苦手な人が近くにいて、嫌だな~と感じた時、思い出すと役立つこと

今回は、
苦手な人が周囲にいて、
「嫌だな~」と感じた時に
思い出すと役立つことについて。

嫌な人が傍にいれば、
「自分の視界から
消えてくれればよいのに」
と願うだろう。

しかし、
身近に嫌な人がいることは、
私たちが考えるほど
悪いことではない。

小林正観さんによれば、
嫌な人も自分に必要だから、
目の前に現れるとのこと。

なぜそうなのか? それを説明するのが、
正観さんの「50対50の法則」だ。

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では、「50対50の法則」とは
いったいどんなものか?
それは次の通りだ。

一人の人間Aさんを
取り巻く人の数を
仮に100人とした場合。

そのうちの50人は、
Aさんを称賛してくれて、
Aさんに好意的だ。

そして、残りの50人は
Aさんとはそりが合わず、
Aさんを批判してくる。

この場合、Aさんにとって、
好きな人と、嫌いな人が
半々いる状態だ。

実は、この50対50が
人間を最も効率よく成長させる
比率だという話。

正観さんによれば、
神様は、私たち人間を
成長させるために、
敢えて50対50の法則になるよう
人々を配置しているらしい。

よって、自分の周囲には、
自分が嫌だと感じる人が
必ずいるのが当然なのだ。

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それでは、なぜ半々が
望ましいのか?
その理由は以下の通りだ。

もし、この100人全員が
Aさんのことを称賛して、
常に褒め称えていたら、
Aさんはどうなるだろうか?

おそらく、Aさんは自惚れて、
おごり高ぶり、成長することを
妨げられるだろう。

逆に、100人全員が
Aさんのことを常に批判すれば、
Aさんは自信がなくなり、
やる気を失うことだろう。

つまり、100%の称賛も、
100%の批判も
成長する意欲を奪ってしまう。

50対50という比率は
バランスが取れていて、
一番の理想的な割合だ。

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通常、私たちは
自分にとって嫌な人間は
自分に被害を及ぼすだろう
と考えがちだ。

しかし、実際には
嫌な人から被害を被るどころか、
学びの機会を与えられることも
しばしばある。

嫌な人の言動を観察して、
不愉快に感じた場合、

「こういう風に
振る舞ってはいけないんだ」
とその人を反面教師にして
学ぶことも可能だ。

嫌な人から指摘を受けて、
気分を害したとしても、
冷静に考えれば、
その人の言うことは間違ってなく、
的を得ている場合もある。

もしそうなら、
自分が目を背けていた問題を
その人により思い出させて貰い、
問題解決するチャンスを
頂けたとも解釈できる。

嫌な人と接することは、
確かに、一時的、また、表面的には
あまり心地よいものではない。

しかし、長期的目線では、
嫌な人から学ばせて貰ったお陰で、
自分自身がより良い方向へ
進むことも否定できない。

そう思えば、
嫌な人間が自分の近くにいることは
無意味でないと理解できる。

嫌な人は
自分を自惚れ状態や
おごり高ぶる態度から
救ってくれる人。

また、自分に大切な学びを
授けてくれる人だと
捉えられる。

これが分かれば、
嫌な人に対して
ネガティブ感情を抱くことも
少なくなるはずだ。

場合によっては、
嫌な人は自分を成長させてくれる
有難い存在だとさえ
感じるかもしれない。

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冒頭では
「50対50の法則」を
人数的に説明したが、
実際には人数が半々だ
ということではない。

現実的には
100人に囲まれていたら、
そのうち5人だけが嫌な人で、
残りの95人はそうでないケースが
ほとんど。

正観さんの「50対50」は、
単に人間の数を意味するのではなく、
自分が嫌だと感じる比率が半々だ
ということだ。

100人中たった5人でも、
人間はネガティブに
強く反応する性質があるため、
かなり大きなものに感じられる。

本当は嫌でない人のほうが大半で、
嫌だと感じる人は少数だ。

たったの「5」でも主観的には
「50」くらいの大きさに
感じてしまうのだ。

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苦手な人が身近にいるのは
多くの人に言えること。

嫌だな~と思えば、
気持ちが暗くなるだけで、
あまり良いことはない。

嫌な人とは
積極的に関わる必要はないが、
最低限の接し方をして、
自分に得になる部分だけは
しっかり頂こう!

反面教師にしてもよいし、
自分が向き合うべき課題を
教えて貰ってもよい。

嫌な人は自分の成長のために
目の前にいてくれるのだから、
あまり邪険に扱わなくても
よいだろう。

周囲の人にウンザリしたら、
ぜひ正観さんの
「50対50の法則」を思い出してね。