両親とは心の中で和解できたと信じていたのに、再び逆戻り!

子供の頃から、成人して中高年になっても、
両親との険悪な人間関係に
ずっと悩み、苦しみ続けた私。
近年、この問題をやっと解決して、
心の中で両親との和解ができた。
未だに、両親のことが嫌いでも、
昔のようなドロドロ感情は、
私の中からすっかり消えていた。

しかし、残念なことに、
昨夜、突然、またあのドロドロとした
不快な感情が戻ってきてしまった。
ヘドロのように毒を含んだ汚いものが、
私の心の壁を真っ黒に染めた。
7年ぶりのこの感情と感覚。
スゴク重たく、心地が悪い。

そのきっかけとなったのは、
昨日の夕方、実父から電話を受けたこと。
私に伝えたいことがあるので、
連絡してきたそうだ。
その内容は、「お母さんを老人ホームに
入れることにしたから」ということ。

正直、「こんなことで連絡してきたのか」
と言うのが私の本音だ。
なぜなら、今まで私はよそ者扱いされて、
祖母や親戚が亡くなった時でも、
父から一切連絡を受けなかった。
「私は日本の家族の一員ではないから」
と承知していたので、
傷つく気持ちはあっても、スルーしていた。

昨日の父は、とても穏やかで優しい口調で
今の自分たちの現状を私に話してくれた。
この父の声のトーンも
私にとってはかなり違和感があった。
私の知っている父の話し方は、
虚勢を張って、高圧的で、
上から目線で命令調。
こんな丁寧な言い方で、
私に話をしてくる父を、今回初めて見た。

元気で自分に権力があった時には、
偉そうに威張り散らして、
私の意見など聞く耳を持たなかった父。
でも、昨日は、
「お母さんが老人ホームに行くことを
私がどう感じるのか?」
優しい口調で聞いてきた。
今までの父とは全然違う態度なので、
私にとっては、気持ちが悪く、
違和感が非常に強かった。

元気でピンピンしていた頃には、
私を軽く見て馬鹿にして、
粗末によそ者扱いしていた人が、
年を取り、身体も衰え、気弱になった時には、
こんなにも違った話し方をするものか?
と驚いたのが私の本音だ。
今になって、私を突然、
家族の一員として考えたいのだろうか?
「人間、自分勝手だな」と私は思った。

「同居する義理の娘も仕事を持つので、
お母さんの面倒を見させるわけにいかない。
自分も高齢だから、介護するのがシンドイ…
息子も仕事が忙しいし…
孫の面倒まで自分が見ているし…」
という感じで、父から現状の説明があった。

父の話を聞いていて、
「私に助けて欲しい」という気持ちが
ひしひしと伝わってくる。
決して、「私に帰国して欲しい」
と直接言葉で言わなくても、
それを暗示するように聞こえて、
私もけっこうツラかった。
こう感じたのは、
単なる私の歪んだ認知によるものだろうか?

電話を切った後、
昔の両親との嫌な思い出が、
次から次へと芋づる式に
私の頭の中に蘇ってきた。
それと同時に、当時私が感じた感覚、感情も、
一緒についてきてしまい、
ドロドロとしたネガティブ感情に襲われた。

私は日本へは20年以上も帰国してない。
その理由は、
両親との険悪な人間関係があるからだ。
私は日本の実家で歓迎されている、
と感じたことは一度もない。
今まで幾度か里帰りを考えたこともある。
10年位前、弟が結婚する時にも、
結婚式に出席するつもりでいた。
しかし、せっかく帰国するのだから、
せめて1カ月は滞在したい旨、父に伝えると
「2週間以上、居られたら困るんだがね」
ときっぱり断られた。

今、両親が住む家も、
「弟と弟の家族、両親の家だから」
とはっきり宣言されて、
「私が帰るところはない」とほのめかされた。

家族関係のことで、大切なことでも、
父から私に連絡が入ることは一切なかった。
お祖母ちゃんが亡くなった時にも、
誰も私に伝えてくれる人はいなかった。
そんな感じならば、
「やっぱり、私はよそ者で、
家族の一員ではない」と感じても当然だ。

日本に居た頃から、
私は弟とは同等に扱われなかった。
弟は自分の意見を言わせて貰い、
尊重されるのに対して、
私の意見は聞いて貰えなかった。
父と違う意見を言えば、
「女、子供は黙れ!」と怒鳴りつけられ、
暴力振るわれるだけだった。
私にとっては、日本の実家に
自分の居場所がなかった。
いつ父が怒って暴力を振るうか分からず、
常にビクビクと親の顔色を伺い、
安全・安心な気持ちでは生活できなかった。

自分たちが元気な時には、
私に対しては滅多に連絡をくれない。
年老いて、身体が思うように動かず、
気が弱くなった時に、
初めて、私を家族の一員だと考えたいのは、
なんだか自分勝手にしか思えない。

母が痴呆症になり、介護が必要になった時、
何も手伝わない私は、
心が冷たくて、悪い人間なのだろうか?

自分が年老いて、身体が不自由になった時、
娘に面倒を見て欲しいと望むのなら、
それなりに、娘のことも、
もっと大切にしておくべきではなかったのでは?

私がメンタルを病み、
人生どん底に落ちて苦しかった時に、
両親は私のことを助けてくれなかった。
私が一番助けが必要だった時に、
父は物理的な暴力で私を毎晩脅した。
毎日のように、ネガティブ言葉を
私に投げ続けてきた母は、
私のすることなすこと、
すべてを否定しまくった。
「ダメ人間」、「人間のクズ」、
「できない人」、「人間失格」
というレッテルを私に貼り、
私のことを非難し続けてきた母に、
私は「助けてあげたい」
という優しい気持ちが沸かない。
今までずっと私の人格否定をした母に、
自分の人生を犠牲にしてまで、
尽くしてあげたい気持ちはサラサラない。
そんな私は冷たい娘なのだろうか?

今、私の目の前には、
ニュージーランドの素晴らしい家族がいる。
この家族は、私を理解してくれて、
大切にしてくれる人たちだ。
そんな家族に恵まれて、私は本当に幸せだ。
私は、私のことを大事に扱ってくれる
このニュージーランドの家族に
100パーセントコミットして、
生きてゆきたいと思っている。
私にだって、毎日、ここでやることや、
自分にとって大切なルーティンもある。

私には
ニュージーランドの家族を離れて、
自分にとって大切なことを犠牲にして、
日本に帰国し両親の手助けをする、
という優しい気持ちはない。
何も知らない人が聞けば、
「なんて、冷たい娘なんだ」
と呆れ返るかもしれない。
しかし、今までの両親との人間関係で、
私は粗末に扱われてきたと感じているので、
そういう気持ちになっても
仕方ないだろう。
罪悪感など抱く必要はないはずだ。

それなのに、昨日の夜から、
この悶々とした嫌な感情が
ずっと私を付きまとっている。
早く、このネガティブ感情から
解放されたいと切望する。

私は現在、50代。
両親との険悪な人間関係を
自分の心の内ですっかり解決した、
と信じていたが、実は違ったのかもしれない。
もしかしたら、私はこのトラウマを
死ぬまで一生抱えてゆくのだろうか?
そうでないことを祈るばかりだ。