親から押しつけられて嫌だった「常識」

私は「常識」という概念が大嫌いだ。
「常識」という言葉を聞けば、
私の中で拒否反応が起きる。
子供の頃から成人するまで、
日本の実両親と同居していた頃、
「こんなことも分からないの!
常識でしょ! ダメ人間」とか、
「常識外れで、人間失格」
のような否定的な言葉を
母からしばしば聞かされてきたからだ。
そのたびに、私はウンザリしていた。

「常識、常識」って言うけれど、
「常識」っていったい何?
周りの皆が、そのようにやっているから?
長い間、そのようにされてきたから?
「当然だ」と思われるから、
何も考えずに、そのままやるのは
「思考停止」と言ってもいいのでは?

私は「常識」にチャレンジしたい。
いつの時代にも、どこの場所でも、誰にとっても
「これが当たり前」なんてものは
どこにもないと思う。
今の時代には「これがよい」と思われても、
時が経てば、そうでない場合も多い。
日本では「これが正しい」と考えることでも、
別の国に行けば、同じことが無礼にもなり得る。
ある人には「これが当然だ」と感じられても、
他の人にとっては、そうではないのだ。

今回は、私が実両親と同居していた頃、
親から押しつけられて嫌だった「常識」
について、語ってみたい。

1)結婚して子供を産んで家庭を築くこと

私の母は、適齢期になれば結婚して、
子供を産み、家庭を築くことは
常識ある人間がやることだ
と信じ込んでいた。
これができて、初めて
一人前の大人になれる
と考えるような人間だった。

結婚したければ、すればよいだろう。
子供が欲しければ、子供を産んでもよい。
でも、皆が皆、結婚したいと思わないし、
結婚したからといって、
必ずしも子供がいなければダメ
というわけでもない。

社会全体からすれば
子供を産んで、次の世代を育てることは
ある意味、大切かもしれない。
でも、社会のためや、両親の体裁のために、
一個人を犠牲にするのはどうかな?
と疑問を抱く。

適齢期になったら結婚して、
子供を産んで、家庭を築くことが
常識ある人間がすることのように、
親からプレッシャーをかけられると、
子供の立場ではとてもツラい。
子供にとっては、必ずしも、
そうすることが幸せだとは限らないからだ。
子供がどう生きるかは、
子供自身が決めることで、
「結婚するべき、子供を持つべき」
みたいな凝り固まった考え方を、
親が子供に押しつけるのはオカシイ
と私は強く思った。

2)終身雇用

これは父が強く信じていたことだ。
新卒で就職した会社に
一生涯勤めることは偉いことだという信念。
今では終身雇用も崩れつつあるので、
未だに父がこう信じていかは分からない。
でも、私が日本で実家暮らしをしていた頃、
父は終身雇用を守れる人が立派な人間だ
と思っていた。だから、
私が新卒で就職した会社を退職して、
海外に行くことに決めた時には、
父からは大ひんしゅくを買った。

一つの会社で働いて、
ある程度、経験を積んだ後、
他の企業のもう一段高いポジションに移ることは
ニュージーランドでは一般的だ。
でも、昭和時代の匂いがプンプンする父には
この考え方は受け入れ難かったようだ。
転職は、今までお世話になった会社を
裏切る行為のように考えていた。

3)メンタル疾患は病気ではない

これは父の中に未だに強く残っている。
そもそも、メンタル疾患などない
と父は考えるのだ。
「メンタルを病むということは、
なまけものだからそうなる。
気合が足りないからそうなる」
と父は信じている。そして、
そのように言っていた。

実際に、メンタルを酷く病んだことのある私は、
こういう言葉を聞くとイラっとくる。
メンタル疾患に罹ることは
人間である以上、誰でもあることなのに、
そうなる人を「なまけもの」とか
「気合が足りない」と非難して、
ダメ人間のように扱うのは、
「本当にけしからん!」と私は思う。

4)ギフトを上げることは重要

お歳暮、お中元など、
社会人になったら、
きちんとすることが常識だ
と両親は考えている。

自分がお世話になっているから、
是非、あの人にはこの機会に
贈り物をしたいと思えば、
お歳暮、お中元もしていいだろう。
でも、送りたい気持ちがないのに、
義理でしなければいけない、
と親から強制されることは、
私にはかなり迷惑だった。
お歳暮、お中元を送りたくない私に、
母は「常識知らず」と言って非難した。

社会人になり、
お給料を貰うようになったといっても、
私の場合は、近い将来、
海外へ行く計画をしていたので、
できるだけ貯金をしたかった。
あげたくもない親戚に、
義理でお歳暮、お中元をしろ、
命令されることは、本当に嫌だった。

日本に一時的に里帰りする際に、
立派なお土産を期待されるのも
正直、困っている。
自分があげたい人に
お土産を買うのはいいけれど、
ほとんど会うこともない親戚とか、
両親のご近所さんに配るためのお土産は
私にとっては大きな負担に感じる。

両親が当たり前だと思うことを
できなかった私は
「常識外れで、人間失格」
と何度も非難された。
「なぜ、そうすることが重要なの?」
と質問すれば、「常識だから、そうでしょ。
そんなのも分からないの!」
と返されて、本当にウンザリした。

「常識でしょ」の一言で、
すべてが片付いてしまう。
これ以上、考える必要もないから、
両親にとっては、便利な言葉なのだろう。

でも、私は「常識」というのが大嫌いだ。
「常識」で思考停止になったり、
「常識」を利用して、子供を非難し、
自分たちの思い通りに動かそうとする両親を
今でも残念に思っている。