「苦労は美徳」はもうやめにして、できるだけラクを追求しよう!

今回は、
「ラクを追求しよう!」
という話。

多忙な現代社会では、
時間的にも、体力的にも余裕がなく、
カツカツの生活をしている人も
少なくないだろう。

もしそうならば、
ラクを追求して、
できるだけ余裕を持とう!
というのが、今回の話の内容だ。

====

そのためには、
ラクすることへの罪悪感を
手放す必要がある。

なぜなら、日本人の多くが
「苦労は美徳」という価値観を
持っているからだ。

特に昭和生まれの人は
この傾向が強い。

その背景には、
戦中戦後の混乱期に
過酷な生活を強いられた人が多く、

子供の教育にも
体育系スパルタ方式を
取り入れたからだ。

学校でも、職場でも
びしばしとしごかれて、
厳しく鍛えられた
昭和生まれはかなりいる。

「弱音を吐くな! 頑張れ!」
と怒鳴りつけられ、
シンドクても頑張らなければ
ならない状況だった。

そんな環境下で生きてくれば、
「苦労は美徳」の信念が
身に付いても不思議でない。

時代が変わっても、
自分の中に深く根付いた
「苦労は美徳」は消えることなく、
そのままずっと居続ける。

シンドイことを沢山経験して
苦労を重ねることは
「素晴らしい!」と称賛するが、

ラクすることは「悪だ!」と考え、
ラクしている人を見れば、
非難の対象とする。

たとえば、
出来合いのポテトサラダを
食卓に並べるのは主婦失格!
と批判する人もいるくらいだ。

しかし、
美味しい出来合いのサラダが
安価で購入できる今、
手間暇かけてわざわざ自分で
一から作る必要はあるだろうか?

冷静に考えれば、
理にかなっていないことだ。

こういう古臭い考え方は
もうやめにして、
ラクできるところは、
積極的にラクした方がよい。

====

勤勉な国民性の日本人が
ラクを追求したほうがよい理由は
幾つかある。

まず最初に、
あまりにも多忙すぎて
生活に余裕がなければ、
幸せを感じにくいからだ。

早朝から夜おそくまで
アクセク働いて、
身体も心も疲労状態では、
幸福感を抱くことも難しい。

定年退職するまで
ずっとそんな生活を続ければ、
何のための人生なのか?
分からない。

大変すぎて余裕がなければ、
良いアイデアに
恵まれることも少ない。

創造的なアイデア力を養うには、
心に余裕を持って、
人生を楽しむことも必要だからだ。

忙しすぎて
日々の仕事で手一杯なら、
それをこなすだけで
一日が終わってしまい、
クリエイティブな活動とも
無縁になる。

とても残念なことではないか?

====

ラクな方法を拒み、
手間暇かかるやり方を選べば、
時間や労力がかかる割には
数少ないことしかできない。

私たちの
時間やエネルギーは有限だ。

できる限りラクできることは
ラクするように心がけ、
極力自分の時間やエネルギーに
余裕を持たせた方が賢明だ。

そうすることで余力が生まれ、
他の意義ある活動を
やるのも可能になるからだ。

洗濯機がなかった時代は、
かなりの時間と労力をかけて
洗濯していた。

家族が多ければ、
全員の下着や服を洗うのも、
かなり時間がかかっただろう。

おまけに洗濯作業は
体力的にもシンドク、
終わった後には疲れてしまい、
他のことをしよう
という気にもなれなかったはず。

でも今は、洗濯機のお陰で、
洗い物を機械の中に入れ、洗剤を足し、
スイッチオンするだけで
簡単に洗濯できる。

その結果、時間的にも、体力的にも
余裕が出た。

その余裕により、
他にも有意義なことが
できるようになったのだ。

余った時間で
美味しいケーキを焼いてもよいし、
何か勉強をしてもよいし、
友人と会って楽しい時間を
過ごしてもよい。

そう考えれば、日常生活で
ラクできるものがある場合には、
積極的にラクできる方法を
取り入れて、

余った時間や労力で
楽しいことをした方が
人生もより豊かになる。

====

ラクすることを選べば、
人間は怠慢になり、
堕落してゆくのでは?
と心配する人もいる。

確かに、
そういう人もいるだろう。

でもそれは、
どちらかと言えば、
一時的な現象にすぎない。

毎日が忙しすぎて、
疲れ切っている人にとっては、
休息することが必須だ。

それなのに、
普段の多忙な生活では
十分休養するのも難しい。

そんな人たちが、
ラクすることを許可されれば、
きっとダラリとするだろう。

なぜなら、疲れ切っているからだ。

ただし、これは一時的なものであり、
エネルギーが充電された後には、
再稼働が可能になる。

充電済みで、
時間に余裕ができれば、
何か他のことをやってみたい
という気になるものだ。

怠慢になるのは
疲れているのが原因で、
休息ができ、疲れが取れて、
すっかり元気になった後には、
大抵の人は意義ある活動を
求めるはず。

====

人生は苦労するために
あるのではなく、
楽しむためにあるものだ。

楽しむのには
時間的にも、体力的にも
カツカツの状態ではムリがある。

だから余裕が必要!

余裕を持つためには、
できるだけラクを追求して、
可能な限りラクするとよい。

自動運転の掃除機に頼ったり、
手抜きしても美味しい料理が可能な
調理器具を使用したり。

工夫により、自分に与えられた
時間とエネルギーを
コスパよく使うことが望ましい。

それにより、より多くの時間、
より多くのエネルギーを
生み出すことが可能になり、

新しいチャレンジも
しやすくなる。

また、
素晴らしいアイデアに恵まれて、
クリエイティブにもなりやすい。

よって、余裕を持つことは、
とても大切なことだと言える。

「苦労は美徳」の考えは
もう手放して、
ラクすることへの罪悪感をなくし、
余裕が持てるようにしよう!