経験や能力がまだ十分でない人ほど
自信満々でいる一方で、
実力の高い人ほど
自分に自信が持てなくなること
があります。
これは「ダニング・クルーガー効果」
と呼ばれる認知バイアスの一つですが、
この記事ではその背景にある理由や、
それによって生じやすい影響、
また、自分の力を適切に認識するための
心がけについて考えてみます。
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ダニング・クルーガー効果とは、
自分の能力を正しく見極めることができず、
実力以上に高く評価してしまう
認知バイアス(認知のゆがみ)のことです。
言い換えると、能力が十分でない人ほど、
自分を実際以上に賢く、有能だ
と信じ込んでしまう現象を指します。
これは、心理学者の
デイヴィッド・ダニングと
ジャスティン・クルーガーが
1999年に発表した研究によって提唱され、
本人の自己評価と客観的な能力とのあいだに、
大きなズレが生じることが確認されました。
彼らは大学生を対象に、
論理的推論や文法、ユーモアの理解など、
さまざまな分野についてテストを行いました。
その結果、注目すべき傾向が
明らかになります。
テストの成績が
下位25%に入った学生ほど、
自分は上位60%程度の成績だ
と感じていたのです。
一方で、成績のよい学生たちは、
自分の順位を実際よりも
低く見積もる傾向を示しました。
つまり、ダニング・クルーガー効果とは、
「うまくできていない人ほど
自信を持ちやすく、
できている人ほど
自分の力を控えめに評価しやすい」という、
一見すると矛盾しているように見える状態を
指しているのです。
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では、なぜこのような
自己評価の錯覚が起きるのでしょうか?
大きな要因として挙げられるのが、
「メタ認知能力」の不足です。
メタ認知とは、
「自分の認知を客観的にとらえ、
調整する力」を指します。
つまり、自分が何を理解していて、
何を理解できていないのか、
どの程度正しく判断し、
行動できているのかを
把握するための能力です。
ダニングとクルーガーは、
この状態を「未熟さゆえに、
自分の未熟さに気付けない」と表現し、
「無知による二重の負担」
と名づけました。
第一の負担は、能力が低いために
ミスをしやすくなることです。
もう一つは、その無知ゆえに、
自分がミスをしている事実そのものに
気付けないことです。
つまり、能力を評価するために必要な
知識が足りないため、
自分のパフォーマンスを
正しく判断できなくなってしまうのです。
具体的な例で考えてみましょう。
プログラミングを始めたばかりの人が、
基本的な構文を覚えただけで
「プログラミングは簡単だ」
と感じることがあります。
しかし実際には、
効率的なアルゴリズムの設計や、
保守性の高いコード構造、
セキュリティへの配慮など、
深い知識と経験が求められる要素が
数多く存在します。
初心者は、
こうした前提をまだ知らないために、
自分は「できている」
と思い込んでしまうのです。
それ以外にも原因はあるでしょう。
たとえば、
他者からのフィードバックが
不足していたり、
他人の意見を受け入れずに
跳ねのけてしまう傾向があると、
自分の誤りに気付く機会そのものが
失われます。
また、失敗の理由を振り返らず、
周囲のせいにする習慣があると、
自分の至らなさを
見直すきっかけをつかめません。
その結果、誤った
自己認識を正すことができないまま、
「自分はできている」という
思い込みが少しずつ強まっていきます。
こうした状況が重なることで、
ダニング・クルーガー効果に
陥りやすくなるのです。
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自己評価が実際よりも過剰に高い場合、
その影響は本人にとどまらず、
周囲にもさまざまな形で及びます。
典型的なのは、実力に見合わない自信が、
思わぬ事故や失敗を招いてしまうことです。
自動車の運転を例にすると、
分かりやすいでしょう。
運転を始めたばかりのころは、
自分の未熟さを意識し、
慎重にハンドルを握ります。
しかし、少し慣れてくると
「自分はもう十分うまい」
と思い込むようになり、
無理な運転が増えることで
事故率が高まるといわれています。
これは、ダニング・クルーガー効果による
過大評価の分かりやすい一例でしょう。
また、過度な自信は、
知識や技術の伸びにも影響します。
自分はすでにできている
と錯覚してしまうと、
新しく学んだり、
情報を更新したりする必要性を
感じなくなるからです。
その結果、努力を怠り、
成長の機会を
逃してしまうでしょう。
謙虚に学び続ける人との差も
どんどん開いていきます。
さらに、過剰な自己評価は
人間関係にも影を落とします。
一見すると、自信があることは
よいことのように思えますが、
その裏で態度が
傲慢になりがちです。
自分はできると信じて疑わない人ほど、
他人を見下したり、
高圧的に接したりする傾向が生まれやすく、
周囲の反感を買って
孤立してしまうこともあるでしょう。
加えて、困難に直面したときの脆さも
見逃せません。
自信だけが先行し、
実力が伴っていない状態では、
大きな壁にぶつかったときに
適切に対処できず、
深刻な失敗につながりやすくなります。
「うまくいくはずだ」
と思い込んでいただけに、
現実との落差に直面したとき、
自分の力不足を突き付けられ、
強く落ち込んでしまうことも
あるでしょう。
その際、プライドが邪魔をして
他者に責任を押し付けてしまうと、
人間関係をさらに悪化させる恐れもあります。
このように、能力がまだ十分でない段階で
自分を過大評価してしまうと、
成長の停滞や事故・失敗にとどまらず、
人間関係の摩擦や、組織全体の損失へと
つながってしまうのです。
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一方で、能力が高い人ほど、
自分の力を実際以上に
低く見積もってしまう傾向も見逃せません。
これは「インポスター症候群」
として知られる心理的な現象で、
「自分は大した存在ではない」
「成功は偶然の結果にすぎない」
と感じてしまう状態を指します。
周囲からは
高く評価されているにもかかわらず、
本人は「まだまだ未熟で、
期待に応えられるだけの実力がない」
と思い込み、
まるで自分が誰かを欺いているかのような
感覚にとらわれてしまうのです。
このような過小評価の傾向は、
さまざまな損失につながります。
その一つが機会損失です。
自信が持てないために、
新しい挑戦や責任のある立場を
任されそうになっても、
「自分には向いていない」
と身を引いてしまうからです。
たとえば、
十分な能力があるにもかかわらず、
昇進やリーダー役を辞退したり、
起業のチャンスを避けたりする場合です。
「もっとふさわしい人がいるはずだ」
と考えることで、
自ら成長や成功の機会を
遠ざけてしまうのです。
精神的な負担が大きくなる点も
問題です。
インポスター症候群に陥った人は、
「周囲の期待に応えられないのではないか」
という不安を抱えやすく、
褒められても素直に受け取れません。
また、完璧主義的な傾向が強まり、
完璧にできない自分を
責め続けることで、
精神的に自分自身を
追い詰めてしまうこともあるのです。
このような状態が長く続くと、
燃え尽きてしまったり、
心の不調を抱えたりする恐れも
出てくるでしょう。
さらに、
周囲への影響も無視できません。
過小評価しがちな人は
控えめで謙虚な姿勢が目立ち、
一見すると問題がないように映ります。
しかし、自信のなさが強すぎると、
チームにとっては
大きな損失になることもあります。
たとえば、
会議で有益なアイデアを持っていても、
「自分の意見は的外れかもしれない」
と発言を控えてしまえば、
組織は貴重な視点を得る機会を
失ってしまうでしょう。
控えめであることは、
日本の社会では美徳として
受け取られることも多いです。
しかし、その姿勢が度を越してしまうと、
自分にも周囲にも
望ましくない影響を及ぼします。
つまり、行きすぎた謙虚さもまた、
一つの問題として
意識する必要があるでしょう。
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では、能力の高い人が
自分を必要以上に
低く見積もってしまうのを防ぐには、
どうすればよいのでしょうか?
ここでは、
自分の実力をより正確にとらえ、
自信を育てていくための心構えを
見ていきましょう。
まず大切なのは、
客観的な事実に目を向け、
自分の成功や努力を
きちんと認めることです。
インポスター症候群の傾向がある人は、
せっかくの成果を「運がよかっただけ」
「周囲のおかげだ」
と受け止めてしまいがちです。
しかし、
過去の実績を冷静に振り返り、
自分が積み重ねてきたことを
事実として見つめ直してみましょう。
これまでに達成したプロジェクトや、
合格した試験などを書き出してみると、
「自分にもできていることがある」
と実感できるはずです。
「成功日記」をつける習慣も
役に立つでしょう。
寝る前に、その日に達成したことや、
うまくいったこと、
感謝された出来事などを
書き留めてみるのです。
これは、自分の貢献を可視化し、
歪んだ認知を整える手法として
知られています。
心理学者
マーティン・セリグマンらの研究でも、
ポジティブな出来事を記録することが、
自己評価の改善につながる
と示されています。
信頼できる人からのフィードバックを
積極的に受け取ることも効果的です。
自分ひとりでは見落としてしまう長所も、
第三者の視点を通すことで
気付きやすくなるでしょう。
尊敬する先輩や上司、メンターがいるなら、
自分の強みや成果について
率直に意見を聞いてみましょう。
「ここが優れている」
「これだけのことを成し遂げている」
といった言葉に触れることで、
自分では当たり前だと思っていた能力の価値に
気付けるかもしれません。
その際、「いえ、自分なんて……」
とすぐに否定するのではなく、
「そうなのかもしれない」
と一度受け止めてみる姿勢が大切です。
さらに、
「他者は自分と同じではない」
という視点を持つことも重要です。
自分にとって簡単なことが、
他の人にとっても
同じように簡単だとは限りません。
誰かが苦戦している場面を見て、
「どうしてそこでつまずくのだろう」
と感じることがあるなら、
それはあなたがその分野で
力を身につけている証拠でもあります。
給与交渉や昇進の場面では、
市場価値を調べてみるのも
一つの方法です。
同じ職種や経験年数の人が、
どの程度の待遇を
受けているのかを知ることで、
自分を不当に低く見積もっていないかを
確認できるでしょう。
そしてもう一つ大切なのは、
完璧主義を少し緩め、
自分にとって本当に大事なことに
力を注ぐ姿勢です。
人にはそれぞれ得意と不得意があり、
すべてを完璧にこなすことはできません。
優秀な人ほど
周囲にも実力者が多く、
つい他者と比べて「自分は劣っている」
と感じてしまいがちですが、
環境も背景も違う以上、
単純な比較に意味はないでしょう。
自分の価値観や目標をはっきりさせ、
「これを成し遂げたい」
「昨日の自分より一歩前に進みたい」
という自分軸を意識することが、
自信を育てるための一歩になるのです。
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この記事では、
なぜ未熟な人ほど自信過剰になり、
熟練した人ほど
自分の力を疑ってしまいやすいのか、
その背景や影響、そして
自分の能力をより正確にとらえるための
心構えについてお伝えしました。
ダニング・クルーガー効果は、
能力がまだ十分でない人が
自分を過大評価してしまう一方で、
優れた力を持つ人ほど
自分を低く見積もってしまうという、
矛盾した現象です。
ダニング・クルーガー効果の背景には、
メタ認知力の低さがあります。
そこに自尊心を守ろうとする心理や、
適切なフィードバックを受けにくい環境が
重なることで、この効果は気付かないうちに
強まっていくのです。
過信は成長を妨げ、失敗や事故、
人間関係のトラブルに
つながることもありますし、
反対に過小評価も、機会を逃したり、
心に負担を抱えたりする原因になります。
だからこそ、どちらの傾向にも
目を向ける必要があるのです。
自分の能力を
過小評価しがちな人にとっては、
客観的な事実に目を向けることや、
自分の成功や努力を
きちんと認めることが助けになります。
あわせて、信頼できる人からの
フィードバックを受け入れることも
大切です。
また、完璧を求めすぎる考え方を
少し緩め、他者との比較ではなく、
自分自身の価値観や目標を基準にして
歩んでいく姿勢が、
自信を育てる支えになるでしょう。
ダニング・クルーガー効果を理解し、
自分をより適切に評価しようと
意識することは、
成長への大切な一歩です。
その積み重ねが、自分自身にも、
そして周囲の人々にも、
よりよい影響をもたらしていくでしょう。