多くの人が
「正しい」と考えることは、
あたかも当然のように
受け入れられがちですが、
実際には、その「正しさ」が
信頼できるものかはわかりません。
常識も、科学も、私たちが心の中で
「正しい」と信じることでさえ、
揺るがない真実ではないのです。
この記事では、「正しさ」に
疑問を持つことで見えてくる、
より楽に生きるヒントを探ります。
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わずか数十年の間に、
私たちの「常識」は
驚くほど変化しています。
かつては、子どもたちに
「運動中に水を飲んではいけない」
と厳しく指導するのが当たり前でした。
部活動でも「水を飲むとバテる」
「おなかが痛くなる」といった理由で、
喉が渇いても
我慢するよう強いられていたのです。
しかし今では、
この考え方は完全に覆されています。
激しい運動中こそ
積極的に水分を補給することが推奨され、
熱中症予防の観点からも
欠かせないものとなっているからです。
これは、常識が180度変わった
典型的な例だと言えるでしょう。
給食の牛乳についても、
似たようなことが言えます。
かつては「牛乳は身体によい」とされ、
好き嫌いに関係なく、
生徒全員が飲むことを
求められていました。
中には、牛乳を飲み終えるまで
昼休みに遊びに
行かせなかった教師もいたほどです。
現在では、乳糖不耐症や
アレルギーの存在が
広く知られるようになり、
個人の体質に応じた対応が
当たり前になっています。
「日焼けは健康の証」
とされていた時代もありました。
夏になると、あえて
日焼けをする人も多くいたものです。
しかし今では、
紫外線による肌へのダメージや
皮膚がんのリスクが知られるようになり、
日焼け止めや日傘の使用が
推奨されています。
このように、
たった数十年の間にも
「常識」は大きく姿を変えてきました。
そう考えれば、今私たちが
当たり前だと信じていることも、
これから先、
変わってゆく可能性があるのです。
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科学的事実であっても、
それは絶対的な真実ではなく、
現時点で最も妥当とされている
仮説に過ぎません。
最も有名な例は、
地球中心説から
太陽中心説への転換でしょう。
かつて、
「地球が宇宙の中心である」
という考えは疑いのない事実とされ、
それに異を唱える者は
異端者として迫害されていました。
医学の分野でも、
常識が大きく変わった例があります。
かつては、胃潰瘍の原因は
主にストレスや刺激の強い食べ物だ
と考えられていました。
しかし1980年代に、
オーストラリアの医師
バリー・マーシャルとロビン・ウォーレンが、
「ヘリコバクター・ピロリ菌」が
胃炎や胃潰瘍の主な原因である
という仮説を提唱します。
マーシャル医師は、
自ら菌を摂取して実験を行い、
この説の正しさを
自らの身体で証明しました。
この発見によって、
胃潰瘍は菌を除去することで
治療できる病気とされ、
従来の治療方針は
根本から見直されることになったのです。
栄養学の分野でも、長年の常識が
次々と見直されています。
たとえば、「卵は
コレステロールが高いので控えるべき」
とされてきましたが、最近の研究では、
食事から摂るコレステロールが
血中コレステロールに与える影響は
限定的であると分かり、
卵の摂取制限は不要とする見解が
主流になりつつあります。
また、長らく「健康の敵」
とされてきた脂質に対する見方も
大きく変わりました。
「脂肪は体によくない」という考えから、
「良質な脂質は
健康に欠かせないものだ」
という理解へとシフトしています。
今では、バージンオリーブオイルや
アボカド、ナッツ類などの脂質は、
健康食品の代表格とさえ
言われています。
このように、
どれほど権威ある機関が支持する
学説であっても、
新たな発見や研究によって
覆されることがあるのです。
つまり、科学的事実とは
「現時点で最も合理的な説明」にすぎず、
常に修正や更新の可能性を内包した
仮説であると
捉えることができるでしょう。
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私たちの心の中には、
世間一般の常識とは別に、
「これが正しい」と信じている
個人的な思い込みが存在しています。
心理学では、
これを「スキーマ」と呼びます。
スキーマとは、
私たちが持つ認知的な枠組みのことで、
現実をどう受け止め、どう行動するかを
決める基準となっているものです。
たとえば、「自分はダメな人間だ」
「他人は信用できない」
「失敗は恥ずかしいこと」といった考え方は、
スキーマの典型的な例と言えるでしょう。
スキーマは人によって異なりますが、
当の本人にとっては
心の底から「正しい」
と感じられるものです。
しかし、それらは客観的に見て
正しいとは限りません。
多くの場合、それは
過去の経験や学習によってつくられた、
個人の主観的な
思い込みにすぎないのです。
多くの人は、自分のスキーマを
疑うことなく
当然のこととして受け入れています。
問題は、そのスキーマの中には、
自分自身を生きづらくさせたり、
不必要に苦しめたり、
人生の可能性を狭めてしまうものが
あるという点です。
このようなスキーマを、
「非適応的スキーマ」と呼びます。
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やっかいなのは、私たちの脳には、
自分の持つ「非適応的スキーマ」を
強めてしまう働きがあることです。
それが、
「確証バイアス」と呼ばれるものです。
確証バイアスとは、
自分の信念や
思い込みを裏づける情報ばかりを、
無意識のうちに集めてしまい、
それに反する情報は
自然と見過ごしてしまうという
傾向のことを指します。
この仕組みによって、
私たちは自覚のないまま、
自分の思い込みを
強化し続けてしまうのです。
たとえば、「自分はダメな人間だ」
と思い込んでいる人は、
失敗した経験や批判的な言葉には
敏感に反応し、強く記憶に残します。
一方で、うまくいった経験や
褒め言葉は「たまたま」とか「お世辞」
と片づけて、軽視してしまいます
その結果、
「やっぱり自分はダメなんだ」
という確信がますます強まるという、
悪循環に陥ってしまうのです。
この現象は、
日常のさまざまな場面でも
起きています。
「最近の若者はマナーが悪い」
と思い込んでいる人は、
電車で席を譲らない若者を
強く記憶に残す一方で、
親切にふるまう若者には
気づかないまま
通り過ぎてしまいます。
また、「この商品は品質がよい」
と信じている人は、
肯定的な評価には目を向けるものの、
否定的なレビューは
「たまたまのこと」として
軽く流してしまいがちです。
さらに、
ソーシャルメディアの普及によって、
確証バイアスの影響は
より強まっています。
アルゴリズムが
私たちの好みに合った情報ばかりを
表示するため、
異なる価値観や視点に触れる機会が減り、
自分の思い込みが
どんどん強化されていく
「エコーチェンバー現象」
が起こりやすくなっているのです。
確証バイアスは、私たちの認知を
大きく制限するものです。
新しい情報や異なる視点を
受け入れにくくし、
固定観念から抜け出すことを
難しくしてしまうのです。
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『99・9%は仮説』の中で、
著者の竹内薫さんは
こう語っています。
「世界の見え方自体が、
あなたの頭の中にある仮説によって
決まっているのです」と。
私たちは、自分の中にある「枠組み」、
つまり仮説を通して、
ものごとを見て解釈しています。
そして、その枠組みに合う
情報ばかりを集め、反対に、
それにそぐわない情報は
目に入りにくくなったり、
見えていても、自分でも気づかないうちに
都合のよい形に
ねじ曲げてしまったりするのです。
ここで注目すべきなのは、
この「ねじ曲げ」が
意図的に行われているわけではない、
という点です。
本人には、「ねじ曲げた」という自覚が
まったくありません。
そのため、自分が特定の仮説に
縛られていることにも
気づきにくいのです。
これはまさに、
「確証バイアス」が働いている状態だ
と言えるでしょう。
この本の中では、
ある科学者の言葉として
「データが仮説を
くつがえすわけではない。
仮説を倒せるのは仮説だけだ」
と紹介されています。
これは、
どれほど多くのデータを集めたとしても、
それをどう解釈するかは、
自分の中にある仮説によって
決まってしまう
ということを意味しています。
つまり、すでに信じている
枠組みや考え方に沿ってデータを見る限り、
その仮説にとって
都合のよい意味づけを
してしまうということです。
だからこそ、
今持っている仮説とは異なる、新たな仮説
(これまでとは違った視点や考え方)
を自分の中に立ててみる必要が
あるのです。
そうしなければ、
今信じている仮説の正しさを
疑うことは難しいでしょう。
別の仮説を持つことで、
これまで「当然」だと思っていたことを
見直すチャンスが
はじめて生まれるのです。
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ここで、話を
私たちが無自覚に持っている
「非適応的スキーマ」に戻しましょう。
先ほど、
今の仮説の正しさを疑うためには、
それとは異なる新たな仮説
(これまでとは別の視点や考え方)を
見つける必要があると述べましたが、
生きづらさの原因となっている思い込みを
緩めるためにも、
まったく同じことが言えます。
別の、より適応的な考え方を
見つけることなく、
ただ思い込みだけを変えようとしても、
うまくいかないでしょう。
たとえば、
「いつも頑張っていなければいけない」
「休んではいけない」といった思い込みを
持っている人がいるとします。
ここでは、その人を
仮にAさんと呼びましょう。
Aさんは
フリーランスとして働いており、
かなりのワーカホリック気質です。
ほとんど休むことなく、
ひたすら仕事に打ち込む毎日を
送っていました。
ところがある日、
一冊の本との出会いをきっかけに、
自分の中にある「非適応的スキーマ」の存在に
気づきました。
そして、「このスキーマが、
自分に休息を許さず、
生きづらさの原因になっていたのだ」
と自覚したのです。
Aさんは「実験」のような気持ちで、
「一日だけ、
思い切って仕事を休んでみよう」と決意し、
スマホの電源も切って
日帰り旅行に出かけました。
ところがその翌日、
Aさんの頭に浮かんできたのは、
「一日休んだ分、
仕事が全然進んでいないじゃないか」
という焦りの気持ちでした。
Aさんはもともと、
常に大量の仕事を抱え、
それをすべてこなさなければならない
という強いプレッシャーを感じている人です。
このとき、
前日に休んだことと焦りが結びついて、
「昨日休まなければ、
もっと進んでいたはずなのに」
と考えてしまいました。
その結果、「やっぱり
私は休んではいけなかったんだ」
「やっぱり常に
頑張っていなきゃダメなんだ」と、
もとのスキーマを
さらに強く信じ込むことに
なってしまったのです。
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Aさんの例からもわかるように、
自分の中に根づいている
「非適応的スキーマ」
(自分を苦しめるような思い込み)を、
ただ手放そうとしても、
うまくいきません。
無理にやめようとしても、
新しい考えを持たないままでは、
結局、また元の思い込みに
引き戻されてしまうからです。
だからこそ、まずは
「今までとは違う新しい見方」、つまり
「より適応的な考え方」という
別の仮説を見つけることが
欠かせません。
そして、その新しい考えが
本当かどうかを、
実際の行動を通して
確かめてみることが大切です。
たとえば、
「いつも頑張っていなければいけない」
「少しでも手を抜いてはいけない」
「休むなんてもってのほかだ」といった
思い込みを持つAさんは、
次のような新しい考え方を見つけました。
「実際には、休んだからといって
大きな問題になることはめったにない」
「しっかり休んだことで
エネルギーが回復して、
その後の仕事がむしろはかどる」
というものです。
Aさんは、この新しい仮説が
本当かどうかを、
自分の行動を通して
試してみることにしました。
ここで重要なのは、
実証してみようという
目的意識を持つことです。
頭の中で思い描くだけでなく、
「本当なのかどうか、
行動して確かめてみよう」
と決意して動いてみるのです。
Aさんは新しい考え方の有効性を
確かめるために、一日仕事を休み、
日帰りで温泉に出かけました。
ゆっくりと湯につかり、
美味しい食事を楽しみ、
特別なことは何もせず、
ただのんびりと過ごしてみたのです。
すると翌日、
「やっぱり仕事が少し遅れてしまった」
と感じて、少し不安になりました。
でもそこで立ち止まり、
自分に問いかけてみたのです。
「本当にそれは
取り返しのつかないことなのか?
誰かに迷惑をかけたのか?」と。
そして、気づきました。「いや、
誰かに負担をかけたわけでもないし、
取り返しのつかない事態に
なったわけでもない。それどころか、
心も体も軽くなって、
今日は仕事の進みもよい」と。
こうしてAさんは、自分の新しい考え方
(「休んでも致命的なことは起きなかった」
「むしろ、心身ともに
リフレッシュされたことで仕事がはかどった」)
という仮説が、実際に役立つものだった
と実感できたのです。
このように、
自分を縛っていた古い思い込みとは異なる
新しい考え方を持ち、
それを確かめるために
行動を起こしてみることが大切です。
そして、その行動は
大きな挑戦である必要はありません。
今の自分に無理のない、
小さな一歩で十分なのです。
そうした小さな行動を
少しずつ積み重ねていくことで、
「新しい考え方は本当のことだ」
と実感できるようになれば、
あなたの勝ちです。
やがて、
これまで自分を苦しめてきた
非適応的なスキーマも、
少しずつ緩んでいくことでしょう。
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この記事では、
「正しさ」を疑うことで、
今よりも
少し楽に生きられるかもしれない――
そんな視点についてお伝えしてきました。
私たちは、社会の中で共有されてきた
「常識」や「正しいとされる考え方」
に囲まれて生きています。
しかし、
それらは絶対的なものではなく、
時代や環境の変化とともに、
書き換えられていく可能性があります。
かつて当然だと思われていた
健康常識や科学的な見解でさえ、
後になって大きく修正された例は
数多くあります。
そして、私たちの心の中にある
「自分だけの常識(スキーマ)」についても、
同じことが言えます。
「こうあるべき」
「こうしなければならない」
といった思い込みは、
本人にとっては当然のことであり、
「正しい」と信じられていますが、
実際にはそうとも限りません。
そのことに気づくことが重要なのは、
そうした思い込みによって、
自分でも自覚せずに
自らを不必要に苦しめていることが
あるからです。
思い込みが強ければ強いほど、
それを裏づける情報ばかりを
集めてしまう「確証バイアス」も
より強く働きやすくなるでしょう。
そして、ますます生きづらさが
増してゆくという
悪循環に陥ってしまうのです。
しかし、そのような思い込みであっても、
新しい適応的な考え方を見つけることで、
少しずつ緩めていくことが可能です。
Aさんの例にあったように、
「休んでも致命的な事態は起きない」
「むしろ、そのほうが
効率よく動けるようになる」といった
別の考え方を仮説として受け入れ、
その有効性を実際の行動を通じて
確かめてみるのです。
新しい考え方の有効性を試すために、
大きな実験をする必要はありません。
今のあなたが無理なくできる、
小さなことで十分です。
小さな「うまくいった」経験を
何度も繰り返すことができたなら、
やがて、自分を生きづらくしているものから、
少しずつ解放されてゆくでしょう。
今あなたが信じている「正しさ」は、
本当に正しいのでしょうか?
そう問いかけてみることは、
たしかに怖いことでしょう。
でも、その一歩が、
あなたをもっと自由に、
もっと自分らしく、
ラクに生きる道へと
導いてくれるかもしれないのです。
そのために、今日から、あなたも
勇気をもって
小さな一歩を踏み出してみませんか?