不足感に焦点が当たれば、幸せを感じづらくなる

私は外国に住んでいて、
日本には20年以上も帰国していない。
日本の実両親とも
音信不通の時期が長かった。
でも、最近は、大分、両親とも
電話やスカイプで話すようになった。

実母と話をする時に、感じることがある。
母の口から出るほとんどが、
何か足りていないことに焦点を当てて
文句を言う内容だということ。

「足が痺れて痛い」と言うのが
最近、母の口からよく出る言葉だ。
母は80代前半。
この年齢になれば、
身体の衰えも色々出てきて、
不具合を感じても、仕方ないだろう。

足の痛みと痺れの問題が出る前には、
便秘気味で、排便がスッキリ行かない、
という話題が多かった。

そして、その問題の前には、
母が息子家族と同居を始めてから、
嫁のできなさが目について、
不満に思う気持ちが大きい
という内容だった。

嫁について、
文句を言う前には、
実の娘である私に、
母の批判の矛先が向いていた。
それまで、私の至らない点や、
できない点ばかりにフォーカスを当て、
「なんて、ダメな子なんでしょう」
「救いようもなく、不器用ね、あんたは」
と言う感じで、
私の不足した点を非難してきた。

母の口から出る言葉は
常に何らかの不足点に文句を言うことだ。
足が痛いと言う時には、
足の健康がないということ。
嫁ができないという時には、
嫁には至らない点があるということ。
母から「~で満足した」ということを
一度も聞いたことがない。

母を見ていると、
人生のいつの時点でも、
何らかの不足感を感じて、
満たされない気持ちでいるように、
私には見えて仕方ない。

心理学でよく言われる
「コップの水理論」を思い出した。
コップの中に半分水が入っている。
このコップを見て、
「半分もある」と喜ぶ人がいる一方、
「半分しかない」と言い嘆く人もいる。

母の場合は、「半分しかない」
と文句を言う方だ。
半分ある水に感謝するのではなく、
なくなった半分の水を
「ああ、なくなっちゃった」
と残念に思う気持ちが大きい。

足が痛くて痺れていても、
胃の状態は良好だから、
毎日、ご飯もちゃんと食べられている。
目もきちんと見えているし、
肺も元気なので、呼吸に問題はない。
なぜ、こういう身体の良い部分に
気づくことなく、
足ばかりにフォーカスが行くのだろうか?

すべてが完璧な健康状態で、
元気でないと満足できないから、
足の痛みや痺れを必要以上に感じてしまう
と思うのだ。

嫁は、これができて、あれもできて、
こうあるべきというような理想の嫁像があるから、
少しでも、それと違えば、
我慢ができずに文句を言いたくなるのだろう。

痛いところは、痛いのだから、
それを否定したり、
ツライことに蓋をして、
ムリに元気に振舞う必要はないけれど、
ただ、その部分だけしか見ないのは、
どうかな? と思う。

ツライことに焦点が当たり過ぎれば、
そのツラさが倍増してしまう。
本当は、元気な身体の部分も沢山あるのに、
その元気な部分は全く見えなくなる。
そして、シンドクなってしまう。

お嫁さんについても同様だ。
もちろん、至らない点はあるだろう。
でも、彼女の素晴らしい点、
できる点だってあるはずだ。
至らない点ばかりに目を向ければ、
良い面はあっても、それが隠されてしまう。
そして、「ああ、なんてあの嫁は
バカ嫁なんだ」と嘆くことになる。

要は、見方の偏りを減らして、
もっと満遍なく見るようにすれば、
見える世界は違うのではないか?
ということだ。

こんなことを偉そうに言っている私も、
実は、母と同じようで、
物事のマイナス面ばかりに
目が向いてしまう傾向がある。
本当は、良いことも、悪いことも、
両方存在するのに、
悪いことだけに焦点が当たって、
それが膨れ上がり、良いことが見えなくなる。
嫌なこと、不愉快なこと、ネガティブなこと、
悪いことばかりを見る癖がつくと、
自然とこういう風になってしまう。

今回の投稿は、
実は、私が自分自身に言い聞かせるために、
書いているようなものだ。

ああだ、こうだと母のことばかり責めないで、
自分も、もっとニュートラルな視点で、
色々なことを見た方がよい
と自分に言っているのだ。

結局は、母も私も似た者同士なのだろう。
すべてが完璧でないといけない
と思い、足りない点にフォーカスして、
それを嘆いているのだ。
でも、それでは、幸せな気持ちにはなれない。

幸せは外にあると信じて、
色々、探し求めた時期もあったが、
実は、幸せは外の世界にあるのではなく、
自分の内で創られるものだと気づいた。

嫌な点、不快な点、足りない点だけを見て、
不足感で生きていれば、
幸せになることはできない

幸せを創る第一歩は、
今まで自分が不足感ばかりに焦点を当て、
ないことばかりを嘆いていたことに
気づくことだ。
そして、できるだけ、ニュートラルな姿勢で
色々観察してみることだと思う。

「確かに、ここは痛くても、
他の部分では、絶好調のものもある」
と気づくことができれば、
気持ち的にも明るくなり、
幸せの方向へ進めるようになる。

不足感ばかりに焦点を当てずに生きること。
これが幸せになる第一歩である、
と私は感じている。