今回は、幸せに生きるために
知っておくと役立つ考え方
についてお話しします。
結論からお伝えすると、
「正義の反対は『悪』ではなく、
別の正義である」ということです。
この視点を理解することで、
人間関係のトラブルが減り、
心穏やかに、多くの人と
良好な関係を
築くことができるでしょう。
この記事では、このテーマを
深く掘り下げていきます。
====
人間関係における対立の原因は
さまざまですが、
その根底にある共通の要因として、
「自分の考えが正しく、
相手が間違っている」
という思い込みが挙げられます。
たとえば、AさんとBさんが
対立している場合、
Aさんは自分の意見が正しいと信じ、
Bさんの意見を誤りだと感じます。
一方で、Bさんも同様に
自分の主張を正当だと思い、
Aさんの考えに異を唱えます。
結局のところ、どちらも
「自分こそが正しい」
と信じて疑わないのです。
このように、双方が互いを批判し、
自分の正しさを
相手に押しつけ合えば、
対立は深まり、
争いや喧嘩に発展することも
あるでしょう。
====
自分が信じることや
「正しい」と感じることは、
自分にとっては確かに
正解かもしれません。
しかし、それが
すべての人にとって同じように
正しいとは限りません。
どれだけ「これこそが正解だ」
と確信していても、
それが他人にとっても同様に
正しいと受け入れられるわけでは
ないのです。
人間は、
多様な背景や経験を持ち、
価値観や考え方も
それぞれ異なります。
同じ意見を
共有することもあれば、
全く異なる視点を持つことも
珍しくありません。
すべての面で自分と完全に
一致する考え方をする人は、
まずいないと言っても
よいでしょう。
それにもかかわらず、
私たちは自分の「正しい」と感じる
価値観に反する行動をする人に対して、
「間違っている!」とか
「それは良くない!」と
批判や非難をしがちです。
自分の視点から見れば、
相手が間違っていると感じるため、
確固とした信念を持って
自分の正しさを主張し、
相手にそれを
押し付けることもあります。
しかし、このような姿勢は
望ましくありません。
相手に不必要なプレッシャーをかけ、
嫌な思いをさせることで、
人間関係を悪化させるリスクが
高まるからです。
====
子ども同士の喧嘩を例に
考えてみましょう。
2人の子どもが
対立している場面を
想像してみてください。
あなたが
そのうちの一方の子どもの話を
聞いたとき、「彼の立場は理解できる。
相手の子が悪いのだろう」
と思うかもしれません。
しかし、この時点で
一方の話だけを聞いて、
相手の子どもが悪いと
判断するのは、
本当に適切でしょうか?
相手の立場や状況を知らずに、
片方の言い分だけで
結論を出すのは早計です。
その後、
相手の子どもの説明を聞いて、
「なるほど、
そういう事情があったのか」
と納得することもあるでしょう。
一方の子どもに偏見を持つと、
公平な判断は難しくなりますが、
偏見を捨て、
客観的な視点で物事を見れば、
両者の意見が同じように
尊重されるべきだと気づくはずです。
喧嘩をした2人の子どもの
どちらか一方が
絶対的に正しいわけではなく、
異なる視点から
それぞれが違うアプローチを取った結果、
衝突が生じたのです。
====
このことは子どもに限らず、
大人にも当てはまります。
人それぞれが、
独自の立場や視点から世界を捉え、
自分なりの「正義」を
持っているのです。
正義は人の数だけ
存在すると言えるでしょう。
私たちは、自分が正しいと信じ、
相手が間違っている
と考えがちですが、実際には、
自分の正義も相手の正義も、
それぞれの視点から
成り立っています。
自分と異なる正義を
持つ人がいることを理解し、
受け入れる姿勢が大切なのです。
====
子どものころに読んだ
「三匹の子豚」を
思い出してみてください。
この物語では、
オオカミが子豚たちを
襲うシーンがあり、オオカミは
絶対的な悪者として
描かれています。
しかし、
本当にそうでしょうか?
必ずしも
そうではないかもしれません。
なぜなら、この物語は
子豚たちの視点しか描いておらず、
オオカミの立場や背景は
完全に無視されているからです。
一方的な視点から描かれた物語が、
現実を正確に反映している
とは限らないのです。
オオカミにとって、
彼らは生きるために
他の動物を
捕食しなければなりません。
偶然出会った子豚を
食べようとするのは、
オオカミにとっては
自然な行為でしょう。
この視点から見ると、
オオカミは必ずしも悪者ではなく、
ただ生存本能に従って
行動しているだけなのです。
「どんな理由があろうと、
他者を殺して
食べる行為は許されない」
と感じる方もいるでしょう。
しかし、日常生活を
振り返ってみてください。
牛肉や豚肉、鶏肉、魚などを
食べたことがあるなら、
そのときに罪を
感じたことがあるでしょうか?
「私はベジタリアンです」
と言う方でも、
動物の皮で作られた靴やバッグを
使っている場合があります。
他人を批判しながら、
自分も同じような行為を
していることに
気づかないことも
少なくありません。
====
私たちは、
多様性に満ちた世界で
生きています。
地球上には
さまざまな人種が存在し、
異なる言語を話し、
異なる宗教や文化を持ちながら、
それぞれの生活を営んでいます。
生活環境も
場所によって大きく異なり、
何かを行う際の通例や慣習も
地域ごとにさまざまです。
同じことをするにも、
ある地域では
一つの方法が定着している一方、
別の地域では
まったく異なるアプローチが
取られることも珍しくありません。
したがって、多様な考え方や
価値観が生まれるのは、
自然なことと言えるでしょう。
また、外国人だけでなく、
同じ国の中でも人々はそれぞれ
異なるバックグラウンドや経験を
持っているものです。
そう考えれば、
異なる意見や考え方を持つことは、
むしろ自然なこと
と言えるでしょう。
====
私たちは、自分の経験に基づいて
「これが正しい」
「あれは間違っている」
と判断しがちです。
しかし、実際に多様な世界で
自分が経験できることは、
ほんの一部に過ぎません。
私たちが持っている知識も
限られています。
そんな中で、
自分の経験や知識だけを頼りに
「こうすべきだ」「これが正解だ」
と結論を下すのは、どうでしょうか?
自分の視点から見て、
自分の考えが正しい
と感じるのは自然なことでしょう。
しかし、
異なる経験を持つ他人にとって、
その考えが必ずしも
正解とは限りません。
どんな時代や場所でも、
全員が一致して
「これが絶対的な正義だ」
と言えるような
普遍的な正義は
存在しないのです。
大切なのは、
自分の正義を持ちつつも、
他人の異なる「正義」にも
敬意を払うことです。
自分の価値観を
大事にしながらも、
相手の価値観を否定しない姿勢が、
豊かな人間関係を築くためには
必要でしょう。
====
平和を願い、
そのために戦う人々がいます。
一見、崇高な行為のように
見えますが、
ここでも注意が必要です。
なぜなら、
たとえ平和を目的としていても、
戦闘行為自体は破壊的であり、
平和とは対極にあるものだからです。
どれほど「平和」を掲げたとしても、
他人と戦い、自分や相手を傷つけ、
罪のない人々を巻き込むことは
正当化されません。
私たちが
心に留めておきたいのは、
自分の正義が
絶対ではないということです。
この世界には、人の数だけ
多様な正義が存在します。
だからこそ、
誰かと意見が食い違ったときに、
「自分が正しくて、
相手が間違っている」
と決めつけることは
避けるべきです。
私たちはそれぞれ
異なる背景や経験を持ち、
それに基づいて
個々の正義を作っています。
どの正義が優れているとか、
劣っているといった評価は
不適切であり、すべての正義は
平等に尊重されるべきです。
====
他人と意見が対立し、
論争が起こりそうなときは、
一旦立ち止まり冷静になり、
相手の立場に立って
考えることが大切です。
「あの人はなぜ
そう考えるのだろう?
どうしてそのような発言を
するのだろう?
その行動の背景には
何があるのだろう?」と、
相手の視点に
目を向けてみましょう。
自分の見解が
絶対に正しいと思い込むのは避け、
相手の考えも一つの視点として
尊重する姿勢が
より良い関係を築く鍵となります。
自分の正義がすべての人に
通用するわけではない
と理解できれば、
異なる意見を持つ相手に対しても
寛容な態度で
接することができるでしょう。
その結果、衝突が減り、
人間関係も
スムーズになるでしょう。
すべての人が
それぞれの「正しい」を
信じて生きていることを心に留め、
より幸せな人間関係を
築いていきましょう。