固定観念に囚われないつもりでいたのに、囚われていた

「~はこうあるべき」、
「こうあってはいけない」、
「こうするのが普通で正しい」、
「~するのは良くないこと」等々、
自分の中に凝り固まった考えや価値観があり、
それに縛られて自由に考えられなかったり、
自分の「正しい」を他人に押し付け、
それが原因で揉め事に発展することは、
私たちの多くが経験することだろう。

今回は、私自身の体験談。
固定観念に囚われないつもりでいたのに、
知らず知らずに、やはり囚われていた
と気づいた時の話だ。

私は、成人するまでずっと日本で暮らし、
その後30年間、ずっと外国に住んでいる。
生まれてから20年以上も、
日本で生活していれば、
その当時の日本社会の風潮や、
周囲の教えの影響を強く受けて、
私の中には「昭和時代の日本の価値観」
みたいなものが植えつけられている。

文化も風習も全く違った外国に来て、
自分が当然だと信じてきたことが、
全然通用しないことを幾度も経験した。
自分が日本で刷り込まれた価値観は
この国では理解されない
ということもしばしばあった。

こういう経験をすれば、
自分の中にある信念は、
何時でも、何処でも、
世界的に受け入れられるものではない
と身をもって分かるようになる。
どの考え方が正しくて、
どの考え方が間違っている
ということはない。
どちらの価値観が優っていて、
どちらの価値観が劣っている
ということでもない。
ただ、全く違った考え方や価値観が
色々存在することが理解できた。

多様性を受け入れることは、
自分の考えることも大切にするが、
他人の考えることも、
同じように尊重して否定しないことだ。

自分の内に強く根付く固定観念に
自分自身を縛り付けて、
自由に考えられないのは
望ましいことではないと感じた。
そのため、私は、
固定観念には囚われないようにしよう
と自分に言い聞かせてきた。

しかし、そんな私でも、
知らず知らずのうちに、
子供の頃に日本で確立された
固定観念にすっかり支配されていた
と気づく出来事があった。

そのきっかけは、
今までお世話になってきた
心理カウンセラーが退職した時のこと。

私は子供の頃から
様々な心理問題を抱えてきた。
小学生の時に巻き込まれた事件、
小学校での虐め、
父から繰り返し受けた暴力、
長年続いた母からの言葉の暴力、
職場で受けた虐め等々、
今まで起きた出来事が複雑に絡み合い、
50代になる今でも、
私は自分の心理的問題のすべてを
解決したとは思わない。

そんな私は50代になってから、
あることをきっかけに
心理カウンセリングセッションに
定期的に通うようになった。

このカウンセラーの先生は、
私よりも少し年上のニュージーランド人。
この先生の協力のお陰で、
私は自分の心のもつれを
少しづつ解くことができ、
今では大分落ち着いて、
冷静に客観視できるようになった。
今まで感じてきた生き辛さの原因も
納得でき、その対処法も見えてきた。
カウンセリングを受けて、本当に良かった、
と私は思っている。

私がお世話になった
経験豊富なカウンセラーが
ある日、退職することになった。
そこで、「今後、どうする?」
とカウンセリング事務所から聞かれたのだ。

私にとっては、それまでのカウンセリングが
とても有益に感じられたので、
その先生の退職後も、続けたいと希望した。
しかし、問題は、私が希望するような
自分と同年代か年上のカウンセラーがいないこと。
30代前半のカウンセラーになってしまうが、
それでも良いかと確認された。

正直、自分よりも20歳も若いカウンセラーから、
セッションを受けるのは抵抗があった。
20年も自分よりも人生経験が少ないから、
そんな若手の先生に、自分の悩みを打ち明けるのは、
とても嫌な気がしたのだ。
自分より年上でなくても、
せめて自分と同年代の先生の方が、
よりよく理解してくれるだろう。
人生経験も豊富なので、
よりよいアドバイスもできるだろう、
と私は考えていた。

カウンセリング事務所にその旨伝えて、
もっと年上の人にお願いしたいと言ったが、
やはり、その30代の先生しかいないとのこと。
随分悩んだ結果、とりあえずは
その30代の先生に一度は会うことに決めた。

20歳も年下ならば、下手すると、
自分の子供にもなり得る年齢の人だ。
そんなカウンセラーで自分は満足できるのか?
大きな疑問があり、気が進まなかったが
渋々その先生との面会に行った。

すると、どうだったか?
その若手のカウンセラーは、
以前お世話になったカウンセラーとは
全く違うタイプの人だった。
会った瞬間、別世界に入った感覚があった。
彼女の大きく綺麗な波動が
カウンセリングルーム中に溢れている。
同じ空間に居るだけでも、
なんだかとても安心して癒される
という不思議な感覚があった。

たったさっきまで、
20歳も年下のカウンセラーでは
いかがなものだろうか?
と心配していた自分のことを
忘れてしまうほど、
軽やかな波動に包まれて、
私はとても不思議な感覚になった。

この人、私と同じ人間なのだろうか?
と疑うほど、彼女のオーラは大きく、
本当に綺麗だった。
ちょっと話をしただけでも、
その心地よさに私は大きな安心感を得た。

最初の面会が終了して、帰宅した時、
その日、自宅を出る前の自分の疑いは、
嘘のように感じるほど、
私は大きく確信していた。
「私はこの人からカウンセリングを受けたい」
と強い気持ちが沸いていた。

けっきょく、私は、
その後、この若手の先生から
カウンセリングを受けることになった。
認知行動療法と、マインドフルネスを中心に
色々指導して頂いた。
その先生から教わったことは、
今でも役立っていると思う。

今考えてみれば、
50代の私が、
20歳も年下のカウンセラーから
セッションを受けることに
大きな抵抗を感じたのは、
私の中にある固定観念によるものだった。
私は子供の頃、
「年功序列」の風潮が強い社会に生き、
家庭内で年功序列を強調するような
教育を受けてきた。
そのせいで、自分より年下の人は、
人生経験も少ないので、
たいしたことはできない、
と勝手に決めつけていた。

こういう固定観念は、
知らず知らずのうちに
自分の中に根強く植えつけられ、
一旦、自分の中で確立されれば、
疑うことがなく、当然のものとして、
考えるようになる。
そして、その考えに基づいて、
無意識に行動したりしてしまう。

私が「自分よりも20歳も若いカウンセラー」
と聞いた時に、直ぐに拒否反応が出たのも、
この自然な無意識の反応だ。
私の場合は、もうこのカウンセラーしかいない
と言われてしまったので、仕方なかった。
でも、もしも選択肢があったのなら、
私は絶対にこの人を選ばなかっただろう。
選ばなければ、この人は素晴らしい人だ
ということも一生知ることもない。
固定観念による偏見で、
自分の発展や飛躍の機会を
逃してしまうこともあるのだな
と感じる出来事だった。

自分の中に不当な信念があったから
「若い人は経験も少なくて、良くない」
と勝手に決めつけていた。
しかし、実際はどうだったか?
私はこの若手のカウンセラーのお陰で、
自分自身をより良い方向へ導くための
大きな助けを得たと感じている。
結果的に、とても良かったと思う。

今後も固定観念に囚われず、
固定観念で自分を縛りつけなくない
という気持ちは強い。
そうは思ってはいても、
やはり、子供の頃に形成された、
考え方、価値観はかなり根強く残るもので、
なかなか手放すのは大変だ
と感じている今日この頃だ。