大分昔に聴いた
斎藤一人先生のトークの中に、
今でも私の心に残る大切な教えがある。
一人先生の言葉そのものは
忘れてしまったけれど、
その内容は以下の通り。
「一つでも良いことが書かれていたら、
それは良い本だからね。
この本はまあまあ良かったけれど、
この部分が私にはイマイチだった、
という人がいれば、
自分で本を書いてみな。
あなたが書いた本を、他人が読んだ時、
どこかがしっくりこないんです。
でも、それでいいの。
人間は皆、違うので、
全く同じ考えの人なんて
どこにもいないんです」
といった感じだ。
私はこの話から2つのメッセージを
受け取ることができた。
昔の私は、本を読んだ時に、
80パーセントは良かったが、
残りの20パーセントは
イマイチ分かりにくかった、
同感することができなかった、
という場合には、
不満に思うタイプだった。
最初の方には、
スゴク良いことが書かれていたのに、
後半になったら、
イマイチ良くない部分があれば、
「なんて、残念な本なんだろう」
とがっかりしていた。
だから、一人先生のこのトークを聞いた時、
自分のことを言われている気がした。
冷静に考えてみれば、
読んだ本の内容100パーセントを
自分にとって満足するものと
期待することは、
「完璧主義的」な考え方だ。
私が一人先生から受け取った
最初のメッセージは
「完璧主義は不幸になるから
やめなさい」というものだ。
コップの中に水が半分入っている時、
「半分もあって良かった」と思える人と、
「半分しかない」と残念に思う人がいる。
前者は「ある部分」を見て感謝する。
でも、後者は「ない部分」を見て嘆く。
全く同じ水の量に対して、
ある部分に注目するのか、
ない部分にフォーカスを当てるのかで
感じ方が全く違う。
本の内容についても同じことが言える。
内容の80パーセントが役立つ情報で、
自分がそこから学べることがあれば、
「なんて素晴らしい本か!」と感謝できるはず。
読む前には、全然知らなかったことを
読んだ後には知ることができたなら、
それだけでも、スゴイことだと言える。
それなのに、なぜか、私は
しっくりこなかった20パーセントに注目して、
「ああ、この本はちょっと残念だったな」
と不満に感じていた。
完璧主義的な観方をする人は、
すべてがパーフェクトでないと気が済まない。
ある部分、できている部分は、
あって当然、できて当然と考える。
ない部分、できない部分は
大きな問題で、
どうにかしなければならない
と焦ってしまう。
でも、人間自体が完璧な存在ではない。
人間がやることは、
どんなに気をつけていても、
すべてがパーフェクトにできることは
滅多にない。
現実世界においても、
ありとあらゆることで、
すべてが完璧ということは
かなり珍しいことだろう。
ほとんどないような「完璧」を求めて、
一生懸命頑張ったところで、
自分の期待通りに完璧になることは
滅多にないので、
ほとんどいつも不満を感じている。
こんな姿勢で生きていれば、
不幸感が増すだけだ。
もう一つのメッセージは
「人は皆、違う」ということ。
どんなに気が合う人でも、
似ている性格の人でも、どこかが違う。
世界中で、自分と全く同じ人は誰一人いない。
すべてのことにおいて、
自分と全く同じ考えをする人は、
どこにもいないのだ。
全く同じ考えでないとダメ。
全く同じ価値観でないと嫌だ。
と他人に自分と全く同じ
考え方、価値観を求めるのは、
間違いだということだ。
世界は違った考え方、価値観を持つ人の
集まりなので、
自分の考え方を大切にすると同時に、
相手の考え方に対しても否定しないこと、
「そんな考え方もあるかもね」
と多種多様を受け入れることが大切だ。
もし、世界中の人が、
自分と全く同じ価値観を持ち、
同じように考えるのなら、
この世界はツマラナイものになるだろう。
様々な考え方をする人がいるからこそ、
面白い世界ができるのだ。
多種多様な人間たちが、
皆仲良く、力を合わせながら生きるのが
世の中というものではないだろうか?
一人先生の教えは、
とてもシンプルな響きだが、
どれも奥深いものを感じる。
一人先生、いつも役立つトークを
有難うございます。