私たちが心の奥底で
強く抑えつけている感情や欲求は、
家族や身近な人を通して
表れることがあります。
たとえば、社会的に地位が高く
立派な職業に就く親が、
怠けることを悪と捉え
その欲求を抑圧している場合、
子どもが勉強や仕事をサボることで、
親の抑えた欲求を
表出することがあります。
本記事ではこの現象について
探ってみたいと思います。
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社会的に地位が高く
立派な職業に就いている親の子どもは、
恵まれた生活環境で
順調に育つと思われがちですが、
実際にはそうとも限りません。
そうした子どもが
問題を起こすケースも
少なくないからです。
なぜそのようなことが
起きるのでしょうか?
この現象は
心理学を理解することで
見えてくるでしょう。
私たちは、
好ましくないと感じる感情や欲求を
無意識に抑え込んでいます。
この抑圧された感情や欲求を
「シャドー」と呼びます。
以前のブログ記事でも
紹介しましたが、
シャドーは無意識の領域から
私たちを振り回すことがあります。
たとえば、「自分は強くあるべきだ」
という価値観で生きている人は、
悲しみ、不安、孤独感などの弱さを
感じないように、
無意識に強く抑圧しています。
このように自分の弱さを
抑圧している人は、
周囲の人が弱さを見せたときに
共感できず、相手に対して
腹立たしさやイライラを
感じることも多いのです。
ときには、「もっと強くならなきゃ」
と説教して、
相手を傷つけることもあるでしょう。
これは、まさに
抑圧されたシャドーが
無意識下からその人を
振り回している状態です。
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もし本人があまりにも強く
感情や欲求を抑圧している場合、
その感情や欲求を身近にいる家族が
代わりに表出することがあります。
本人がシャドーを
受容することを拒否すれば、
子どもや配偶者などの家族が
シャドーを表出する役割を
担うこともあるのです。
医師や弁護士、教師など
社会的地位が高く
立派だと思われる職業の人々の子どもに
問題行動を起こすケースが多い
という事実があります。
教育学博士で心理学者の
河合隼雄先生は、この現象を
「シャドーの肩代わり」
と呼んでいます。
親が立派な善人として
振る舞おうとするあまり、
ネガティブな感情やフラストレーションを
抑圧し過ぎると、子どもがその感情を
発散する役割を引き受け、
問題行動を起こすことがあるのです。
立派な職業の人々は、
怒りや不安、悲しみ、落ち込みなどの
ネガティブな感情を受容できず、
それを強く抑えていることも
あるでしょう。
しかし、どんなに立派な人でも
しょせん生身の人間であり、
さまざまな感情が
自然と湧いてくるものです。
立派であることを
求められるがゆえに、
これらの感情を強く抑圧し続けると、
それらはシャドー化します。
そして、そのシャドーを
家族の誰かが肩代わりをして
表に出してしまうことも
珍しくありません。
たとえば、子どもが
「ばか野郎! このくそったれが!」
などと悪態をつく役を
親の代わりに演じます。
家族の誰かが
シャドーの肩代わりをするとき、
それは無意識に行われるため、
建設的でない形を取ることが多いのです。
学校での反抗的な態度や規則違反、
教師への口答え、
反社会的な行動を取るようになり、
警察沙汰になることも珍しくありません。
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シャドーの肩代わりは、
家族内だけでなく
他の関係にも影響を及ぼしえます。
たとえば、
「やればできる!
私たちには成功しかない!」と
強気な姿勢を持つ
超ポジティブな経営者がいるとしましょう。
この経営者は、自分の中にある
恐れや不安を押し殺し、
無意識に強く抑圧しています。
この場合、経営陣の誰かが
「失敗する可能性があるから
やめておきましょう。
リスクをしっかり考え、
慎重に進めるべきです」といった主張を
することもあります。
これも経営者の無意識の感情を、
経営陣の誰かが
肩代わりして表出しているのです。
経営陣の誰かが心配性になり、
慎重な意見を述べることで、
超ポジティブな経営者に対する
ブレーキ役を担い、
組織のバランスが取れるのでしょう。
しかし、中小企業ではワンマン社長が
イエスマンばかりを
周りに置くことも少なくありません。
このような場合、
社長に対するブレーキ役となる幹部が
排除されることもあるでしょう。
こうした状況では、
社内でミスを繰り返す社員が出たり、
不祥事が続いたり、
社長の配偶者がうつ病になったり、
社長の子どもが引きこもりになったりする
ケースも見受けられます。
これは、社長の無謀な行動に
歯止めをかける役割を
誰かが無意識に担っているためです。
これも無意識の感情を代わりに
表出している例と言えるでしょう。
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シャドーの肩代わりは
無意識のうちに行われ、
多くの場合
望ましくない形で起こります。
そのため、できるなら
シャドーの肩代わりが
起きないことが望ましいです。
では、どうすれば
シャドーの肩代わりを
防ぐことができるのでしょうか?
その答えは、自分のシャドーを
他人に肩代わりさせるのではなく、
自分自身で解消することです。
つまり、自分で自分のシャドーを
統合することが求められます。
自分で自分のシャドーを
統合するとは、
まず自分の心の内に抑圧された
感情や欲求に気づき、
それらを受容して、
適切なときに適切な形で健康的に
その感情や欲求を
満たしてあげることです。
たとえば、
何かで怒りを感じたとしましょう。
もちろん、状況によっては
その怒りを一時的に
抑える必要があるでしょう。
しかし、
怒りを表現してもよいときや場所、
状況が訪れたときには、
その怒りを適切に
解消することが大切です。
信頼できる友人に
話を聞いてもらったり、
スポーツや運動で身体を動かして
怒りを解消してもよいでしょう。
同様に、
悲しみや落ち込みを感じたときも、
その感情を無視せずに
「今、私は悲しい」と
認識することが重要です。
そして、その感情を
表現しても支障がないときに、
適切な形で表現します。
たとえば、
日記に感情を書き出すことで
その悲しみを外に出したり、
自分の気持ちと似たような音楽をかけて
思いっきり涙を流してもよいでしょう。
音楽やアートなど、
創造的な活動を通じて
感情を表現することも
心の癒しになるかもしれません。
不安や心配を感じたときにも、
その感情に気づき、
「今、私は不安を感じている」と
自覚することが望ましいです。
その上で、適切なときに
健康的にその不安や心配に
向き合います。
リラクゼーション法を試したり、
専門家に相談することで
不安を和らげる手助けを得ることも
一つの方法でしょう。
こうして自分自身の感情を
健全な形で処理し
欲求を健康的に見たしてあげ、
内なるバランスを保つことが
望ましいのです。
そうすることで私たちは、
より厚みのある、より深みのある、
より大きな器の人間に
成熟していけるでしょう。
また、自分のシャドーを
自分で処理することができれば、
家族や身近な人が
シャドーの肩代わりをすることも
防げるでしょう。
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この記事では、
自分が抑えている感情や欲求が
家族や身近な人を通して
現れることがある
という話をしました。
私たち人間は、
好ましくないと思える感情や欲求を
心の奥底で抑圧しています。
そして、その感情や欲求を
自覚できない場合が多いのですが、
心の内に抑圧された感情や欲求により、
知らず知らずのうちに
自分自身が振り回されることも
珍しくありません。
たとえば、他人に対して
望ましくない反応を示し、
それにより人間関係を
悪化させることもあるでしょう。
好ましくないと思う感情や欲求が
強く抑圧された場合、
その抑圧されたものを、
自分の身近にいる人が
代わりに表出することも
少なくありません。
この現象を
シャドーの肩代わりと呼びますが、
シャドーの肩代わりは、
医師や弁護士、教師など
社会的地位が高く、
一般的に立派だと思われている人の
身近で起きることが多いのです。
その理由は、これらの人たちが
立派ではない自分の一面を
強く抑圧しているからです。
シャドーの肩代わりは
家族内だけでなく、
周囲の他人にも及ぶことがあります。
シャドーの肩代わりをする人は
無意識でそれをしているため、
望ましくない形で
表出することも多いのです。
たとえば、子どもの非行や
反社会的な行動がそれにあたります。
そのため、シャドーの肩代わりが
起きないようにすることが大切です。
シャドーの肩代わりを防ぐには、
自分のシャドーを
誰かに肩代わりさせるのではなく、
自分自身で解消することです。
つまり、自分で自分のシャドーを
統合することが求められます。
まず自分の心の内に抑圧された
感情や欲求に気づき、
それらを受容して、適切なときに、
適切な形で健康的にその感情や欲求を
満たしてあげることが望ましいです。
社会的な地位が高く、
どんなに立派な人でも、
しょせん不完全な人間です。
今まで通り立派な側面も
大切にするべきですが、
立派でない側面があっても当然で、
それを受け入れてもよいのです。
自分自身の自然な感情や欲求を
そのまま受容し、適切なときに、
適切な形で健康的に
満たしてあげましょう。
そうすることで、
私たちはより厚みのある、
より深みのある、
より大きな器の人間に成熟し、
より豊かな人生が可能になるでしょう。