
友人の家にお茶に招かれました。
友人のリビングルームで、
夫と私はソファで隣同士に
座っていました。
私たちの視界に入るものは、
ほぼ同じだと
言ってもよいでしょう。
しかし、私も夫も
友人のリビングルームで
全く異なるものを見ていました。
夫は棚に飾られていた
飛行機の模型に目を奪われ、
その素晴らしさに
感心していました。
一方、私には
その模型はまったく目に入らず、
代わりにピーターラビットのカップが
非常に印象的でした。
私はピーターラビットが大好きで、
そのカップを見て
「ああ、可愛い!」と思ったのです。
帰りの途中、夫が言いました。
「あの飛行機の模型、
すごくかっこいいな」と。
私は「えっ? 何のこと?」
と不思議に思いました。
私にはその模型が
近くにあっても
視界に入っていなかったのです。
おそらく、
私はその種のものに
全く興味がなかったからでしょう。
それに対して、夫は
私が見たピーターラビットのカップが
全く見えなかったようです。
飛行機の模型も、
ピーターラビットのカップも、
両方ともその部屋にあり、
私たちの視界に入りやすい場所に
置かれていたにもかかわらず、
興味のあるものによって、
見えるものと見えないものが
あることは、興味深いものです。
====
同じ場所であっても、
人それぞれが異なるものを
見ることはよくあります。
例えば、同じ道路を同じ時間に
走っていたとしても、
車を運転している人と
バイクに乗っている人では、
異なる景色が
広がっているでしょう。
同様に、同じ経路を通る場合でも、
ただ方向が逆になるだけで、
見えるものも変わってきます。
行きと帰りでは、
大分異なる印象を
受けるものです。
同じ交差点を同時に見ている2人でも、
一人は「赤い車が多いな」
と感じるのに対し、
もう一人は青い車が目立つ
と感じるかもしれません。
車の数は同じはずなのに、
個々の認識フィルターの違いによって、
特定の色に注意が向くため、
その色の車が目立って見えるのです。
同じ人物に対しても、
その人を絶賛する人もいれば、
容赦なく批判する人もいます。
その違いは、一人の人物に対しても、
それぞれが注目するポイントが
異なるからだと考えられます。
褒め称える人は、
その人の優れた面に注目し、
一方、批判する人は、
その人の欠点に焦点を当てているのです。
同じ人間でも、
他人からの視点が異なるのは、
見る人たちの認識フィルターの
違いによるものだと思われます。
====
なぜ私たち人間は、
自分の環境内に存在する
すべてのものを見ることが
できないのでしょうか?
その理由は、
情報の量が膨大すぎて、
私たちの脳では
全てを処理することが
できないからです。
そのため、注意を向ける対象を
選択しなければならないのです。
個々の関心や目的によって、
特定の情報が目に入りやすくなり、
他の情報は見逃されてしまいます。
この役割を果たすのが
私たちの認知フィルターです。
人々がどのような
認知フィルターを持つのかは、
様々な要素によって
影響を受けます。
例えば、家族や友人、メディア、文化など
周囲の価値観や意見が
個人のフィルターに
影響を与えることは
少なくありません。
また、個人の関心や興味、
ニーズによっても異なるでしょう。
受けた教育や経験も
認知フィルターの形成に
大いに関与します。
さらに言えば、
感情や意識の状態も
影響を及ぼすのです。
例えば、悲しい時には
悲しい情報に敏感になり、
嬉しい時には別のものが
目につきやすくなります。
様々な要因により、
私たち一人一人の認知のフィルターは、
まったく異なる世界を
私たちに見せてくれているのです。
====
私たち人間には、それぞれ
異なるものが見えていることを
認識することは、
とても重要です。
なぜなら、それによって
他者に寛容な姿勢を持ち、
円滑な人間関係を
築きやすくなるからです。
この事実を知らなければ、
理解できない他人を
単に「変な人」とレッテルを貼り、
コミュニケーションも
上手くいかなくなるでしょう。
理解しがたい相手が
自分とは異なるものが見えていると
考えるだけでも、
少しは相手に寛容になれるはずです。
相手には
どのように見えているのか?
何が見えているのか?
それを知ることができれば、
「なるほど」と納得することも
あるかもしれません。
納得はできなくても、
「私の常識では
少し理解しにくいけれど、
相手にはまったく違うように
見えているので、
それも仕方のないことかも」と
受け流せるでしょう。
相手を変人扱いする代わりに、
「まあ、そういうことも
あるかもしれない」
と寛容な姿勢を持ち、
多様性を受け入れやすくなるのです。
====
認知フィルターの存在を理解し、
自分の視野を広げるためには、
どうすればよいのでしょうか?
それには、シンプルながらも
あることを意識して
行うことが必要です。
自分とは全く異なる視点を持つ人と
積極的に一緒に過ごしたり、
会話をすることです。
そうすることで、
自分とは異なる視点を持つ人々から
この世界がどのように見えているのか
ヒントを得ることができます。
自分と似たような人たちとだけ
交流することは、
居心地が良くて楽な一方で、
視野を広げるのには役立ちません。
少し不安や緊張を
感じるかもしれませんが、
自分とは異なるタイプの人に
意図的に近づき、彼らの話を
聞くとよいでしょう。
これができれば、
相手の視点も理解しやすく、
自分も幅広い視野を持つことが
可能になります。
====
今回の話をまとめると、
私たちは、同じ場所にいても
異なるものを見るていることが
しばしばあります。
情報は膨大で、私たちの脳は
全てを処理できないため、
注意を向ける対象を
自ら選択しているからです。
個々の関心や目的によって、
特定の情報が目に入りやすくなり、
他の情報は見逃されます。
このことを認識すれば、
理解できない相手に対しても
寛容な姿勢を持つことが
できるでしょう。
「自分とは違うものが
見えているのだな」と思えば、
相手に「変な人」の
レッテルを貼ることもなく、
円滑な人間関係も
築きやすくなります。
自分の視野を広げるには、
自分と異なる視点を持つ人々と
交流する機会を意図して作り、
彼らの話を聞くことです。
そうすることで、
相手の視点も見えてきて、
自分も幅広い見方が
しやすくなります。
認知フィルターの存在を知り、
皆が自分と同じものを
見ているわけではないことを認識して、
周囲の人たちと接しましょう!